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全体を読み返してこそ熟読玩味できる

およそ5か月にわたって読んできた小林秀雄『私の人生観』を、いま一度全体を読み返してみて気づいたこと、感じたことの二つめは、小林秀雄のことではなく、読み手としての自分についてである。それは、全体を読んではじめて、すでに読み進めていたことの辻褄があい、理解できるようになったということだ。

『私の人生観』の前半で、「観」の意味を仏教思想に求めるなかの一つに、雪舟をはじめとする室町時代の水墨画、山水画のことが語られる。

彼等には画筆とともに禅家の観法の工夫が会った。画筆をとって写す事の出来る自然というモデルが眼前にチラチラしているなどという事は何事でもない。自然観とは真如感という事である。真如という言葉は、かくの如く在るという意味です。

『私の人生観』「小林秀雄全作品」第17集p147

ここを最初に読んだときには気づかなかったが、今回は後に出てくるリルケのロダン論を思い出した。芸術家は「美」を作り出そうとしていない。ただ、物を作るだけだ。人間が苦心して物をつくり、それが作り手を離れて置かれたとき、初めて自然物の仲間に入り、突如として物の持つ平静と品位を得るという話だ。

室町時代の山水画は、険しく切り立ったあのような山々を直接に見て書いたのではない。画集の模写でしかない。しかし、それを画僧の観法と工夫によって描く。それが描き手を離れると、それこそ真如感をもって見るものに迫り来るのだと読み解けるようになった。

小林秀雄は30代から40代にかけて骨董にはまり、文学だけでなく美術にも批評の対象を拡げた時期を経ていることからも、『私の人生観』は、芸術が話題になることが多い。その都度、作品を調べ、写真を眺め、芸術家についての入門的な知識にも得て、この5か月を論じてきた。だが、そこに通底しているのは、やはりベルクソンの芸術論である。

人間は、生活の必要性から離れたときに初めて知覚を拡大できる。芸術家はそのような知覚を常に持っていて、いわば「放心している人」である。だから芸術家は、自分の知覚を利用しようと思うことが少なければ少ないほど、より多くの事柄を知覚するのだという。

このベルクソンの芸術観は、『私の人生観』全体をとおして、小林秀雄が挙げる多くの事例にあてはまる。後半でベルクソンに触れてから、彼の著書である『思想と動くもの』をも参照して理解に努めた。しかし、当然のことであるが、小林秀雄は学生時代から繰り返し『思想と動くもの』を読んでいる。そのうえで考え、血肉化しようとして、多くの作品でベルクソンに触れてきた。そのうえで今回の『私の人生観』の講演にも臨んでいるのだ。美術や芸術に関することすべてにベルクソンの芸術観が下地になっているのも当たり前である。

もちろん、宮本武蔵についても同様である。『私の人生観』のなかごろで、「見の目」「観の目」について語る。「見の目」とは、普通に物を見る目であるのに対し、「観の目」とは、心のはたらきにより、状況を大きく見る目のことだ。小林秀雄は、この「観の目」こそ「心眼」であり、歴史を見る目までも「心眼」だと話を展開していく。

この「見の目」「観の目」も、『私の人生観』の終盤で小林秀雄が考察するように、宮本武蔵の実用主義の表れであり、「器用」を極めたうえで体得したものである。水墨画をも師匠抜きで極めた宮本武蔵である。『五輪書』では当然、剣術の基礎を自分の身体に即して説いている。「見の目」「観の目」は単なる理屈ではない。実戦に用いることができるよう、みずからの経験から導いた理論と思想にまで高めたのだ。2回目で語られる宮本武蔵の話を知ってこそ、1回目の宮本武蔵の話が、より深くしみわたっていく。

読書は苦行ではないのだから、読み通すことを目的としなくてもよい。はじめの10数ページを読んでみて、自分に合わないなと思ったら、それで中止してもよい。中断と再開を繰り返しながら、または後戻りしながらでも、読みたいように読めばいい。本気でそう考えている。

しかし、途中の細部はうまく受けとめられなくても、最後まで読み通すことで、そんな途中の物事が理解できる、受けとめられるようになる。そういう読書観を持つことができた。再読、再々読で、新たな発見がある。気づく。辻褄が合う。そんな読書の方法、文章の読み方を、この『私の人生観』の精読や再読で確認できた。そういうのを「熟読玩味というのだ」という小林秀雄の声が聞こえてくるようである。

(つづく)

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