なぜ徒党を組みたがるのか
ベルクソンがいう偉大な国家統治者、小林秀雄が好きな「手仕事」をするような練達した大政治家は、もはや現れることはないだろう。そこで、政治には組織化が必要になってくると小林秀雄は見ている。
組織化とは機械化だ。人間的な仕事はもはや期待できないのだから、政治は能率的な技術となったほうがいい。政治家は、社会の物質的生活の調整を専ら目的とする技術家であればよい、精神生活の深いところに干渉する技能も権限もないと悟るべきだと断言する。
ここで気をつけたいのは、小林秀雄はあくまでも、能率的な仕事をするための組織化であることだ。
ここで思い出すのは、「信じるということは、責任を取ることだ」という、後の講演文学『信ずることと知ること』につながる言葉だ。
なぜ徒党を組むのか。この講義音声を収録したCDのトラックに、そうタイトルがついている。自分流に信じていない。信じようとしないから責任を取らない。徒党を組めば組むほど、薄っぺらい自己が数の力で覆い隠される一方で、責任の所在はますます不明確になる。だから集団になりたがる。
『私の人生観』の講演は1948(昭和23)年、イタリアでムッソリーニが結成したファシスト党が権力を握ったのが1922年。日本では70年前にも指摘されていて、世界から悪と言われたイタリアの、1世紀も前の考え方が、2023年を迎えた現在の日本に重なるのは、いったいどういうことだろう。
(つづく)
まずはご遠慮なくコメントをお寄せください。「手紙」も、手書きでなくても大丈夫。あなたの声を聞かせてください。