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描いたのは「俺流の肖像画」ではなく、小林秀雄の自画像

およそ5か月にわたって読んできた小林秀雄の講演文学である『私の人生観』を、あらためて通読してみた。四六判で脚注のある「小林秀雄全作品」で61ページ、中公文庫「人生について」収録でも69ページの作品を、目と手を止めずに読み通すのにかかったのは、およそ50分。これが普通の読書である。

同じページを何度も何度も読み返し、辞書を引き、哲学用語集で調べ、絶版となった参考文献を取り寄せ、書いては消し、書いては直しの繰り返しで約5か月、100回にわたって論じてきた『私の人生観』を、たった50分で通読する。それでもいくつかの発見があったので、それを述べて締めくくりたい。

まず、改めて実感したのは、批評の対象よりも、その作品なり思想なりをつくった人そのものに対する小林秀雄の興味であり、想いの強さである。それは途中でも詳しく述べてきたことだが、全体を通読してみて、ますますその印象を深めた。

『私の人生観』に登場する人物は、48人。雄弁術が発達すれば書くという陳腐な行為は廃れるだろうと言ったアドルフ・ヒトラーからはじまり、鑑真や明恵上人、恵心僧都などの仏教僧、西行や松尾芭蕉、井原西鶴、菊池寛など日本の文学者、プラトンやデカルト、ベルクソンやアランといった西洋哲学者など、古今東西、多分野にわたる。

そのなかでも、明恵上人や西行、アラン、ベルクソン、そして何よりも宮本武蔵に深く言及している。これは、以前にも触れた、20代前半から付き合いが深い美術評論家・青山二郎が指摘しているように、

小林の文章だと何か終いには絵は要らないというふうになっちゃうんだよ。画家のことが主要な問題になっちゃう。
『対談/「形」を見る眼 青山二郎・小林秀雄』「小林秀雄全作品」第18集p60

批評の対象は絵画であっても、、伝記を読み、書簡を読み、行き着く興味は画家の「人そのもの」であり、生活である。同じことは、作家の坂口安吾との対談でも自ら語っている。

例えば君が信長が書きたいとか、家康が書きたいとか、そういうのと同じように、俺はドストエフスキイが書きたいとか、ゴッホが書きたいとかいうんだよ。だけど、メソッドというものがある。手法は批評的になるが、結局達したい目的は、そこに俺流の肖像画が描ければいい。これが最高の批評だ。
『対談/伝統と反逆 坂口安吾・小林秀雄』「小林秀雄全作品」第15集p260

事実、雪舟や西行、アラン、ベルクソンなどは、単独の題名をつけた作品を書いているし、松尾芭蕉や井原西鶴は独立した作品はなくても、複数の作品で何度も繰り返し触れている。

『私の人生観』で触れる人物の数は多い。しかし、作品や思想から話題がつながったとしても、小林秀雄は、人物そのものへの興味が尽きないのだろう。二度にわたって触れている宮本武蔵についても、1948(昭和23)年当時ではまだまだ研究が進まずに、校定本なども存在しなかった。それでも『五輪書』を読み、「独行道」から思索を拡げ、宮本武蔵を「思い出す」ように追究していたのだろう。

小林秀雄は「俺流の肖像画が描ければいい」と述べているが、実際に書かれた文章は、そのような人物に深く思い入れている小林秀雄自身の独白、告白であろう。いわば、『私の人生観』で書かれたものは、小林秀雄の自画像である。

(つづく)

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