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掌編『だから、さようなら』

だから、さようなら

著者
小野 大介

 高校の卒業式の終わりに、幼なじみの彼女から告白された彼は、家出を決意した。

 彼女に出逢ったのは幼稚園の頃だった。真向いの家に引っ越してきたのだ。

 同い年だった二人は、性別は違えども妙に馬が合い、いつも一緒だった。親同士の仲も良かったので、家族ぐるみの関係をずっと続けてきた。

 卒業式には両方の親が参加し、自分の子でもないのにしっかりカメラを回して、卒業証書を受け取るときには号泣までして、学び舎を去る際には必ず合同で写真を撮った。それを小中、そして高と、まるで恒例行事のように繰り返してきたので、もはや家族と呼べる間柄だった。

 卒業式が終われば、感動を抑え切れない親たちに連行され、卒業祝いのパーティに参加させられる。毎度のことながら強制参加だ。少しの休憩も許されず、卒業の余韻もへったくれも無い。

 パーティ会場はいつも、彼の母親が営んでいる小さな洋食店だ。誕生日やクリスマスなどの催しは必ずそこで行ってきた。二人にとっては毎日のオヤツを食べるところでもあり、彼女にとっては、共働きの両親を待つ託児所でもあった。そして時には、皆で夕食を取る食卓でもあった。

 そんな慣れ親しんだ場所と料理にもかかわらず、今回ばかりはくつろげなかった。いつもどこか照れくさい気持ちがあって素直には楽しめないが、今回は、大好きな料理でさえ美味しいと思えなかった。

 それは多分、彼女も同じはず。楽しんでいるように見せてはいるが、気持ちが浮足立っているというのか、常にそわそわしていた。待っているのだろう、告白の返事を。

 彼の胸の内に秘められた想いを、知りもしないで。

 そして、夜。

 親たちが酒に酔って昔話を始めたので、二人は逃げるように店を後にした。

 気まずいが黙るのもおかしいと、他愛もない話をしながら家路につくも、途中にある公園に立ち寄った。そこは幼い頃の遊び場。タコの姿形をした大きな滑り台があるので、そのままタコ公園と呼んでいる。二人はその中を軽くぶらつき、三月の肌寒い夜風に当たって火照った顔を冷ましてから、帰宅した。

 その間も、彼女はずっと告白の返事を待っていたが、彼はそのことには触れず、何も語らず、最後の最後も、

「じゃあ、おやすみ」

 とだけ言って無情にも背を向け、すぐに家の中へと入ってしまった。

 暗がりの玄関で閉じたばかりの扉を背にし、真向いの家の玄関扉が閉まるのを待つ。

 彼女はしばしその場に留まっていた。理由はメールを打つためらしく、彼のズボンのポケットにあるスマホが震えてまもなく、扉が閉まる音がした。

 彼はスマホを確認するも、返信はせず、玄関扉の鍵をかけることもなく自室に戻ると、あらかじめ用意してあった荷物を抱えて玄関へ戻った。リュックにキャリーケースと大荷物だ。そしてそっと外に出ると、音を立てぬよう、しばらくは抱えたままで足早に進み、公園の前まで来るとようやく下ろした。

 本当はこのまま、まっすぐに駅へ向かうつもりだった。だが、ふと昔のことを思い出して、つい立ち寄ってしまう。

 彼は、来た道を引き返すように公園を抜ける。タコの滑り台の前を通り過ぎ、ブランコのそばに置かれたベンチの前で足を止めた。

 幼い頃はそばに灰皿が設置されていて、自由にタバコが吸えたベンチ。今は回収されており、禁煙という言葉とマークが描かれた看板が代わりに立っている。

「……ごめんな」

 ベンチに腰を下ろし、揺れないブランコをじっと眺めていた彼は、ふいに、風にさらわれてしまうぐらいの小さな声を口に出した。それから涙を一粒だけ流すも、すぐに上着の袖でぬぐって、席を立とうとした。

「あれ、どうしたの?」

 すると声をかけられた。

「あ……おじさん、タバコですか?」

 振り返ると、初老の男性がいた。それは彼女の父親だった。

「ああ、切れちゃったから取りに戻って」

 おじさんは手に、タバコの箱を二つ持っていた。

「で、一服ですか?」

「うん、我慢できなくてね」

「ここ、今は禁煙ですよ」

「夜なんだから許してよぉ。ほら、携帯灰皿もちゃんと持ってるし」

「しょうがないですねぇ」

 彼は苦笑すると、あらためて席を立ち、おじさんに場所をゆずった。

「ありがとう。……あれ、どこか行くの?」

 ゆずられた席に座ろうとしたおじさんは、彼が背負っているリュックや、ベンチの横に置かれたキャリーケースに気づいた。

「あ、はい、友人と卒業旅行に」

「そうなんだ、いいねぇ。どこへ行くの?」

「えっと……と、東京です」

「へぇ、東京かぁ」

 おじさんは会話中にもタバコの包装を外して一本を取り出し、咥えて軽く吸いつつ、カートンで買った際にタダでもらった安物のライターで火をつけた。

「あー、美味い」

 おじさんは溜め息とともに煙を吐き、満足げな笑みを浮かべた。風向き的にかかることは無かったが、それでも彼とは逆方向にむけて煙を吐いている。

「おじさん、本当に好きですよね」

「ああ、これ無しじゃ生きられないよ。ハァ……あ、でも、君は吸っちゃダメだよ。こんなの、百害あって一利なし、だからね」

「わかってます。……じゃあ、オレ、もう行きますね」

「ああ、行ってらっしゃい。お土産よろしくね」

「わかりました。それじゃあ……さようなら」

 彼はきびすを返すと、キャリーケースを引いてその場を後にした。

 一度も振り返ることなく突き進み、太鼓のような形をした石の車止めが三つ置かれただけの出口を抜け、駅のある左手へと歩を進めようとしたところ、

「ねぇ、ちょっと待って」

 と、呼び止められた。誰かはすぐにわかった、おじさんだ。

「……」

 彼は即座に足を止めるも、返事はせず、振り返りもしなかった。

「あの、なんかさ……なんか、変だよね? さようならって、どういうこと?」

「……え、いや、なんでもないですよ、ちょっと言ってみただけで……あっ、そう、冗談です、冗談」

 彼は作り笑顔を浮かべて振り返り、なんとか誤魔化そうとする。

「……どうしたの? 何かあった? 本当に旅行なの? 多分だけど、違うよね?」

 けれど無理だった。おじさんは不安そうな顔をしていて、明らかに心配していた。吸い始めてまもないタバコも持っていない。

「……はい、違います。旅行は嘘です……家を、出るつもりでした」

 彼は観念し、正直に打ち明けた。

「どうして……? 娘と何かあった?」

「……えぇ、まぁ。実はその、告白されたんです、卒業式が終わってすぐに、好きだと……」

「あっ、そうなんだ、ついに……え、ということは、娘じゃダメ、なのかい?」

 おじさんは顔色を変えた。居ても立っても居られない、すぐにでもこの場から逃げ出したい、と言わんばかりの表情をしている。愛娘の色恋沙汰なのだから無理もない。

「……好き、ですよ。好きです。でも、その、ずっと一緒だったからか、もう本当の家族みたいで、姉みたいで、その……異性、として見られなくて……すみません」

「……ああ、そうかぁ、そうなんだ」

 おじさんは噛み締めるように頷くと、目に見えてしょんぼりした。

「すみません……」

 彼は、おじさんの残念がる顔を見ていられなくて、俯いてしまう。申し訳なくてしょうがなかった。

「そのことは、あの子に伝えたの?」

 おじさんの問いに、彼は首を横に振った。

「どうしてだい? 言いづらいのかい? それとも、関係が壊れてしまうのが怖い?」

 彼は小さく頷いた。

「そうか……ああ、だから家を出ようと?」

 彼はもう一度頷いた。

「そうか……このことは、お母さんには言ってあるの?」

 彼は少し間を置いてから、首を横に振った。

「いやっ、それはダメだよ! せめてお母さんには言わないと。心配するよ、とても心配する」

「書置きを、残してありますから」

 彼は俯いたまま答えた。

「だとしてもダメだよ、絶対に心配する。警察に捜索届を出すかもしれない。おじさんならそうするよ。だから、ちゃんと言わないとダメだ。直接言いづらいのなら、おじさんが代わりに言ってあげるからさ」

 おじさんは距離を詰め、彼の肩に手を置いた。行かせないためと、励ますために。

「おじさんも同じ男だ、気持ちはわかるよ。味方になってあげられる。だからさ、今日のところは帰ろう。な?」

 それから、もう片方の手で頭を撫でてやり、少しヒザを曲げてかがんで覗き込むようにして、彼の表情をうかがった。

 きっと心細かったのだろう。泣いているかもしれない。同じ男として、年上として、ちゃんとフォローしてあげなければ。

 そう考えての行動だったが、目の前にあった顔は、表情は、想像していたものとは違っていた。

 彼はナイーブになっておらず、ましてや泣いてもいなかった。ただただ恥ずかしそうで、照れくさそうで、そのくせ目を逸らすことなく、こちらをまっすぐに見つめていた。それも、潤んだ瞳で。

 そのとき、ちょうど一台の車が通りかかり、ヘッドライトの明かりで二人を照らした。それでわかったが、彼は赤面していた。耳の先まで赤くしていたのだ。

「え……」

 予想外の表情を前にして、おじさんは戸惑いの声を漏らした。すると彼は、我に返ったようにハッとして、慌てて距離を取った。それから、キャリーケースが倒れてもかまわず両腕を前に突き出して、自身の顔を覆い隠した。まるで咄嗟に身を守ったかのように。

「……」

 押し黙る両者。どちらも相手の反応と出方を注意深く待っているのだ。よってその場には、すぐ横の車道を走り去る車のエンジン音ばかりがうるさく流れていた。

「……すみません」

 先に沈黙を破ったのは彼だった。顔を隠したままで、謝罪でもするように言った。

「あ……えっと、君は……」

 それでおじさんも待つのをやめたが、そこまで言ったところで、また口を閉ざした。躊躇したのだ、傷つけてしまうと思って恐れたのだ、その先に続く言葉を声に出してしまうのを。だからまた押し黙った。

 声を失ったかのように沈黙して固まっているおじさんを前にし、彼は何故か口元を緩ませた。覚悟に、諦めと投げやりを織り交ぜた、なんとも痛々しい笑みを浮かべたのだ。そして言った、代弁した、おじさんが口にできなかった言葉を。

「オレ、男が好きなんです……おじさんのことが、好き、なんです……」

 その言葉をかけられてもなお、おじさんは沈黙を続けた。返答できなかったのだ、何も言ってやれなかった。

 そうこうしていると、彼が観念したように腕を下げて泣き顔を見せた。

「だから、さようなら、です……」

 彼は深くお辞儀をすると、後ろを振り返り、キャリーケースを拾い上げた。そしてそのまま、一度として振り返らずに去っていった。

 止められず、一言もかけられずに見送ったおじさんは、しばらくその場に立ち尽くしていたが、思い出したように来た道を引き返して、あのベンチに戻った。重たい腰をそっと下ろして、また一服した。

「ハァ……不味い」

 心を落ち着かせるつもりで吸ったタバコの味は、いつもと違ってただただ苦く、目が沁みるほどに煙たかった。

【完】

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