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ひねくれ者の私が大切な事を学んだのは死に方からでした


#創作大賞2024 #エッセイ部門

人が生きていると様々な出来事を経験する。
その中でも忘れることができない記憶となる出来事はいつでも強烈な喜怒哀楽を感じた出来事ばかりだ。

そして私の場合は誰かが亡くなった時の記憶が特に強烈に刻まれるらしい。
誰が亡くなった時のことでもいつでも鮮明に思い出すことができる。

そして私は知っている人が亡くなるたびに考えて理解して覚える。
こうして私はいくつもの大切なことを学んできた。

私が覚えている一番古い死別の記憶は祖母との別れになる。
いつ思い出しても元気に満ちあふれていていつまでも生き続けそうな様子の場面しか思い出せない人だった。
私が物心がついた時はそばにいて、一緒に暮らしているのが当たり前の人でありなんでもできる凄い人物、それが私の覚えている祖母だ。

そんな祖母も年齢を重ねていくと次第に弱っていき仕事もできなくなり家から外出することが少なくなっていった。
それでも祖母は学ぶということが好きだったので本を読む日々を送っていたものだ、その時に学ぶという行為には年齢は関係ないというのを感じた。

そしてついに祖母が亡くなりお別れの時がやってきた。
あの時私が感じたのは「祖母は亡くなりこれからはもう二度と会話することもできないと言われてもまるで信じることができない」ということだった。
まだ痕跡がそこら中にあるし記憶も新しい、現実感がまるでなかったものだった。
葬儀の時には多くの人がやってきたのを覚えている、見たことも無い沢山の人達が来てくれたのを見て「祖母は慕われていたんだな」と理解した。

祖母がいなくなった時に学んだ事は
「本人がいなくなってもこんな時にはこんなことを言うと分かっているから生きているのと変わらないという場合もある」
「大切な人が亡くなる時でも本人が幸せな最後を迎えたなら悲しみは半分になる」
「集まってくれた人々を見れば本人がどんな生き方をしたかが理解できる」
というような感じになる。
亡くなっただけでこれだけのことを教えてくれた祖母への尊敬の気持ちは今でも変わらない。

直接の関係の無い人物との死別の記憶だともう少し古い記憶がある。
それは高校生の時に教わっていた先生との思い出になる。
正直に言えばその先生が私は苦手だった。
真面目でしっかりした先生だったが厳しい人だったため不真面目な私は怒られてばかりいた。
元気な先生だったけれども突然学校から姿が見えなくなった。
どうしたんだろうと思っていたけれどもしばらく後になってから病気で入院したということを聞いた。
それならしばらくは会うことは無いなと思っていた、けれどもある日突然亡くなったと聞いた。
病気を治すために手術を受けたけれども残念ながら、ということだった。
先生は手術を受ける直前に学校に電話を掛けたそうだ。
「色々ご迷惑をお掛けしていますがこれから手術を受けます、治ったら頑張りますので」というような内容だったらしい。
それが最後の言葉だったと聞いた時「自分の立場や役割に責任を持つというのはどういうことなのか」について学んだ気がした。
たたき込まれた勉強のことはまるで覚えていないのにその話は今でもはっきり思い出すことができる、皮肉な物だと思う。

私は亡くなり方には様々な形が存在しているが一番最悪な形と言える物、それはやはり自分自身、もしくは他者の意志によって命を絶った場合だと思っている。
以前そう思わせる死に方も経験したことがあった。
死に方が死に方だったので状況は詳しく言わないがあれは酷い物だった。
祖母が亡くなった時には悲しくはあったけれども今までの感謝の思い、それと少しの寂しさがあった。
けれどもその時はただただ悲しみと絶望、触れたくない考えたくないという感情が湧いてきた。
別れという点では同じだったがここまで違うのかと衝撃を受けた。
遺言にも遺族にも知り合いにも悲しみだけが存在していた、それに本人自身もこれが正しい判断だったとは思っていなかったはずだった。
その時私が思ったのは「自分が死ぬ時は堂々と笑って逝けるようにしたいものだ」ということだった。
自分の人生という物語の幕を下ろし方は位は最高の物であってほしい、それが私の結論だった。

祖母の知り合いの方との別れも私に学ばせてくれたものだった。
生きているのが奇跡、いつ死んでもおかしくないという体で生きている方だった。
そんな状態なのに炊事洗濯掃除を自分でやっている上に孫の面倒まで見ていたのだから凄まじいの一言だった。
そんな状況なのに人のためになろうと行動し、毎日が幸せだと言って笑顔を浮かべていたあの方は今でも私にとって最強の戦士の一人である。
絶望的状況しか存在していない毎日を幸福に全力で最後まで生き抜いたあの老人の死に方に私は「本当の強さとはなにか」を学んだ気がした。
その強さにはまるで勝てそうに無いが少しでも近づきたい、と思いやれることをやっているのが現在の私でもある。


こうして少し振り返っただけでも多くの人達との別れが私に色々な事を教えてくれたものだ。
良き別れもあればそうでない別れもあった、けれどもそれが人生とも言える気がする。

せっかく学ばせて貰ったことなのだから少しでも生かしていきたい。
そう改めて思わされた。

そうそう、肝心なことを言うのを忘れていた。
誰かに何かを伝える時には言葉が必要だ。
言葉が無くても伝わると思うのは甘えであり間違いだと思う。
だからこそ対話をして伝えるべきことを正面からぶつけることが必要である。
ただし、本当に大切なことを伝える時には言葉だけでは足りないこともある。
そういう時には自分なりに足りない何かを示すしか無い。
やり方も示す物も人それぞれ違うと思う、それでもやるしかないし必ず伝わるはずと私は思う。

なにしろ私自身あの人達から言葉ではまったく教わっていないのだから間違いないと言い切れる。

これこそが私の出した最大の結論である。

なおこの話はノンフィクションなので作り話と勘違いしないで欲しい。

以上



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