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「観た」という事実を読む。

瞑想をあらわす「止観」という言葉から、それを天平時代に中国から日本に伝えたのが鑑真であることに触れたものの、そこで思い浮かんだのは、瞑目端坐して微笑んでいる鑑真和上坐像だった。そんな小林秀雄は、渡日する際の鑑真の苦労話ではなく、唐招提寺にあるその肖像彫刻を「観た」ということを語る。それは、美であったり、根源的なものに触れたときには、ただ驚き、黙るしかないという小林秀雄の「観る」の実践だといえる。

『私の人生観』で次に触れるのは、鎌倉時代前期の僧、明恵上人である。

『小林秀雄全作品』第17巻であれば、鑑真について語ったのが12行であるのに対し、明恵上人について記したのは52行。実に4倍以上を費やしている。信仰が深くなるあまり、自身の耳を傷つけたり、天竺までの旅程を本気で考えたりしたという、明恵上人の人柄が現れるエピソードや、無邪気に読んだ歌なども紹介している。

ざっと読んでしまえば、ああ、明恵上人というのは小林秀雄好みの、ちょっと変わった僧だったのだろうという印象を抱くだろう。しかし、導入部分を読めば、明恵上人を思い浮かべるきっかけは、やはり坐像である。

これは絵ではあるが、坊様の坐像で、もう一つ私の非常に好きなものがあります。これも日本一だと言ってもいいかも知れませんが、それは高山寺にある明恵上人の像である。一面に松林が描かれ、坊様が木の股の恰好なところへチョコンと乗って坐禅を組んでいる。珠数も香炉も木の枝にぶら下っていて、小鳥が飛びかい、木鼠が遊んでいる。まことに穏やかな美しい、又異様な精神力が奥の方に隠れている様な絵であります。

『私の人生観』
明恵上人樹上坐禅像(高山寺)

このように小林秀雄は、まず絵を「観た」事実を語っている。たしかに「非常に好き」「日本一だと言ってもいい」「穏やかな美しい」「異様な精神力が奥の方に隠れている様な」と、その絵から抱いた印象を言葉にしている。しかし、それ以降に続く明恵上人のエピソードそのものを、知識または情報として伝えたかったわけではないだろう。

たとえば、「この絵は空想画ではないので」とあるが、これは一般に、そして小林秀雄をも、この絵を観て、もしかしたら空想画かもしれないと考えたり、疑ったりしたことに対する答えと解釈できる。事実、「上人の伝記を読むと、ほぼこの通りの坊様であった事がわかる」と続き、明恵上人のいっぷう変わった坐禅の作法を説明している。

また、「この坊様は戯れに自ら無耳法師と言っていた如く、絵では少々横を向いているから解らないが、向う側の耳はないのです」と、明恵上人が自らの耳を切り落としたという逸話を語る。それを事前に知っていた者なら誰でも、絵では耳はどうなっているのか、どのように描かれているのか、確かめたくなる。小林秀雄だって同じだっただろう。だが、切り落としたという右耳の様子は解らない。この一文もまた「観た」ということを語っているのだ。

たしかに『私の人生観』を読むことは、次から次へと連想が連想を生み、まるで波間を漂うような感覚が心地よい。ただ、そこで感得できるのは、小林秀雄が語る豊かな知識ではなく、小林秀雄がどのように観たか、どのように考えたか、ということのはずだ。小林秀雄を読むことは、知識を得るためでもなく、彼が博識だと再確認することでもない。その見方、考え方に触れ、味わい、さらにみずから観る、考えることだ。後年の『考えるヒント』とは名実ともに名作であるが、『私の人生観』も大いに観る、考える一歩となる。

(つづく)

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