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「観る」を体現する

『私の人生観』本文に話を戻そう。

「観」という言葉の語感から仏教思想について話し始めた小林秀雄は、釈尊が悟りをひらいた観法(瞑想)である「禅観」から、禅イコール考えること、思惟することだと紹介し、「観る」ことと合わせて、『私の人生観』全体を貫く主題である「直観」を早くも示唆する。さらに「観」から思い浮かべる仏教の話題を継いでいく。

まずは「止観」。これは「禅観」の言い換えであると言葉の説明であっさりと済ませる。ただ、「止観」の法を伝えた人物として、天平(奈良)時代の僧である鑑真に話題が移る。

鑑真といえば、戒律を授け僧の資格を与える「授戒」をするために渡日を試みるも、度重なる失敗によって失明し、12年かかってようやく日本にたどり着いたという苦心談で知られる。そんな鑑真の不屈の精神を描いたのは、井上靖の小説『天平の甍』だ。

ただ、小林秀雄が着目したのは、そんな冒険譚ではなく、奈良の唐招提寺にある鑑真の坐像である。「肖像彫刻として比類なく見事な出来で、勿論日本一でしょうが、世界一かもしれぬ」と絶賛している。

鑑真和上坐像(唐招提寺)

日本古代史と文化財史料学が専門の東野治之『鑑真』によると、その鑑真和上坐像は、鑑真の死期が近いことを感じた弟子の一人が、生前に作らせたという。精神の強さがにじみ出る肉感のある彫刻で、浄土のある西に向かって足を組み、瞑想しているようにも見えるが、どこか盲目であることも感じさせる。

「瞑目端坐して微笑しているが、実はこの和尚様は眼が見えない」と小林秀雄は説明し、「あの坐像が私達に与える感銘は、私達が止観というものについて、何か肝腎なものを感得している証拠ではあるまいか」と指摘したうえで、「美術品というものは、まことに不思議な作用をするものです」と締めくくっている。

後年、日本に渡ることになるとは夢にも思わなかっただろう鑑真がまだ14歳のとき、父に連れられていった寺で見た仏像に大きく心が動き、いずれは出家して仏の道を歩みたいと、早速父親に伝えたという。晩年に「見る」能力は失ったが、鑑真は「観る」ことから始まった。

小林秀雄が鑑真について語っているのは「観た」という事実だけだ。それ以上は何も語っていないに等しい。本物の「美」に触れたときには、沈黙するしかない。小林秀雄も鑑真も、「観る」を体現している。

(つづく)

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