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哲学メモ

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哲学っていうとなんですが、考え事をただ書いていきます。
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#阿頼耶識

「創造的想像力」

 以前、潜在的なものは、全て抑圧されたものである、と書いたと思う。私は存在論的な領野に、精神分析における抑圧を敷衍して使いたいのだ。スーフィズムでは神の慈愛の息吹が、潜在的なものを顕現する働きを持つ。世界の可能性、可能態として存在しているものを創造する時、それは世界に抑圧されていた存在を呼び起こすことなのだが、そこには慈愛が必要なのである。私たちが今必要としている存在は、きっと今まで無視され、忘却

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「直感の再考」

 直感というのは、働きをそのまま知るということである。それはエネルギーを感じることでもあるし、換言すれば気を感じることでもある。~の気がする、というのは全て、直感的認識に基づいている。例えば赤色の花は私たちに何事かを表現している。青い空も私たちに何事かを表現していると言えるだろう。何かが私たちに表現しているということは、私たちにそう働きかけているということである。この働きかけは述語的なものである。

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「意味の形成過程」

 意味の形態には、物質の形態と同様、三つの形態があると前述した。三つの形態は、気体、液体、固体に照応する。それはマクロな観点でいくと、空、海、大地に照応する。さらにこれは、井筒の意識の構造モデルと照応する。阿頼耶識は空、中間領域は海、表層意識は大地である。しかし、これをもっと厳密に考えれば、阿頼耶識は空ではなく、宙である。宇宙的な場からエネルギーが出て、そのエネルギーが海に移り、それはやがて泡沫に

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「形ないものと形あるものの関係性」

 エネルギーは意味の形相だと言って良い。
物質の取り得る形態、気体、液体、個体、これらがマクロな領域で顕現したもの、それが空、海、大地である。空と海と大地は、物質の取り得る三つの形態の象徴的なものと言って良い。

 物質というのは、エネルギーの一形態であるのだが、エネルギーの一形態であるが故、エネルギーが物質に転化したとしても、エネルギーが消えるわけではない。エネルギーはいわば潜在的に存在している

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「イデアの探究―空と海を渡って―」

 Discordで知り合った、すっぺらこっぺらさんというHNの方の考えを参考にしたのだが、意味の可能態の世界と、その現実態の世界とを、沸々と煮え滾るお湯に喩えられるかもしれない。沸々と煮え滾るお湯は、その中に揺らぎを持っていて、それが意味の可能態になる。そしてお湯の泡沫が現実態である。この比喩は正しく、可能態の揺らぎを作っているのは、熱によるエネルギーなのだ。そしてそのエネルギーが上昇し終えた時、

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