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  • 三つの図形、一本の線

    詩、小説、エッセイ、感想文を書いています。

  • デレラの読書録

    読んだ本について思ったこと感じたことを記録します。 小説や詩集やエッセイ、あるいは学術的なものまで、ジャンル横断的に読みたいです。

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    文芸作品に対して抱く「感想」について考える連載記事です。

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    デレラが全く自分勝手な目線でマンガの感想を書きます

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感想文:二つの矛盾(映画『オッペンハイマー』について)

映画『オッペンハイマー』の感想文です。ネタバレがありますのでご注意ください。 映画『オッペンハイマー』を観ました。 原爆の父と言われるオッペンハイマー博士の人生を描きだす本作は、繰り広げれる会話劇、映像美と音楽美、名俳優たちの演技、巧妙な時間操作の演出が話題です。(すごい!) SNSではさまざまな評価がなされています。 原爆というテーマは、肯定・否定の両面の感想を巻き起こしています。 わたしは、肯定・否定の単純な二項対立を離れて、この映画で描かれる二つの矛盾に注目し

    • デレラの読書録:櫻木みわ『カサンドラのティータイム』

      例えるなら、ガラス細工を手に持って綱渡りをするようにして書かれた小説。 家庭内、あるいは大人二人の間のプライベートな、閉じた空間で起きた出来事について、そこで生じる「暴力性」を問うとき、どのような言葉が必要になるだろうか。 暴力性を問おうとすれば、加害と被害を二項対立を避けて通れない。 被害を受けた登場人物に同情的に物語は進むが、加害の生まれた原因に踏み込む展開に、作者の覚悟を感じる。 本当にこれで良かったのだろうかと逡巡しながら、答えのない状態で、手探りに言葉を紡い

      • デレラの読書録:村上春樹『一人称単数』

        表題作含む8作の短編集。 「小説における描写は、単に描写なのであって、テーマや教訓などは無く、ましてや象徴的な意味はない」ということを、村上春樹はこの作品のなかで少なくとも二度書いている(p.97,p.209)。 しかし、本当にそうだろうか。 小説家という存在は(特に村上春樹は)、そんな単純な生き物では無いとわたしは信じている(実際は分からない、わたしがそう信じているだけだ)。 そう書かれているからと言って、必ずしもそうでは無い。 むしろ、そうで無いからこそ、敢えて

        • デレラの読書録:新川帆立『先祖探偵』

          戸籍を辿って先祖を調査する先祖探偵。 依頼人はそれぞれの動機を持って先祖の調査を依頼する。 なぜ依頼したのか、という動機への問いによって物語は駆動する。 物語の小道具として戸籍を使うのがとても面白い。 戸籍とは何か、と自然と考えさせられる。 戸籍というものは普段は意識しない。 わたし自身、数年前に結婚したときに、久しぶりに戸籍に対面した。 なんか高級そうな紙に印字された氏名と住所が戸籍である。 確かに物理的には紙っぺらでしかない。 しかし、その紙は物理的な存

        感想文:二つの矛盾(映画『オッペンハイマー』について)

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          デレラの読書録:宮内悠介『国歌を作った男』

          2016年以降に各所で掲載された短編を集めたノンシリーズ短編集。 現在刊行されている長編の原型となる短編もあり、そういう点でも面白い。 ノンシリーズとは言え、一貫した流れのようなものが感じられる。 言わば、BGMのようなものである。 表題作の「国歌を作った男」は、ゲーム内BGMが国家と呼ばれるまでの物語である。 「夢・を・殺す」でも、ゲーム内BGMが出てくる。 BGMというモチーフが、わたしは印象に残った。 宮内悠介の描くBGMは、独特の雰囲気を持っている。

          デレラの読書録:宮内悠介『国歌を作った男』

          デレラの読書録:市川憂人『ジェリーフィッシュは凍らない』

          1980年代のU国、真空気嚢を作る新技術により開発された新型飛行船「ジェリーフィッシュ」はその名の通り海月のような見た目であった。 ある日、ジェリーフィッシュが燃えているという通報があった。 雪山で炎上したジェリーフィッシュ、乗員6名は全員死亡。 しかも死因は、全員が他殺であった。 誰かが殺したのであれば、誰かが自殺でなければならない。 一方で、侵入者がいたならば、空飛ぶジェリーフィッシュに、また遭難した雪山にどうやって現れ、そして消えたのか。 『そして誰もいなく

          デレラの読書録:市川憂人『ジェリーフィッシュは凍らない』

          デレラの読書録:金原ひとみ『アンソーシャル ディスタンス』

          アルコール、美容整形、化粧、不倫、SNS、コロナ禍、自殺、セックス、激辛料理。 多彩なテーマが取っ替え引っ替えに繰り出され、描かれる五つの短編。 現代日本を生きる登場人物たち。 各作品は独立しているが、彼らは「ある感覚」を共有している。 登場人物たちが共有する「ある感覚」とは何か。 それは「不能感」である。 つまり、コントロールの不能感だ。 人間は多かれ少なかれ不能感を抱える。 管理可能/不可能の境界は人によって違うし、時代によっても違う。 わたしはコンビニ

          デレラの読書録:金原ひとみ『アンソーシャル ディスタンス』

          デレラの読書録:チバユウスケ『詩集 ビート』

          日本のロックシンガー、チバユウスケの詩集。 伝説的ロックバンドであるミッシェル・ガン・エレファントから始まり、いくつかバンドを変えながら15年間で書き綴った名曲たち。 ロックバンドの演奏と歌声から解放されて宙を舞った言葉たちが、紙の上に降り注がれ着地した。 楽曲とは違う印象を楽しめる。 詩が楽曲から解放されるというのは、どういうことか。 この詩集には「二つの仕掛け」が用意されているように思う。 一方は「チバユウスケの親父の絵」、もう一方は「私小説であること」だ。

          デレラの読書録:チバユウスケ『詩集 ビート』

          デレラの読書録:平井靖史『世界は時間でできている ベルクソン時間哲学入門』

          ベルクソンの難解な時間哲学を、問いの前提から説明してくれる本書。 専門用語にこだわらず分かりやすくパラフレーズしてくれる。 専門用語の再生産ではなく、日常語に換言して読者の想起を促す。 まさに創造的である。 では、ベルクソンの時間哲学とは何か。 時間と聞いて、わたしはまず「絶対時間」を連想する。 「絶対時間」とは、ようは客観的な時間である。 誰にとっても同じ時間、ひとによって変わらない絶対的な時間。 しかし、ベルクソンはそれは空間化された時間だと言う。 空間

          デレラの読書録:平井靖史『世界は時間でできている ベルクソン時間哲学入門』

          デレラの読書録:ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』

          この小説は、トマーシュとテレザという二人の主人公の恋愛小説である。 しかも、この二人の恋愛は単なる恋愛ではなく、形而上学的な恋愛である。 どういうことか。 つまりは、二人が何を信仰しているのかが賭けられているということだ。 主人公を含め、サビナやフランツなどの登場人物らは「軽さ」あるいは「重さ」を信仰した。 パルメニデースによれば、軽さは肯定的で、重さは否定的である。 しかし、この物語はそういう単純な二項対立に対抗するために書かれたように思う。 本当に軽さは肯定

          デレラの読書録:ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』

          デレラの読書録:熊野純彦『レヴィナス入門』

          フッサール、ハイデガーの思想との対立でレヴィナスの思想を、そのギリギリの思考を描き出す本書。 世界大戦時に収容所を体験しているレヴィナスの思想。 独自の「他者」の概念はあまりに難解だ。 ではその概念を理解するための手がかりは何か。 それは贈与である。 どういうことか。 それは、世界は与えられている、ということだ。 さらに言えば、「与えられてしまっている」ということ。 わたしたちは世界を糧として享受している。 そう聞くとあまりに牧歌的であるが、しかしこの享受は

          デレラの読書録:熊野純彦『レヴィナス入門』

          デレラの読書録:伊藤邦武『プラグティズム入門』

          プラグマティズムとは何か。 パースから始まり、ジェイムズ、デューイ、クワイン、ローティ、パトナム、そして現代のニュープラグマティズムへの潮流をざっくり知ることができる。 プラグマティズムは「真理」について真摯に向き合う思想である。 真理とは何か。 懐疑の果てに疑い得ない真理に本当に至ることができるのか。 普遍的で不変の真理というものがあるのか。 もし真理がないとしても、わたしたちは「真理のようなもの」を便利に使っている。 何が「真理のようなもの」を保証しているの

          デレラの読書録:伊藤邦武『プラグティズム入門』

          デレラの読書録:フィリップ・K・ディック『ヴァリス』

          まさに怪作である。 妄想、スピリチュアル、人格分裂。 グノーシス的なディック独自の神学が全体を覆い隠し、この小説が何を物語っているのか(そもそも小説なのか?)容易には理解できない。 久しぶりに読み返して感じたのは「渇望」である。 この小説(一旦これは小説であると措定する)が分かりにくいのは、まずは各所で挿入される「ディック独自の神学」だ。 その神学を一旦横に置けば、シンプルに、救済を求める主人公の物語である。 主人公はホースラヴァー・ファットという男だ。 しかし

          デレラの読書録:フィリップ・K・ディック『ヴァリス』

          デレラの読書録:加藤文元『物語 数学の歴史』

          数学の歴史を、あえて弁証法的な物語として描く本書。 ひとつひとつの理論を理解出来なくても、その理論が必要とされた時代的な背景を知ることで読み進められる。 数学の歴史で起きたパラダイムシフト、既存の理論を疑い、乗り越えるスリリングな展開。 数学とは不思議なものである。 数学的な「正しさ」を、わたしたちはどのように感じるのか。 本書は、「正しさの感性」についても言及している。 どのように正しさを感じるのか。 一つは、論証であり、言葉の技(三段論法や背理法など)である

          デレラの読書録:加藤文元『物語 数学の歴史』

          感想文:「涙がこぼれそう」について

          the Birthdayの名曲「涙がこぼれそう」の詩について。 チバユウスケの詩に心動かされてしまうのは、「所在なさ」あるいは「行方なさ」を射抜いているように感じられるからだ。 所在とは、居場所である。 「涙がこぼれそう」の冒頭の「俺さ今どこ?」は端的に「俺の居場所なさ」を表現している。 「俺」は自分の居場所が分からない。 だから電話を探して「あの娘に聞かなくちゃ」ならない。 自分の所在が分からなくなり、電話で自分の居場所を聞く。 「あの娘」は「俺」の場所を確定

          感想文:「涙がこぼれそう」について

          デレラの読書録:フィリップ・K・ディック『聖なる侵入』

          奇妙なSF小説である。 幻想、妄想、陰謀論、スピリチュアル、ドラッグ、幻覚、そういう怪しい物がごちゃ混ぜになった、まるでおもちゃ箱ような小説を書くディック。 「ヴァリス三部作」の二作目。 「救済」についてのヤバい思考。 この小説で描かれる「救済」のどこがヤバいのか。 人生には辛いことが付きものだ。 「しかし、捉え方次第で人生は良くもなるし悪くもなる」、そういう考え方があるだろう。 その考え方はある一面では正論だし、実際にひとの気持ちをフッと軽くしてくれるのも事実

          デレラの読書録:フィリップ・K・ディック『聖なる侵入』