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カウンセリング論

占い番組を見ていて、人の悩みを聞くことが好きだなと気づいた。

知らなかったその人のパーソナルな部分や思っていたことを知ったときに、こちらの気持ちまでうわっと吹き出すような「そうだったんだー」という思い。

謎が解けていくようなあの感じ。

最近では人の気持ちを聞き過ぎてしまうことがコンプレックスだった。

話すことが苦手で、聞くことに重きを置いていたら、人といると一方的に話をされたり、結構ディープな打ち明け話をされて重くて寝込んだりしてきた。

普通は軽い話を続けて行った先に、人に言えないようなことを言えるのだと思う。でも、私はいつの間にか、早い段階から人の心の内側を知る力がついてしまったらしい。

気づいたら人の相談相手というか、話の聞き役、カウンセラーのような役割をしていることが多かった。

でも、その時はそれが自分の立ち位置というか、役割として、求められるキャラのように思っていた。

体調を崩してから、相談相手をしていた人とは距離を置いている。

あれは、間違っていた。もっと私の気持ちも話さなきゃと思うようになった。

ただ、本質では話すより聞く方が向いていると思うし、楽だとも思う。


ずっと心理学が好きだった。普段人を見ていて何となく感じていたことが、理論立てて書いてあったり、法則として載っていて頭がスッキリしていく。

占いも好きだけれど、占いは予測だったり、オーバーに書いたり、エンターテイメントや表現力で惹きつけている感じがして、ちょっと浮ついた所が自分で勉強しようと思えない所だった。

私が中学生くらいの時からカウンセラーの需要が高まって「心理学がしたい」と言ったら周りに「じゃあカウンセラーになりたいの?」と言われていた。

いつもそれに違和感があった。

人の役に立ちたいとかじゃなくて、勉強がしたい。学者のようなことがしたいと後々目指す方向性が見えていった。

当時「人気があるし、何となく人のためになれるからカウンセラー」みたいなのがかっこ悪くて嫌だった。けれど、最近わたしにはその素質がある気がしている。

ずっとその道を避けていたのは、人の悩みを聞くと人ごとに思えなくて、感情移入し、心配したり代わりに答えを出そうとして、背負ってしまう。

1日中その人の悩みについて考えたりと、他人と自分とを切り離せないから、絶対無理だなと思っていた。

何だか矛盾しているけれど、他人のことなど関係ない、人は人とスパッと割り切れるような人がカウンセラーには向いている気がする。

そんな思いがあったけれど、体調が回復する中で自分の社会での役割だったり、活かし方を考えていく中で1つカウンセリングというものが浮かんできた。

人のことに自分を重ねすぎる要素を克服する術を手に入れたならば、可能性はあるのかもしれない。

少しでも私の力が社会のためになったらいいなと思ったりする。

自分のことは自分では良く分かってなかったりする。人に言われて気づいたり、比べた時に、これって他の人にとっては当たり前じゃないことなのかも?と。

凸凹したビー玉が転がっていくように、人や社会や人生に揉まれていく中で、自分の役割や得意不得意が見えてくるのかもしれない。


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◎後日つづき書きました→◎


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