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心のあり方よりも、「器用」を極めよ

13歳から真剣勝負を初め、20代の終わりまでに60数回の勝負をしたという宮本武蔵は、兵法の道を極めて勝ったというわけではなく、生まれつきこの道に器用だったからだと『五輪書』で述べている。その「器用」について、小林秀雄は思索を重ねる。

「器用」とは、われわれが普段つかう器用、不器用という言葉であり、細かい仕事に対する巧みさや、ときに抜け目のなさも語感に含まれる。小林秀雄は「小手先の事」という言い方をする。

必要なのは、この器用という侮蔑された考えの解放だ。器用というものに含まれた理外の理を極める事が、武蔵の所謂「実の道」であったと思う。

『私の人生観』「小林秀雄全作品」第17集p193

『五輪書』では、小林秀雄が引いた「兵法至極にして勝つにはあらず、おのづから道の器用ありて、天理を離れざる故か」という言葉に続きがあり、「その後なおもふかき道理を得んと朝鍛夕練ちょうたんせきれんしてみれば、のづから兵法の道にあふ事、我五十歳のころなり」と述べている。60数回の真剣勝負をしてきた20代の終わりから、さらに兵法を深めるべく朝に夕に鍛練を重ねた、つまり「器用」を追究したところ、50代でその道にたどり着いたというのだ。そこに小林秀雄は着目した。

私は、武蔵という人を、実用主義というものを徹底的に思索した、恐らく日本で最初の人だとさえ思っている。

『私の人生観』「小林秀雄全作品」第17集p193

勝負事において、必勝の道理、すなわち心のあり方だと説くのが、これまでの常であった。神仏の力を得たという者もいれば、生まれつきの素質だったと驕る者もいただろう。禅の思想を援用した者もいた。しかし、宮本武蔵は常勝について、心のあり方よりも、「器用」を極めた。

自分の流儀には、表も裏もない。「色をかざり花をさかせる」様な事は一切必要ない。ただ「利方の思ひ」というものを極めればよい。そういう考えから、当時としては、恐らく全く異例な、兵法に関する実際的な簡明な九箇条の方法論がうまれた

『私の人生観』「小林秀雄全作品」第17集p193

『五輪書』の「地の巻」にある、兵法の道を学ぶ心がけ九箇条は次のようなものだ。

第一に、よこしまなき事を思ふ所、
第二に、道の鍛練する所、
第三に、諸芸にさはる所、
第四に、諸しきの道を知る事、
第五に、物毎ものごと損徳そんとくをわきまゆる事、
第六に、諸事目利めききおぼゆる事、
第七に、目に見えぬ所をさとつてしる事、
第八に、わづかなる事にも気を付る事、
第九に、役にたたぬ事をせざる事、


(第一に、よこしまではないことを思う所、
第二に、道を鍛練する所、
第三に、広く諸芸にも触れる所、
第四に、諸々の職業の道を知ること、
第五に、物ごとの損得をわきまえること、
第六に、諸事の真価を見抜くこと、
第七に、目に見えないところをさとって知ること、
第八に、わずかな事にも気をつけること、
第九に、役に立たないことをしないこと、)

『ビギナーズ日本の思想 宮本武蔵「五輪書」』魚住孝至現代語訳

このなかで、小林秀雄が言及するのは、第三条、第四条、第七条である。

(つづく)

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