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中国人学校で過ごした日本人の息子

1、【僕、学校に行きたくない!】

小学2年生のある日、息子が浮かぬ顔で帰宅してきました。
「僕、学校行きたくない!」

「いじめられたの?」と聞いても首を横に振るばかり。

当時は、誰とでも明るく自然に話ができる息子でした。
しかし、その時は私の問いには答えませんでした。

息子はそれまでは近所の公立小学校に通っていました。

「運動が苦手なので、体育の時間がつらかったのかな?」
「体操やダンスの時間で先生に教わった通りにせず、また自己流にやってしまって怒られたのかな?」

当時私は、息子が独自の行動をするのは、ただの個性ととらえていました。
(その後、約20年も発達障害だとは気づきませんでした。)

日本の学校は、誰もが勉強も運動も一通りやらなければならない仕組みになっている感じを受けます。それが息子と私を非常に苦しめました。

息子は運動がとても苦手です。
私は心配で、小学校入学前から息子をスイミングスクールに通わせました。
小学校入学後に体育では縄跳びの宿題がありましたので、
私も縄跳びを購入し、ほとんど毎日一緒に頑張りました。
特訓の成果があって、なんとか息子は二重飛びができるようになり、
私に至っては三重飛びもできるようになりました(笑)

そろそろ逆上がりも練習しないといけないなぁ…
マット運動も跳び箱も苦手だから、(本人は行きたがらないだろうけど)
体操教室に行かせたほうがいいかも…
悩みは尽きません。

これから高学年になっていくと、もっともっと苦しくなるんだろうなぁと、不安でいっぱいになりました。

そんな時に「学校に行きたくない」です。

2、【転校のきっかけになった嬉しい出会い】

私は「どうすれば良いのだろう?」と、苦しい心になりました。
気晴らしに息子と近くの海辺まで散歩に行ってみました。そこで嬉しい出会いが!
小学校高学年ぐらいの男の子二人と、お母さんが遊んでいました。

気さくで話しやすい方でしたので、息子の件をそのお母さんに話しました。

「私は息子二人をインターナショナルスクールに通わせています。」
「勉強はちょっと厳しいけど、自由な校風で良い雰囲気ですよ。」

「へー!そんなやり方もあるんやな。」私は心が動きました。
その日の夕飯時に主人に話してみました。すると、


「うちは欧米じゃなくて、中国でしょ?」

3、【華僑・華人が通う学校へ】

息子はほとんど憶えていないでしょうが、パパの駐在に伴って1歳から3歳半まで北京にいましたし…、帰国時は(片言ですが)中国語と日本語の両方を話していました。

華僑・華人が通う学校
幼稚園から中学校まであって、通える場所にあります。

私は早速その学校に電話をしました。「見学に行かせてください!」と。
数回断られた後、ついに息子は校長先生の面接&試験を受け、転校することになります。

4、【中国人校長先生と息子の意外な会話】

何の紹介もなく、ただ勢いで唐突に見学のお願い電話をした私。

「わかる者がいないから、後日電話してください。」
そして次の日にまた電話をすると、

「中国人以外は受け付けておりません!」

それでも私は、別の日にまた電話を入れました。
(違う人が電話をとったら『OK』してくれるかもしれない!)そんな願いで。


4回目の電話の際に、やはり断られて電話を切られそうになった時です、
当時の校長先生が近くにいらっしゃったようで、電話ぐちに出てくださいました。

「お会いしましょう!どうぞいらしてください。」
翌日、私一人で校長先生にお会いしに行きました。

校長先生は温かく迎えてくださり、小学2年生の授業を見学させていただきました。

私は非常に驚きました!生徒はみなビシッ!と背筋を伸ばして、真剣に先生の話を聞いています。その表情はみな活き活きとしていて、発言も活発でした。

また、廊下で生徒にすれ違うと、誰もが校長先生と私に挨拶をします。
大きな声で「ニンハオ!」と中国語で。

しかも校内は掃除がとても行き届いており、ピカピカでした。
「勉強以上に掃除に力を入れているんですよ!」
「担任が毎回検査をし、不合格なら掃除のやり直しになります。」
と、校長先生から説明がありました。

先生は厳しく威厳がある一方で、運動場での体育の授業はとてもゆる〜い感じでした(笑)

私は「この学校なら個性的な息子に合っているのではないかな?」と直感で思いました。躾は厳しいですが、人に対しては大らかで、自由な印象を受けたからです。

「次は息子さんと一緒にお越しくださいね。」校長先生から嬉しいお言葉をいただきました。

その日の夕方、息子に話をしました。
すると「行きたい!」と、息子は二つ返事でした。

数日後、息子と面接に行きました。

校長先生は息子にこう尋ねられました。
「どうして今の学校が嫌なの?」

すると息子は真面目な顔で、
「授業中に先生のお話を聞かない人がとても多いんです。うるさくて嫌になりました。」
「友達みたいな言葉で先生と話す人がたくさんいて、僕はそれも嫌なんです。」

え~!意外な返答に私は驚きました。

校長先生:「そうか、なかなかきちんとした考えを持っているね。いいぞ!この学校に来たいですか?」

息子:「はい、来たいです。」

それから息子は別室で、算数と国語のテストを受けました。
採点後…

校長先生:「うん、よくできてる!テストは合格です。この学校に来ても良いですよ。」

5、【中国人学校の寛容さに心から感謝!】

中学3年生までの在学期間は、息子が発達障害だとは全く思いませんでした。それには中国の学校の「おおらかさ」が原因の一つとしてありました。

家庭科の授業は男女一緒です。班ごとに料理を作る時は、息子は決まって「お皿洗い係」。料理は得意な生徒が作ります。

運動会では、足の速い生徒だけが代表で「かけっこ」に出場します。
倒立をする際はペアになって、出来ない生徒は足を支える役だけでOKでした。

体育の授業は、校庭でそれぞれのペースで走ったり、サッカーがしたければする、鉄棒で遊びたい人は自由にどうぞ……という感じ。そもそも学校に跳び箱、マット、縄跳びはありませんでした。

けれども部活は盛んでした。バスケット部、卓球部をはじめ、とても強かったです。しかしこれも自由で、息子のように部活に入っていなくても、変な目で見られることは全くありませんでした。

運動は苦手な息子ですが、美術や音楽は大好きでした。
文化祭の時は絵を展示していただき、歌の発表の時は積極的に参加させていただきました。

得意なことを伸ばしていくことができました。


現在では、日本人の入学に対して厳しい制限ができました。また、校風も時代とともに変わってきているかもわかりません。

息子の在学中は「良き時代」だったと言えます。

発達障害に気づくのが遅れたのが良かったのか悪かったのか、それはわかりません。しかし、
日本にある中国人の学校で、息子はとても生きやすい時間を過ごさせていただくことができました。私は感謝しかありません。

日本人の私たちを快く受け入れてくださった校長先生、他の先生方、家長会のみなさん、同学のみなさん、本当にありがとうございました。


たおたおってこういう者です。
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