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小林秀雄を読む日々

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『小林秀雄全作品』全32巻を、あきれるほど丁寧に読んでいきます。まず「『私の人生観』にたゆたう」を完結。新連載を準備中です。
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2023年2月の記事一覧

全集を手に入れる、全集を読む

幼い頃から読書が大好きだった。ただし乱読多読。小説、随筆、ミステリ、紀行文、ノンフィクシ…

既視の海
1年前
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その人そのものを生きることが批評だ

小林秀雄の批評における起点は、論壇に登場した1929(昭和4)年の『様々なる意匠』における「…

既視の海
1年前
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批評の手法で俺流の肖像画を描く

小林秀雄は、宮本武蔵が兵法だけでなく、その方法論をもって水墨画、茶の湯、連歌をも極めたこ…

既視の海
1年前
4

「器用」を極めたから、師匠はいない

宮本武蔵が著わした『五輪書』の「地の巻」にある、兵法の道を学ぶ心がけ九箇条のなかで、小林…

既視の海
1年前
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心のあり方よりも、「器用」を極めよ

13歳から真剣勝負を初め、20代の終わりまでに60数回の勝負をしたという宮本武蔵は、兵法の道を…

既視の海
1年前
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伝統に頼らず、自らの言葉で思想を語る

宮本武蔵が著わした『五輪書』は、『私の人生観』の当時はまだ評価が定まっていなかった。それ…

既視の海
1年前
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ふたたび宮本武蔵から学ぶ

四六判の「小林秀雄全作品」第17集でも61ページにわたる『私の人生観』において、最後のおよそ1割は再び剣豪の宮本武蔵を話題にしてフィナーレを迎える。「観の目」「見の目」も含めて、『私の人生観』は宮本武蔵について述べている作品だという印象を持つ読者は多いようだ。 哲学者や思想家における文体侮蔑の話から、「別段、どんな風にうまくまとまりを付けようという考えもないから、前に触れた宮本武蔵の事について言いたい事で言い残した事があるので、少々補って終りにします」(p189)と話題を転

文体を欠いた思想家はシンフォニーを創り出せない

日本の哲学者は、論理は尽くすが言葉を尽くしていない。観念を合理的に述べれば十分だと思い込…

既視の海
1年前
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国語という大河に生きて、言葉をつかむ

ベルクソンが天才だと思うのは、特定の人や作った本人しか解らないような専門用語を用いず、日…

既視の海
1年前
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知性の限りを尽し、言葉を尽す

小林秀雄は、なぜそこまでベルクソンに惹かれるのだろう。「彼の天才は、…」という語り出しで…

既視の海
1年前
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概念とイメージの両面から直観に近づく

リルケの芸術観とベルクソンのvisionは、表現こそ違えど重なる。これは詩と哲学の結びつきであ…

既視の海
1年前
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とにかく書いてみる。書いてみなければわからない。

芸術家は美しい物を作ろうとはしていない。だだ物を作っているだけだ。完成したものが、作り手…

既視の海
1年前
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リルケの芸術観からピュグマリオンを想起する

小林秀雄が「美」について考えた、詩人リルケの芸術観をもう一度読んでみる。 芸術家は美しい…

既視の海
1年前
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「批評」の平静と品位こそ「美」である

話を『私の人生観』本文に戻す。 小林秀雄は詩人リルケの言葉を用いて、「美」についての考えを述べる。 美は人を沈黙させる。それなのに、美学者は美の観念、すなわち美とは何かという妙なものを探している。「美」を作り出そうと考えている芸術家は、そんな美学の影響を受けているだけであり、むしろ空想家といえよう。 芸術家は、物を作る。美しい物を作ろうとはしていない。一種の物を作っているだけだ。苦心して様々な道具を作り、完成したものが、作り手を離れて置かれたとき、それは自然物の仲間に入