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歴史を「観の目」で見る

小林秀雄は、宮本武蔵が記した覚書『兵法三十五箇条』において「観の目強く、見の目弱く見るべし」とあることを引き、あらためて「観る」ことについて思いを巡らせる。

「見の目」とは、普通に物を見る目である。それに対し、「観の目」とは、心のはたらきにより、状況を大きく見る目である。

立会いで目を見開くと、あちこちへ意識が分散してしまい、必要以上に眼球が動いてしまうものである。だから、いつもより目を細め、眼球を動かさずに、「うらやかに見るべし」と宮本武蔵はいう。

「うらやか」というのは聞きなれないが、「うら」は外面に現れない内部を意味し、「<うら>悲しい」「<うら>さびしい」のように、心や、心のうちを指す。「やか」は接尾語で、「さわ<やか>」「はれ<やか>」のように、いかにもそのような感じを与える様子を表す。よって「うらやか」は、のどかで、物事がゆったり落ち着いた様子を意味する。

よって目をいつもより細めにして、眼球を動かさず、近くのものでも遠くを見るようにすれば、余計なことに惑わされず、むしろ大きく広い視点で対象を見ることができるという。

これらがまとめて「観の目」であり、それを小林秀雄は「心眼」であるという。そして後年、『講義「信ずることと考えること」後の学生との対話』において、肉眼は心眼の邪魔をする、心眼が優れている人は、物の裏側まで見えると力強くいう。

これらの考えをもとにして小林秀雄は、アランの「何故、歴史家というものは、私達が現に生きる生き方で古人とともに生きてみようとしないか」という問いに戻る。

今日、史観とか歴史観という言葉がしきりに使われているが、武蔵流に言うと、どうもこれは観というより見と言った方がよろしい様だ。

『私の人生観』「小林秀雄全作品」第17集p164

では、史観や歴史観とは、どのようなものか。

小林秀雄はいう。歴史を見る眼、すなわち史眼とは、心眼のことであると。

(つづく)


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