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小林秀雄と「禅」はなじみ深い

『私の人生観』という講演会の課題を与えられた小林秀雄は、そこに含まれる「観」という言葉から連想するものやことを連ねて話を進めていく。はじめは「人生観」という言葉の由来や成り立ちを近代の西洋思想の翻訳語を考え、次に語感からわが国における仏教思想を思い浮かべる。まずは7年間の能楽鑑賞で、その美に触れた『当麻』の中将姫とも結びつく、浄土教の重要な経典である『観無量寿経』について語る。

次に小林秀雄は、お釈迦様が菩提樹の下でさとりをひらいたとされる哲学的な観法である「禅観」の「観」を思い浮かべる。

禅というのは考える、思惟する、という意味だ。禅観というのは思惟するところを眼で観るという事になる。だから仏教でいう観法とは単なる認識論ではないのでありまして、人間の深い認識では、考える事と見ることが同じにならねばならぬ、そういう身心相応した認識に達する為には、また身心相応した工夫を要する。そういう工夫を観法というと解してよかろうかと思われます。

『私の人生観』

ここから、「観」から連なった仏教思想は「禅」の話になっていく。

仏教や禅という言葉こそ直接出さなくても、小林秀雄の文章には、禅につうじる考え方だと感じるものが繰り返し登場する。「無私」や「虚心」という言葉も禅の思想に重なるところがある。

(文章を)鑑賞するのに虚心ということが必要だ、自分を捨てて他人のなかに這入り込めなくてはならぬ、という事をいいますが、これは自分の心を賭けろという意味なのです。自分で意識している自分というものはほんとうの自分ではない。それは他人の借りものなのだ、他人から教った思想だとか意見だとか、習慣だとか方法だとか、感情だとかの寄り集りに過ぎない、そんな自分をすっかりすてて虚心になれ、つまり君自身の本体を賭けろという意味なのです。

『文章鑑賞の精神と方法』

無私というのは、得ようとしなければ、得られないものです。客観的と無私とは違うのです。よく、「客観的になれ」などというでしょ? 自分の主観を加えてはいけないというのだが、主観を加えないのは易しいことですよ。しかし、無私というものは、得ようと思って得なくてはならないのです。

『講義「文学の雑感」後の学生との対話』

『文章鑑賞の精神と方法』の発表は1934(昭和9)年。『講義「文学の雑感」後の学生との対話』は1970(昭和45)年。そして『私の人生観』の講演は1948(昭和23)年。このような長い年月にわたっても、小林秀雄の考え方は、まったくぶれていない。

それでも我々は、小林秀雄の文章を読むと難解だと感じる。また、読み進めるためには、分ったつもりになってしまう。文章における単なる知識についても、「日想観とか水想観とかいうものから始める」(『私の人生観』)と書いてあれば、ああ、そうなんだと、日想観や水想観が何だか分からなくても、とりあえず読み進めてしまう。再読するならば構わないが、同じ本を何度も繰り返し読む子どもと違って、多くの大人は繰り返し読もうとせず、新しい本を次から次へと読もうとする。

『私の人生観』はもともと聴衆を前にした講演だが、作品としては、講演録に加筆したものを、3つの雑誌に『私の人生観』『私は思う』『美の問題』として分載・発表した。さらに加筆したものを一つにまとめて単行本『私の人生観』が刊行された。

分載された部分をそれぞれを第一部、第二部、第三部と勝手に名付けるならば、その第一部にあたる『私の人生観』は、「観」という言葉から連想した仏教思想がほぼ全体にわたって語られる。固有名詞も、法華経、鑑真、明恵上人、兼好、源信、法然、親鸞、雪舟、西行、喜海、般若経…と登場する。それらが分からないのに分ったふりをするのでは、『私の人生観』を読み進むことはできない。

よって、次回からは「禅」を中心とした考え方や人物の説明が増えてくる。小林秀雄の本文における説明だけでは分からない場合、積極的に調べ、補充するつもりだ。小林秀雄は、「熟読」だけでなく「精読」も生涯にわたって繰り返し説いていた。それを実践するつもりである。

(つづく)

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