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まず信じよ。それから疑え。

批評することが目的であって、何かを言わずいはいられない。実際には経験のないことも、知識や関心のないことも、まだ読んだことのない本についても、なにか「コメント」しなければ気が済まないのは、講演『私の人生観』が行われた1948(昭和23)年当時も、令和の現在も、それほどは変わらないのかもしれない。

正常に考えれば、実行家というものは、みな懐疑派である。精神は、いつも未知な事物に衝突していて、既知の言葉を警戒しているからだ。先ず信ずるから疑う事が出来るのである。与えられた事物には、常に精神の法則を超える何ものかがある。実行するという行為には、常に理論より豊富な何ものかが含まれている、さような現実性に関する畏敬の念が先ず在るのである。だから強く疑うことができるのです。

『私の人生観』「小林秀雄全作品」第17集p168

ここで思い出すのは、「講演文学」の一つである『信ずることと知ること』で、ベルクソンの講演から小林秀雄が引用した、戦死した夫の夢を見たという妻の話である。

ある婦人が医者に対して語る。夫が遠い戦場で死んだときに、パリにいた自分は、ちょうど夫が戦死した時刻に、夫が塹壕で倒れたところや、それを取り巻く兵士たちの顔を夢に見た。あとから調べてみると、夫は、その夢と同じ姿かたち、状況で亡くなったという。

その話を聞いた医者は、夢を見たことは信じるが、その婦人が見たという正しい幻だけに気を取られて、実は無数にある正しくない幻を放っておくわけにいかないと言う。

そこで、ベルクソンはどう考えたのか。小林秀雄はベルクソンの考えを紹介しているに過ぎないが、実際は小林秀雄自身が痛切に感じていることを、ベルクソンの言葉に託して述べているように思う。

その医者は夫人の見た夢の話を、自分の好きなように変えてしまう。その話は正しいか正しくないか、つまり夫人が夢を見た時、確かに夫は死んだか、それとも夫は生きていたかという問題に変えてしまうと言うのです。しかし、その夫人はそういう問題を話したのではなく、自分の経験を話したのです。夢は余りにもなまなましい光景であったから、それをそのまま人に語ったのです。それは、その夫人にとって、まさしく経験した事実の叙述なのです。そこで結論はどうかというと、夫人の経験の具体性をあるがままに受取らないで、これを、はたして夫は死んだか、死ななかったかという抽象的問題に置き換えてしまう、そこに根本的な間違いが行われていると言うのです。

『信ずることと知ること』「小林秀雄全作品」第26集p180

まず経験を信じよ。信じるから疑うことができる。批評もできる。他方、経験もせずに軽々しく信じるな。疑うことで、経験していない事実を覆い隠すな。

信ずるということは、責任を取ることです。僕は間違って信ずるかも知れませんよ。万人の如く考えないのだから。僕は僕流に考えるんですから、勿論間違うこともあります。しかし、責任は取ります。それが信ずることなのです。信ずるという力を失うと、人間は責任を取らなくなるのです。

「講義 信ずることと知ること」『学生との対話』p50

(つづく)

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