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心のあり方よりも、「器用」を極めよ
13歳から真剣勝負を初め、20代の終わりまでに60数回の勝負をしたという宮本武蔵は、兵法の道を極めて勝ったというわけではなく、生まれつきこの道に器用だったからだと『五輪書』で述べている。その「器用」について、小林秀雄は思索を重ねる。
「器用」とは、われわれが普段つかう器用、不器用という言葉であり、細かい仕事に対する巧みさや、ときに抜け目のなさも語感に含まれる。小林秀雄は「小手先の事」という言い方をする。
必要なのは、この器用という侮蔑された考えの解放だ。器用というものに含まれた理外の理を極める事が、武蔵の所謂「実の道」であったと思う。
『五輪書』では、小林秀雄が引いた「兵法至極にして勝つにはあらず、おのづから道の器用ありて、天理を離れざる故か」という言葉に続きがあり、「その後なおもふかき道理を得んと朝鍛夕練してみれば、をのづから兵法の道にあふ事、我五十歳の比なり」と述べている。60数回の真剣勝負をしてきた20代の終わりから、さらに兵法を深めるべく朝に夕に鍛練を重ねた、つまり「器用」を追究したところ、50代でその道にたどり着いたというのだ。そこに小林秀雄は着目した。
私は、武蔵という人を、実用主義というものを徹底的に思索した、恐らく日本で最初の人だとさえ思っている。
勝負事において、必勝の道理、すなわち心のあり方だと説くのが、これまでの常であった。神仏の力を得たという者もいれば、生まれつきの素質だったと驕る者もいただろう。禅の思想を援用した者もいた。しかし、宮本武蔵は常勝について、心のあり方よりも、「器用」を極めた。
自分の流儀には、表も裏もない。「色をかざり花をさかせる」様な事は一切必要ない。ただ「利方の思ひ」というものを極めればよい。そういう考えから、当時としては、恐らく全く異例な、兵法に関する実際的な簡明な九箇条の方法論が生れた
『五輪書』の「地の巻」にある、兵法の道を学ぶ心がけ九箇条は次のようなものだ。
第一に、よこしまなき事を思ふ所、
第二に、道の鍛練する所、
第三に、諸芸にさはる所、
第四に、諸識の道を知る事、
第五に、物毎の損徳をわきまゆる事、
第六に、諸事目利を仕覚る事、
第七に、目に見えぬ所をさとつてしる事、
第八に、わづかなる事にも気を付る事、
第九に、役にたたぬ事をせざる事、
(第一に、邪ではないことを思う所、
第二に、道を鍛練する所、
第三に、広く諸芸にも触れる所、
第四に、諸々の職業の道を知ること、
第五に、物ごとの損得を弁えること、
第六に、諸事の真価を見抜くこと、
第七に、目に見えないところを覚って知ること、
第八に、わずかな事にも気をつけること、
第九に、役に立たないことをしないこと、)
このなかで、小林秀雄が言及するのは、第三条、第四条、第七条である。
(つづく)
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