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エッセイ・詩:深く深く分け入って、瓦解する



わたしは、ひとつのことを、どこまで深く理解できるだろうか。




本を読めば、「何か」が分かった気になる。

読めば読むほど、「何か」が分かった気がする。

おお、わたしは、「何か」を理解した。

そして一週間後、わたしの理解が瓦解する。

わたしは、あのとき「何か」を理解したはずだった。

でも結局、何も理解できていなかった。

そして数年後、わたしはそれを繰り返していることに気がつく。

わたしは、「何か」を理解した気になって、そして、その理解が瓦解する。


小説を読む。面白い。

映画を観る。面白い。

マンガを読む。面白い。

音楽を聞く。面白い。

友人と話す。楽しい。

ご飯を食べる。美味しい。

夕陽を見る。綺麗。

わたしは、何かを理解する。

しかし、一週間後、理解は瓦解する。

わたしは、何かを理解するとき、言葉でそれを定義する。

言葉に「何か」を置き換えたとき、わたしは、理解した気になる、その「何か」を。

「何か」を言葉に置き換えるために、わたしは、5W1Hを問う。

いつ、どこで、誰が、何を、なぜ、どのように。

ひとつ問えば、ひとつ深く入り込む。

もっと深く入り込むために、わたしは、ひとつ問う。

いつ主人公はこんなことをした?

わたしは、ひとつ問う。

どこでこの曲は作られた?

わたしは、ひとつ問う。

誰がこの小説を書いた?

わたしは、ひとつ問う。

この詩は何を表現している?

わたしは、ひとつ問う。

この映画のこのシーンは、なぜ必要だったのか?

わたしは、ひとつ問う。

このマンガの絵は、どのように描かれた?

ひとつ問い、ひとつ言葉に置き換える。

わたしは、「何か」を理解する。

しかし、わたしの理解は、一週間後に瓦解する。

言葉が間違っていたのか、わたしの問いが間違っていたのか。

行き止まり、断崖、引き返す、別の道、こっちだ、また問う。

ひとつ問う、ひとつ深く入り込む。

また、ひとう問う、また、ひとつ深く入り込む。

深く深く分け入って、行き止まる、断崖、引き返す、別の道。

深く深く分け入って、わたしは「何か」を理解する。

一週間後に瓦解して、行き止まってしまうとしても。

わたしは、ひとつ、またひとつ問う。

わたしは、誰で、いつ、どこで、何を感じたのか。

わたしは、なぜ文章を書くのか。

わたしは、どのようにして書くのか。

深く深く分け入って、わたしは書き、行き止まり、瓦解する。

いくらでも、瓦解するがいい。

深く深く分け入って、わたしは書く。

そして、瓦解する。




瓦解したわたしに、音が聞こえだす。

他者の声だ。

わたしにとって、他者は音として現れる。

大勢の声は、反対意見を許さない、あるいは許さないと思わされる。

大勢の声によって形作られた理解は、力強く、ちょっとやそっとでは、瓦解しない。

瓦解しないけれども、違う形を排除する。

同じ形の理解だけが、許容される。

批評家の声が聞こえる。

批評家は、大勢の声とは違う、か細い声。

小さな声だが、その論理性によって、ちょっとやそっとでは、瓦解しない。

その声に従えば、自分も強くなれる気がする。

しかし、その声はわたしの声ではない。

その声が聞こえなくなったとたん、わたしの理解はまた瓦解する。

メディアの声が聞こえる。

メディアの声は、そのとき、金銭と交換できる声、金銭価値のある声を永遠とループして流し続ける。

そのループは、緩やかに移行するので、ひとびとは、違うループになっていることに気がつかない。

瓦解の音を薄く引き延ばすことで、瓦解を免れようとする。

わたしは、ひとつ、またひとつ問う。

わたしは、誰で、いつ、どこで、何を感じたのか。

わたしは、なぜ文章を書くのか。

わたしは、どのようにして書くのか。

深く深く分け入って、わたしは書き、行き止まり、瓦解する。

いくらでも、瓦解するがいい。

深く深く分け入って、わたしは書く。

そして、わたしは瓦解する。

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