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もっとキャッチーでキュートなハイデガーが読みたい

今さら誰に気を遣うつもりもないが、論理的に話せる人が好きだ。
これが有り難いことに、僕の独特な趣向という訳でもなく、一定の割合の人は僕と意見を一にするらしい。
書店に行けばもはやデフォルトの様にロジカルシンキング系の本が平積みされている。
そういう見慣れた光景のおかげで、特にネガティブな印象もなく自分の好みとしてこの感覚を抱いてきた。

それが最近になって、論理的な話が出来る人との居心地の良さって"自己本位"に基づいてるんだな、ということに気付いた。
論理的に話してくれれば、その人が持っているエピソードなり、ハウツーなりの情報をストレスなく、端的に、即物的に消費することができる。
だから聞いている側はコミュニケーションコストが掛からない。
相づちも相の手も入れやすいし、自分はこの人の話が理解できているという自己効力感が高まる。
言葉が塊として入ってくるから、明日から使える借り物の言葉Boxにストックするのに丁度いい。
結果として気持ちがいいから何度でもその人から話を聞こうと思う。
言うなれば、論理的な人は「利用しやすくて都合の良い人」なのだ。

だからロジカルシンキング浸透の行き着く所は、あらゆる分野のあらゆるバックグラウンドを持った人々が互いに"利用しやすく、都合の良い人化"した社会だ。
利用しやすい、都合がいい、という表現にはモノ消費的なニュアンスを抱いている。
つまるに、ロジカルシンキングなんてのは、そもそもがもっとスムーズな知的消費関係を構築したいっていう自己本位的でテイカー気質な発想から出発した概念なんだろうな、とそんな風に捉えている。
(こう考えてみると、そんな無機質で機微のない社会、ロボットみたいで逆に気味が悪いが)

まあ別に僕はそこまでこの自己本位気質な知的消費関係をつくりたいっていう考え方に否定的な訳でもなくて、
なんなら、一部の直訳調で堅っ苦しい各学問の名著とやらは、もっと読者のコストを下げろと思っているから穏健的に賛成しておく。

資本論のマルクスはもっとポエミーでキャッチーに資本主義の欠陥を証明しろ。
って言いたいし、
存在と時間のハイデガーはもっと口語でキュートな存在論を描いてくれ。
って心の底から思う。

ただただ長文を読み切った、という見せかけの達成感だけは湧いてるクセに、3割も頭に残っていない名著とやらの読後の"もや"のかかった虚無感に、そんな八つ当たりをしてみる。

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