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自分のなかに経験し、生き返らせ、思い出すのが歴史だ

『私の人生観』というテーマに含まれている「観」という言葉から、唐招提寺にある鑑真の坐像の次に小林秀雄が思い浮かべたのは、高山寺の明恵上人の坐像だった。寺の裏山にある松林で、木が二股に分かれているようなところに乗り、坐禅を組んでいる。自然や小動物に囲まれたなか、穏やかさと異様さのあわいで瞑想している明恵上人が描かれた坐像画を観て、考えついたこと、また調べたことをまず語っていく。

もちろん小林秀雄は、明恵上人の坐像画を「観た」ことだけを語ってはいない。明恵の弟子、喜海が残した伝記や、吉田兼好の随筆『徒然草』について明恵上人が感涙にむせんだという逸話に触れ、「子供の様に天真爛漫な人であった」と評している。

その後も、釈尊を弔いたいと熱望し、天竺までの道のりや旅程表を本気で作ったり、坐禅をした紀伊の鷹島でひろった石を愛玩し、その石にむかって辞世の句を詠んだりと、明恵上人のエピソードがいくつか語られる。ともすれば単なる人物紹介であり、「むかしはこういう奇特な人もいたもんだ」とおもしろおかしく読める。

いや、違う。

明恵上人が小石に向かって詠んだ辞世の句、「我ナクテ後ニシヌバン人ナクバ飛ンデカヘレネ鷹島ノ石」について、小林秀雄は次のように語っている。

屹度きっと石は飛んで帰りたかったに違いなかったろうが、飛んで帰れず、今もなお高山寺に止っている。何もおかしな話ではない。考えようによっては、人間とても同じ事だ。人間は何と人間らしからぬ沢山の望みを抱き、とどのつまりは何んとただの人間で止まる事でしょうか。専門歌人が、こんな歌はつまらぬなどと言っても作者の人格に想いを致さねば意味のないことです。

『私の人生観』

さらに別の明恵上人の歌も引き、別のエピソードを語ったうえで小林秀雄はしめくくる。

そういう伝記を心に思い浮かべて、明恵上人の画像を見ると、この大自然をわがものとした、いかにも美しい人間像が、観というものについて、諸君に言葉以上のものを伝える筈であります。

『私の人生観』

歴史に対する考え方について小林秀雄が語った言葉は多く残されているが、講演CDにも収録されている『講義「文学の雑感」後の学生との対話』で小林秀雄は、歴史家ならば自分の心の中にいにしえの人の心持ちを生かさなければならないと説き、学生にこう話している。

歴史家には二つ、術が要る。一つは調べるほうの術。そして調べた結果を、現代の自分がどういう関心をもって迎えるかという術です。

『講義「文学の雑感」後の学生との対話』

松林のなかで木によじのぼって坐禅をする。修行にさらなる厳しさを課すために自らの右耳を切り落とす。釈尊を弔いたいと本気でインドまで3万キロメートル以上の旅程を考える。小石に向かって辞世の句を詠む。通り一遍の解釈をするならば、明恵はなんとエキセントリックな僧だろう。

しかし、小林秀雄は明恵に対して「現代の自分がどういう関心をもって迎えるか」ということを実践している。歴史は自分の外にあるわけではない。自分のなかに経験し、まざまざと生き返らせる、思い出すことが歴史だという。坐像画を観て、伝記を読み、歌を知ることで、小林秀雄は明恵上人を思い出している。それを『私の人生観』で語り、書いたのだ。

歴史に、過去、現在、未来があるとは、空間に三次元があるようなものだ、そんな事を経験は決して告げてはいない。過去とは、思い出すという事だし、現在とは行動している事だし、未来とは願望し選択する事だ。私達は、皆そういう風に、歴史を経験しているのだし、そういう風にしか経験は出来ない。

『考えるという事』

小林秀雄を読むことは、小林秀雄を自分のなかに経験し、まざまざと生き返らせる、思い出すことなのかもしれない。

(つづく)

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