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小林秀雄を読む日々

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『小林秀雄全作品』全32巻を、あきれるほど丁寧に読んでいきます。まず「『私の人生観』にたゆたう」を完結。新連載を準備中です。
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2022年10月の記事一覧

自分のなかに経験し、生き返らせ、思い出すのが歴史だ

『私の人生観』というテーマに含まれている「観」という言葉から、唐招提寺にある鑑真の坐像の…

既視の海
1年前
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「観た」という事実を読む。

瞑想をあらわす「止観」という言葉から、それを天平時代に中国から日本に伝えたのが鑑真である…

既視の海
1年前
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「観る」を体現する

『私の人生観』本文に話を戻そう。 「観」という言葉の語感から仏教思想について話し始めた小…

既視の海
1年前
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「言葉」をめぐり、小林秀雄から池田晶子、そしてウィトゲンシュタインへ

「禅」とは考える、思惟すること。「考える」とは、対象すなわち「存在」と身をもって交わるこ…

既視の海
1年前
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身をもって相手と交わり、生まれるのが「言葉」だ

禅というのは考える、思惟する、という意味である。そして「考える」というのは、本居宣長によ…

既視の海
1年前
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考えるとは、身をもって相手と交わること

「人生観」の「観」とは何か? 小林秀雄はその語感から仏教思想に源を探り、「禅」の話になっ…

既視の海
1年前
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小林秀雄と「禅」はなじみ深い

『私の人生観』という講演会の課題を与えられた小林秀雄は、そこに含まれる「観」という言葉から連想するものやことを連ねて話を進めていく。はじめは「人生観」という言葉の由来や成り立ちを近代の西洋思想の翻訳語を考え、次に語感からわが国における仏教思想を思い浮かべる。まずは7年間の能楽鑑賞で、その美に触れた『当麻』の中将姫とも結びつく、浄土教の重要な経典である『観無量寿経』について語る。 次に小林秀雄は、お釈迦様が菩提樹の下でさとりをひらいたとされる哲学的な観法である「禅観」の「観」

『当麻』が『私の人生観』に結びつく

不惑をはるかに過ぎてから小林秀雄を読み始めた「遅い読者」ではあるが、心がざわめき、読後も…

既視の海
1年前
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日想観と中将姫につらなるものは

小林秀雄は「観」という言葉の語感から、仏教思想を思い浮かべる。そして浄土宗における重要な…

既視の海
1年前
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まず「観る」なら極楽浄土?

『人生観』という言葉は西洋哲学からの訳語であり、「観」には日本人独特の語感があるとみて、…

既視の海
1年前
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「人生観」という言葉はどこからきたのか

『私の人生観』という作品の書き出しはこうだ。 『私の人生観』のもととなったのは、1948(昭…

既視の海
1年前
7

“講演文学”の名手は、講演嫌い

『小林秀雄全作品』全32巻を通読する。しかし『私の人生観』という作品をこじらせているから、…

既視の海
1年前
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『私の人生観』にはメロディーがある

小林秀雄『私の人生観』は、〈です・ます〉の敬体と〈である・だ〉の常体が混在している。しか…

既視の海
1年前
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小林秀雄の“講演文学”が心地よい

例に漏れず、受験勉強の評論文で小林秀雄にほとほと懲りて、不惑をはるかに過ぎてからようやく味読できるようになった「遅い」読者である。それでも、どこか読後にざらつきがあり、繰り返し手に取っては読んでいる小林秀雄の作品が三つほどあることに気付いた。『美を求める心』『信ずることと知ること』そして『私の人生観』である。 どうしてだろうと考えてみたところ、いずれも講演録に後から加筆した文章なのだ。道理で自分に語りかけてきて、鈍い頭にも染み入るような響きがある。のちに講演CDも全巻入手し