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悪口ではない。相手をほめるのが批評だ。

詩を書くような批評を書きたい。そう考える小林秀雄の試行錯誤は、戦中の『当麻』や『無常という事』に代表される日本の古典に対する批評からすでに始まっていた。さらに源流をたどるならば、論壇に登場した1929(昭和4)年の『様々なる意匠』における「批評とは竟に己れの夢を懐疑的に語ることではないのか」にあったと考えられるし、1937(昭和12)年の『文芸批評の行方』でも、単なる印象批評や「揚げ足取り」ではなく、創造的な批評をするのだという決意にも萌芽を感じる。

批評しようとする心の働きは、否定の働きで、在るがままのものをそのまま受納うけいれるのがいやで、これを壊しにかかる傾向である。かような働きがなければ、無論向上というものはないわけで、批評は創造の塩である筈だが、この傾向が進み過ぎると、一向塩が利かなくなるというおかしな事になります。批評に批評を重ね、解釈は解釈を生むという具合で、批評や解釈ばかりが、鼠算ねずみざんの様に増え、人々はそのなかでうろうろしているどころの段ではない。烈しく働いている積りであろう。

『私の人生観』「小林秀雄全作品」第17集p166

もともと、小林秀雄は「批評」と「評論」を区別していた。いずれも対象を論評することには変わりない。しかし、「批評」は先に引いた『様々なる意匠』の問いかけのように、対象について論じながら、実は自らを語っている。それに対し、「評論」は自らを含めることはない。よって前者はジャーナリズムと相性がいいし、後者はアカデミズムに含まれる。

小林秀雄は戦前、その時どきに発表される文学作品に対して批評を加える文芸時評において論壇に名を馳せた。巧みなレトリックや逆説を多用して対象の作品に切り込んでいく様は、ときに拍手喝采を浴びるし、読者のカタルシスにもなる。他方、批評される側としてはむしろ「批判」「非難」されたような気分にもなる。悪事千里を走るはずが、文芸作品の悪評よりも、小林秀雄は悪口ばかり言っているという「悪評」こそ人々の間には強く印象に残る。

しかし、小林秀雄にそんなつもりは毛頭ない。

自分の仕事の具体例をかえりみると、批評文としてよく書かれているものは、皆他人への讃辞であって、他人への悪口で文を成したものはない事に、はっきりと気附く。そこから率直に発言してみると、批評とは人をほめる特殊の技術だ、と言えそうだ。人をけなすのは批評家の持つ一技術ですらなく、批評精神に全く反する精神的態度である、と言えそうだ。

『批評』「小林秀雄全作品」第25集p10

小林秀雄は、フランス語のcritiqueに批評や批判という字をあてはめたのが、混乱や困惑の元だと考えている。ドイツの哲学者カントの「批判哲学」という言葉も、相手を非難するという意味の「批判」ではない。

ある対象を批判するとは、それを正しく評価する事であり、正しく評価するとは、その在るがままの性質を、積極的に肯定することであり、そのためには、対象の他のものとは違う特質を明瞭化しなければならず、また、そのためには、分析あるいは限定という手段は必至のものだ。

『批評』「小林秀雄全作品」第25集p11

この「批判」の方法論をそのまま「批評」に用いる。もちろん評論ではないから、自らの考えを入れる。ただ、それは自分が受けた印象または感想をそのまま主観的に述べる「印象批評」とは異なる。では、その「自分の考え」とはなにか。それが、宮本武蔵のいう「観の目」であり、自分の見方といえよう。

そこに小林秀雄は創造性を持ち込みたいのであり、「詩のような批評」を書きたいのである。

(つづく)

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