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人生の秘密を教えてもらったザ・ハイロウズの「夏の朝にキャッチボールを」

どうしようもなく落ち込んでる時期が続くと、ブルーハーツ、ハイロウズ、クロマニヨンズの曲しか聴かないということに、ある日気がついた。

何百回と聴いてる中の1つが、「夏の朝にキャッチボールを」だ。

この曲、はじめて聞いたときはなんとも思わなかったのに、数年後に聴いたら、びっくりした。

私には、人生の真理を教えてくれてる気がした。
しかも、すごく重要なことを。

できることならば なんだってできる
なれるものならば なんにでもなれる
説明ならできないけど
ある日急にわかることがある

夏の朝に キャッチボールを
寝ぼけたまナチュラルハイで
幸せになるのには別に誰の許可もいらない

ザ・ハイロウズ「夏の朝にキャッチボールを」

仕事でボロボロになり
恋愛で失敗したあとに
一度自暴自棄になったことがあった。
そしてどん底まで落ちたと思ったあとに
ふと気がついたのだ。

自分が思い描いたとおりに、よくも悪くも自分が成っていたことに。

そして、こう思った。
もし、思った通りになるのだとしたら、

人間が今現在、誰か一人でも出来てることって言うのは、もしかしたら自分にもできることなのかもしれない。
誰かがなれてる職業は、自分だって出来るのかもしれない。

ただ、出来るという確信を持つこと、
自分を信じること、
なりたいという気持ち、
そして、
そのなりたいものとの差が開いてる分だけのとてつもない努力。これが一番重要かもしれないけど。

もうひとつ気がついたのは、
十年前に自分が想像したことまでの上限が、十年後に自分がなれている姿の頭打ちであること。

私はあまり自分に自信がなかったので、
「何かになれるわけがない」
「平凡な会社員になって
誰かの下で興味のない仕事をして働いてる」
という想像を
子供の頃からしていた。

その通りになってしまっていた。
それ以下でもそれ以上でもない。
どうせそうなるなら、なんでもっと希望のある未来を想像しなかったんだろう。
子供の頃に戻れるなら
あの子に自信をつけさせてやりたいきもちだった。

試しに、自分がなりたいことを想像してみた。
毎朝
毎朝
口に出してみた。
あきれるほど信じこもうとした。
三年後にはその通りになっていた。

不思議だけど、いろんな偶然もかさなった。でも、スピリチュアルなことだけでなく、
気持ちも行動もそこに一直線にむかっていたこともとても大切だったと思う。

そんなときに、
またこの曲を聴いて
あれ?!
と思ったのだ。

そんな感じのことを、言ってるようなきがしたのだ。


やりたいことに制限をもうけなくていい。
限界は自分がきめてる。

もういい大人だし
野球なんてしたことないけど
興味を持ったなら
好きなときにキャッチボールしたらいい。

ためしに
人生で一度もさわったとこのないグローブを買ってきた。
朝五時に起きて
近くの山ノ上でキャッチボールをした。

やりたいと思ったら、
道具を買って
早起きして
仲間を見つけて
やったことのない
やろうと思ったこともないことも
翌日にはできていた。
あたりまえだけど、
すごく素敵なことなんじゃないかとおもった。

なんだかんだ気分次第
自由になら一秒でなれる

ザ・ハイロウズ「夏の朝にキャッチボールを」

止めてたのは自分だったんだ。

宇宙史上最高の時
幸せになるのには別に 誰の許可もいらない

ザ・ハイロウズ「夏の朝にキャッチボールを」


朝日が私たちを照らしてた。
下手なのにボールも私たちもかがやいてみえた。
夏の朝にグローブ持って山にいる自分を感じながら、
自分で選択したから、今私はここにいるんだとおもったら
その自由に
宇宙史上最高とおもえた。

そういえば
大失恋をした8月のある日
寝ずに夜中から明け方にかけて
始発で日光に泣きながらたどりついてしまったことがあった。

そしたら、
東照宮のよこの大きな寺で
樹齢300年の日光杉に囲まれた
清々しい空気の中
若いお坊さんが袈裟姿で
キャッチボールをしていた。

違和感のある姿だったけど
とても楽しそうだった。

つらすぎて誰も知らない土地にいきたいと泣きながらたどりついた先で
ふとおもいだせた。

夏の朝にキャッチボール。

悲しみ続けるのか、
切り捨てて楽しい未来を想像するのか
選択肢は私の手のなかにあるんだ。




長い文となってしまいました。
つたない文章を最後まで読んでいただき
ありがとうございました。


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