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伝統に頼らず、自らの言葉で思想を語る

宮本武蔵が著わした『五輪書』は、『私の人生観』の当時はまだ評価が定まっていなかった。それでも小林秀雄は宮本武蔵という人物像を読み取った。

武蔵は、自分の実地経験から得た思想の新しさ正しさについて、非常な自負を持っていたに相違なく、彼は、これを「仏法儒道の古語をもからず、軍記軍法の古きを用ひず」語ろうとした。(中略)伝統を全く否定し去って、立派な思想建築が出来上できあがるわけはない。併し、彼の性急な天才は、事を敢行してしまったのである。

『私の人生観』「小林秀雄全作品」第17集p192

「仏法儒道の古語をもからず、軍記軍法の古きを用ひず」というのは、「仏教や儒教の古くから使われてきた言葉を借りることなく、軍記や軍学の故事を引用することもせずに」(『ビギナーズ日本の思想 宮本武蔵「五輪書」』魚住孝至現代語訳)という意味である。有名な格言や、定評ある先人の言葉をもって、自分の考えを権威づけたり、飾り立てようとせず、自分の言葉で書き表そうという強い意志がみえる。また、宮本武蔵の話題に入る前に語っていた、思想家はいたずらに専門用語を使ったり、または造語したりせず、みずからの文体を持つべきだという小林秀雄の考えに一致する。

「伝統」について、この『私の人生観』で小林秀雄は、日本語または国語の語感には審美観も含めて日本人の精神性が込められていて、それらを「素質」として建築のように作り上げていくのが「文化」だと語ってきた。しかし、宮本武蔵は「伝統」に頼ることなく、みずからの思想を『五輪書』に著わした。それを小林秀雄は「極めて独創的なのも」という評価をしている。なぜ宮本武蔵は独創的な思想を語ることができたのか。小林秀雄は次の一文に着目する。

「兵法至極にして勝つにはあらず、おのづから道の器用ありて、天理を離れざる故か」と。ここに現れている二つの考え、勝つという事と、器用という事、これが武蔵の思想の精髄をなしているので、彼は、この二つの考えを極めて、遂に尋常の意味からは遥かに遠いものを摑んだ様に思われます。

『私の人生観』「小林秀雄全作品」第17集p192

13歳から真剣勝負を初め、20代の終わりまでに60数回の勝負をしたという宮本武蔵は「兵法の道を極めて勝ったというわけではなかった。〔全て勝ったのは〕自分が生まれつきこの道に器用であって、必勝の道理を離れなかったからなのか」(魚住孝至訳)と語る言葉から、あらためて器用とは何かを小林秀雄は考えていく。

(つづく)

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