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小林秀雄を読む日々

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『小林秀雄全作品』全32巻を、あきれるほど丁寧に読んでいきます。まず「『私の人生観』にたゆたう」を完結。新連載を準備中です。
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2022年12月の記事一覧

われわれはどれだけ進歩したのだろうか

経験を重んじ、そのうえで自分の感覚を大切にせよ。しかし、経験の味わいなんて、すぐには解ら…

既視の海
1年前
3

沈黙を言葉にする

経験を重んじよ。そのうえで自分の心に浮かぶ感覚を大切にせよ。信じるによせ、疑うにせよ、経…

既視の海
1年前
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すぐに分かるような経験は、大したことはない

まず経験を信じよ。信じるから疑うことができるのだ。その一方で、経験もせずに軽々しく信じる…

既視の海
1年前
2

まず信じよ。それから疑え。

批評することが目的であって、何かを言わずいはいられない。実際には経験のないことも、知識や…

既視の海
1年前
2

なぜ何かを言わずにはいられないのか

批評において、その対象や、その言葉について、いったい何だろう、どういうことなのか、果たし…

既視の海
1年前
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批評は、なんて孤独なのだろう

小林秀雄は「文化活動とは、確かに家が建つということだ」と述べ、批評が文化活動ならば、批評…

既視の海
1年前
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文化とはたしかに家が建つことだ

批評の「批」は、批判の「批」である。だから対象の悪口であれ、単なる感想でしかない印象批評であれ、批評とは文化活動の一つだ。そのような風潮が戦争の前後をはさみ蔓延していたのを憂い、小林秀雄はこう指摘する。 前回紹介した批評家の加藤典洋と小林秀雄は、徒手空拳で批評に臨んだり、群れたりしないところが共通している一方で、加藤の比喩は印象的だという評価があるが、小林秀雄の比喩はそれほどでもない。比喩というのは、何をたとえているか、何にたとえているか、その共通点は何かという3つが書き手

自分の思考の力だけを頼りに勝負する

「批評」なんて、まったく読まなかった。 もっとも根本にある思いは、たとえば文芸批評なら、…

既視の海
1年前
3

悪口ではない。相手をほめるのが批評だ。

詩を書くような批評を書きたい。そう考える小林秀雄の試行錯誤は、戦中の『当麻』や『無常とい…

既視の海
1年前
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詩を書くように批評を書く

宮本武蔵は「みる」という営みについて、観見ふたつの目があるという。 「見の目」とは、普通…

既視の海
1年前
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歴史を「観の目」で見る

小林秀雄は、宮本武蔵が記した覚書『兵法三十五箇条』において「観の目強く、見の目弱く見るべ…

既視の海
1年前
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心の眼で観よ

江戸時代の剣豪・宮本武蔵が死を迎える1週間前に述べたといわれている『独行道』のなかの一つ…

既視の海
1年前
3

後悔で自分をごまかさないと決心してみろ

「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」(『コメデ…

既視の海
1年前
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反省する、信ずる、責任をとる

歴史は、上手に「思い出す」ことだ。その人物ならどう考えたか、どのような言葉を発したか、それが自分の内にありありと姿を現し、声が聞こえてくるまで、考える、想像する、思い出す。それを「歴史を知る」ことだと小林秀雄はいう。 『私の人生観』は講演録である。もし音声が残っていたならば、わずかに語気を荒げただろうところがある。 この講演の行われる3年前、敗戦直後の1945(昭和20)年8月28日、東久邇宮稔彦首相は記者会見で「軍官民、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならぬ。一億