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ヨーガ・スートラ第一章のおさらいと第二章の要点(八支則はゴールではありません)

参考までに前回の記事


 ヨーガスートラは、第一章だけでも心の苦しみの原因が明らかにされていますし、その解決方法も示されています。なので第一章だけで完結と言われても違和感のない内容となっています。それは、この経典が複数の宗派の複数のテクストを編集しなおしたものだからです。そこには佛教やジャイナ教の行法も含まれます。宗教実践の方法もヨーガです。
 編者のパタンシャリは当時入手可能な全ての行法に目を通して、この経典をまとめ上げたのでしょう。つまり、第一章にまとめられた内容は当時のヨーガ行法の主流派の行法を記載したものと言えます。それは現代ヨーガのような体操系のヨーガではなく、瞑想系のヨーガです。

 ヨーガスートラに限らず、インド哲学というかインド人の考え方は、最初に結論やら訴えたい主題の概要をポーンと出してきて、その主題を一段噛み砕いて定義した一覧を(箇条書きのように)出してきて、さらにその一項目毎に掘り下げる。という構成を多く見かけます。
 第一章だけでも解脱し生きることが楽になるはずなんですが、スートラは四章まであります。では第二章は第一章を詳細に解いているのかと言えばそんなことはなく、同じような内容のリフレインだったり系統が異なるのではないかと感じる部分も有ります。多数のテクストの再編集なのだと理解すれば、納得できる内容ですね。

 さて、前回の記事は講座の紹介だったので、ほんの概要でしたが今回は少しだけかみ砕いて説明してみます。

ヨーガとは何か?
ヨーガスートラⅠ-2:心の活動の停止/心のはたらきの死滅、等と訳されます。

 ヨーガ・スートラの読者ターゲットはサンスクリットを理解できる上級階層(いわゆるバラモン)の中でも、さらに専門教育を受けたエリートでしょう。なぜなら日常会話や詩文とか物語りといった一般的なサンスクリット文献ではなく、スートラとは《数学の公式集》のような極限まで無駄な情報を省いた文章表現だからです。バラモン階級に生まれた子供たちは一般の学校とは別にヴェーダ(もちろんサンスクリットで記述されている)に関わる学校にも通うと聞きました。バラモンと言っても貧乏暮らしの人もいるので全部の人達とは言えませんが、それなりの名家は今でもその伝統を守っているといわれます。そのような教育環境の整ったバラモンの子弟だからこそスートラ(と言われる文章表現)が理解できるのでしょう。
 その上でさらに、出家修行者である人々が読者ターゲットなのです。堅気の暮らしで幸福を求めている人はターゲットではありません。
 堅気で幸福を求める人はヨーガスートラなんていう面倒くさいヨーガ哲学なんかより、トリヴァルガと呼ばれるアルタ(富や名誉)、カーマ(性愛/子孫繁栄)、ダルマ(道徳や世界の法則に沿った生き方)を求めることが推奨されています。その代わり、金銭の悩み、性愛や親子関係、人間関係やら社会生活の悩みと共に暮らすことになりますけどね。

 コレらのことを頭に入れてから『心の活動の停止』という文章を考えてみます。喜怒哀楽の感情表現や空腹感、多幸感、寂寥感、孤独感、慈悲心とかも心の活動です。可愛いだの素敵だのと感じることもそうです。これらを含めた『心の活動』をなくしてしまえ!ということがヨーガスートラの教えですが、そんなことは出家して深い山奥に籠り、人と触れ合うことを完全に断たなければ出来そうにありません。あるいはこの肉体を脱ぎ捨てて涅槃とかお浄土とかいわれる別世界に行くことでしょう。生きる歓びを捨て去ることと同じことです。

 世の中には各種の薬がありますが、大量に摂取したり、原液のまま使用したりすれば毒にしかならないことは常識ですね。同様にヨーガスートラも原液のまま(出家修行者向けの説明)では社会生活が送れなくなってしまいます。
 そこで、在家の我々にも実現可能な言葉に置き換えて(原液を水で薄めて)みる必要があります。(全然関係ない話ですが、ウィスキーは加水して(水割りにすると)香りが花開くのだそうです)

心のざわめきを鎮める技術体系をヨーガと呼ぶ

 こう訳したらどうでしょう?
『心の活動を死滅する』よりは身近に感じませんか?
 すぐにイラッとしたり、いつまでもクヨクヨしたり、人前に出ると緊張したり、隣の芝生が青く見えたりといった『無駄に心が騒いでいることを自分でコントロール出来るようになる』そんなことを目標にするのがお手頃だと思いませんか?

もう一度ヨーガスートラ第一章の概要を振り返ってまとめてみます。
心の活動チッタ・ヴリッティ(心から流れ出る煩悩)の停止二ローダ(堰き止め)である。[心のざわめきを鎮める技術体系をヨーガと呼ぶ](Ⅰ-2)
・ヨーガスートラのヨーガとはフィットネス的な体操ではなく瞑想による解脱のための修行体系である。
・編者パタンシャリが当時入手可能な全ての行法をまとめなおしたものであり、そこには佛教やジャイナ教も含まれる。
・論理的な哲学[多様な世界をどのように理解するかをまとめた学問体系]はサーンキャ哲学に則っている。
・精神性原理(非物質性原理)と物質性原理の二元論(別物であることを理解する)に基づいているので、世間でよくいわれる「ヨーガとは結合を意味する」ということとは相容れない(二元を二元と理解出来ないから苦が起きるとされている)

 現代に生きる我々は解脱なんか求めていませんよね?
 それでもナニカに縛り付けられた暮らしの苦しさからは抜け出したいし、それどころか苦しみなんか無い方がよい、身体も健康でいたいし老いさらばえるよりは若々しくいたい。死ぬことなんか遠い未来のこと、と思いながら同時に生きていてもしょうがないとか死んだ方がマシ、とか気分が落ち込むこともある。
 YOGAに限らず、身体を動かすことや旅行することで気分転換したり、生きる活力を取り戻したり出来ます。
 色々な生き方があるのに、何だかわからないけどヨーガが好き❤️になったのだから、ポーズだけでなくプラーナーヤーマや瞑想もやってみたいし、ヨーガ哲学も知りたい!
 多分ほとんどの人はそれくらいの思いでヨーガスートラを手にしてみたものの、なんだか難しそうに感じて、有名な八支則だけ読み込んで、わかった気になるんですよ(笑)
 昔の自分もそうだったし、ほとんどの人もそうみたいだから、少しだけヨーガ・スートラの歩き方をガイドしてみたいのです。(褒めてね😆)

 第一章のタイトルは「三昧の章」といわれます。[第二章の終盤に書かれている]八支則の最後のサマーディ(三昧)です。第一章だけ見ても、サマーディに至るための方法が多数書かれているのに世間的にはあまり参考にされていないんですよね。第一章の内容って。
 この記事の中ではそのサマーディに至るための、第一章に書かれている方法の中の一つだけをご紹介しておきます。しかもそれは第二章の初めでも記載されていて、第二章の後半の八支則の中のニヤマにも含まれている。つまり三回も手を変え品を変え登場するという、作者(編者)パタンシャリがよっぽど伝えたかったことだと思われる行法です。
 それは1-23《イーシュワラ・プラニダーナ=自在神祈念》といわれるもので、めっちゃザックリと言えば『神頼み』とか『念佛』です。
 第二章の最初(2-1)には『熱行タパス学誦スワディヤーヤ自在神祈念イーシュワラプラニダーナがヨーガ行である』と宣言し、次いで(2-2)で『ヨーガ行はサマーディを追求することと煩悩を弱めることである』と再度《ヨーガ行》を定義しなおしています。
 煩悩を弱めるために念佛して、サマーディに至るために念佛する。瞑想しながら念佛して念佛と自分がひとつになれば[我々在家にとっての]サマーディに至る。とも読めます。
 だってヤマの最初の非暴力アヒンサーひとつだって実現できますか?
 満員電車で足を踏まれたら「何だコイツ💢」と怒りの衝動が襲いかかってきます。上司やお客様から理不尽な言葉を投げつけられたらどうでしょう?
 アヒンサーとは直接の暴力だけでなく心に思い浮かべることも言葉にすることも、他人に[暴力行為や暴言を]させるように仕向けることも、さらに言えば他人が行なっているそれらを見過ごすことも禁止なのですよ。
 理念として知っていることと、実現可能なことは違うことがあります。出来もしないことに縛られるのは苦しいだけです。
 繰り返しますが、我々在家のヨーガ愛好家は、ヨーガ・スートラの原液を薄めて味わうことが精々だと思っています。例えばヤマ、ニヤマについても、出家修行者にとっては絶対に守るべき規則かもしれませんが、在家の我々は『推奨事項』として折りに触れて思い出し、守るように努力するという考えでいて、本格的に修行する機会が[来世かもしれないけど]やってきたらその時にする。でどうでしょう?
コレを読んだ皆さんはどう思われますか?


 いやいや、自分はきちんと学びたいんだ!
という人もいるでしょうから第二章についても概要をざっとまとめてみますね。
2-3からは、心の騒めきは煩悩が原因である。
 その煩悩とはいったい何者なのか?何故湧き上がるのか?と心の奥底を探ろうとします。
 そして『心』とはそもそも何なのか?
と根源的な問いが湧いてきます。
 それを更に深く追求すると

◇この世界(宇宙)とは何か?
◇何のために存在するのか?
◇その理由が明らかになったとして、目的が達成されたら、この世界(宇宙)はどうなってしまうのか?

 おそらくそんな哲学的な問いを立てた人が居て、その回答モデルとしてこの世界を構成している『プラクリティ』という物質原理を考え出したと思われます。
 また、その物質原理に影響される事のない、非物質原理の存在として『プルシャ』という概念をも生み出したのでしょう。そのプルシャとプラクリティについての説明が、2-18から始まります。
『物質原理に影響される事のない』というのは、まさに心の活動の無い状態です。ここ迄でも充分に目的を達成する方法が述べられているのですが、さらなる追い討ちが八支則です。
 八支則の説明なんてネット上でも腐るほど有るので、ここではその詳細は述べませんが佛教やジャイナ教に影響されている、というか丸パクリの部分が有ることは頭に入れておいた方がいいでしょう。
 お釈迦様の教えの根本とされる四諦八聖(正)道(この世は苦しみばかりだが、その原因を知れば苦を滅することが出来る。そのためには八正道を行えば良いとする教え)八正道と八支則はかなり近しい概念のようですし、ヤマの内容はジャイナ教の教えそのものの言い回しや語順のまま採用されています。
 そして、この第二章では八支則の前半の五つの支則だけが述べられており、残りの三支則は第三章(超能力の章)に書かれていると予告しておきます。
 前半の五支則は外界との関連項目ですが、第三章では心の奥底にダイブすると起きるアレやこれやです。ダイブすると超能力で外界に影響を与えることが出来るのでしょうか?それは心の作用ではないのでしょうか?(乞うご期待)

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ついでに、ヨーガスートラのアーサナについては過去にこんな記事を書いています。↓



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