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無神論者が好きな クリスマス・ソング 〜 7時のニュース/きよしこの夜, ハッピー・クリスマス(戦争は終った)

クリスマスの雰囲気はわりと好きだ

無神論者と言ってもここでは「無神論者」一般ではなく、筆者個人のことであって、これは個人の趣味。しかしまぁ無神論者なんだから、そりゃ思いっ切り「宗教」的だったり「宗教」色が強かったりする歌を好きになるはずはない。

日本人としはわりと普通、つまり初詣はする、神道の神社にも仏教の寺にも行く、親族が亡くなれば大抵は仏教式の葬儀になる、先祖の墓は仏教の寺にある、というような家庭で生まれ育って(ただし厳密に言うと自分が子どもの頃は我が一家の家の墓みたいなものはなく、それは父親は長男だったが父親の父親つまり祖父は末っ子で「本家」から出て生活していたということによるのだが、小3か小4の頃にその祖父が他界して、その時に初めて我が一家からの墓が家からわりと近いところにある仏教の寺の墓地の中に作られた)、かつ両親は共に特に宗教の信者ということではなく、通過儀礼的に神社や寺と関わることはあっても、神道や仏教の何かの派の信徒ということではなかった。寺に関しては曹洞宗の寺だったと思うが、確か父親によれば「江戸時代以前は農民、臨済宗は侍の家系の連中、そういうわけでうちは曹洞宗」という程度のことだったと思う。

で、筆者つまり拙者、宗教の信者になったことなど一度もない。それで、信者でもないのに結婚だけ神道式だったり仏式だったりキリスト教式(要するに神父呼んだり牧師に頼んだりキリスト教会やキリスト教会みたいなところでやるアレ)だったりするのは個人的に嫌だったので、というか意識するまでもなくごくごく自然にそういうやり方などする気は全く起きなかったので、そこは妻も同じだったし、結婚式はいわゆる「人前式」というやり方をして、家族・親族・友人などの前で自分たちが考えて用意した「誓いの言葉」を読み上げる、あとは酒が好きなので(笑)酒樽を二人でポンとやる「鏡開き」をするといった内容の式をして(「鏡開き」も歴史的には神道系の「神事」で行なわれ.. なんてことは知っているが流石にそこまで脱「宗教」色に拘るのでもないのでねぇ)、式の後は普通に披露宴という名のパーティをした。

ごちゃごちゃっと書いてきたが、そんな感じの「生まれ育ち」方をしてきた人間なのだが、元々はキリスト教という一「宗教」の習慣に由来するクリスマスというもの、これに纏わる「雰囲気」は子どもの頃から好きで、今もわりと好きな方だ。

極貧の家庭に生まれた父、そこに嫁いできた母、そういう両親のもとで次男坊として生まれ育ったが、物質的な豊さとはほど遠いところで生活していた両親とはいえ、当時(筆者は1960年、ここは文脈上「年号」使って言えば昭和35年911生まれ, 911まで書くことはないか、笑)の日本の家庭の多くがそうであったように、筆者の両親も子どもらが物心ついてから小2か小3の頃までは欠かさずクリスマスにプレゼントをしてくれていた。といっても、これも日本全国の多くの家庭でそうされていたように、親からでなくサンタクロースからというかたちで。

つまり、12月25日のクリスマスの日の朝、起きると、必ず小さな贈り物が兄弟二人のそれぞれの枕元にあったというわけだ。金なんかほぼ無いから、もちろん豪華なものじゃない。兄貴は何をもらっていたんだろう、もうそれは思い出せないが、小学2, 3年の頃までは絵を描くことが好きだった筆者には、スケッチ・ブックが多かったと思う。

で、たぶん小学1, 2年ごろまでは、自分の親父お袋じゃなくて、本当にサンタクロースなるものが我が家にも来て、子どもたちにプレゼントを置いていってくれるものと思っていたんじゃないかと思う。

小4の時には手塚治虫の「やけっぱちのマリア」のお陰でいわゆる一つの「子どものつくり方」(いわゆる一つのって長嶋茂雄式言い方をしてしまったが、しかし双子ができることもあるよねぇ、いわゆる二つでも三つでもあり得る!!!)も覚え、しかもそれをクラスで吹聴したりして当時としてはマセガキだったと思うが、まぁそんなガキでもあったので、遅くともそれより前には、サンタクロースってのは実在しないとはっきりと考えるようにはなっていたはず。

脱線するが、「やけっぱちのマリア」の「マリア」のネーミングは絶妙だね。キリスト教における聖母マリアはいわゆる一つのセックスをしないままに、あのですね、要するに一度もセックスしないのに、つまりですね、処女のまま「聖女懐妊」して「聖女出産」したという有り得ない御伽噺の登場人物になってしまっているわけだが、そのマリアの名前を持ってきたという、見事な命名。

下の2枚、左は同じ手塚治虫の「アポロの歌」、そして右が「やけっぱちのマリア」からのもので、共に 1970年4月〜11月にかけ、前者は「週刊少年キング」に、後者は「週刊少年チャンピオン」に連載されていた。筆者は前者についてはたまたまリアルタイムで読んでおらず成人してから読むことになったが、後者については小学4年の時にリアルタイムで読んでいた。毎号買うような金はなかったが、床屋とかに置いてあるものを読んでいたんだと思う。

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脱線話はこの辺にして(でも本 note 投稿の最後の方でまた触れるつもり)、

無神論者であって当然ながらクリスチャンではないものの、とにかく子どもの頃も、大人になってからも、今も(〜 トランジスタラジオ ♫ by 忌野清志郎、あ、また脱線した ♫)、クリスマスの時期の雰囲気は嫌いじゃない。というか、けっこう好きな方なのだ。

まぁこの時期、シーズンという意味では、クリスマスだけでなくて、この季節が好きなんだけれど。つまりは師走、クリスマス、大晦日、元旦へと向かうこの時期がなぜだろう、ガキの頃から好きで、で、今年の誕生日で還暦を迎えた今も、おそらくは郷愁を混えたような気分を含みつつ、やはり好きなんだと思う。

さて、そろそろ、無神論者、ノンクリ(なんクリは田中康夫の「なんとなく、クリスタル」、ノンクリはノン・クリスチャン!)である筆者が好きな、いわゆる一つの、ならぬ「いわゆる二つの」クリスマス・ソングについて。

"Happy Xmas (War Is Over)" by John Lennon 〜 歌詞和訳

たまたま 911 アメリカ同時多発テロがあった年に重なったけれど(ついでながらあの年の 911 は拙者の41歳の誕生日だった)、2001年の夏に HTML 基礎の本を買って 1週間ほどの独学の後ホームページを立ち上げた。で、日記を載せたり、音楽レヴューとか映画レヴューとかしたんだけれど、そのうち好きな歌の英語の歌詞を自分で日本語訳して和訳歌詞(メロディに乗るような日本語にしたわけじゃないから和訳詩という感じか)にし、それもそのホームページに掲載するようになった。

この歌の歌詞は、2001年12月8日、その年のクリスマスの月、かつジョン・レノンの命日に当たる日に訳した(日本時間で言うなら 1941年の「真珠湾攻撃」の日でもある)。

Happy Xmas (War Is Over) 〜 a song released on December 1, 1971 (USA, November 24, 1972 in UK) as a single by John & Yoko/Plastic Ono Band with the Harlem Community Choir

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

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ハッピー・クリスマス、 キョーコ
ハッピー・クリスマス、 ジュリアン

さぁ今日はクリスマス
今年はどんな年だった?
また1年が過ぎ去り
新しい年が訪れようとしている
今日はクリスマスなんだ
みんな楽しんでるといいな
身近な人 愛しい人
老いた人も 若い人も

ベリー・メリー・クリスマス
そして ハッピー・ニュー・イヤー
みんなで良い年になることを祈ろう
不安や恐れのない 良い年になることを

さぁクリスマスがやって来た
(戦争は終わる)
弱い人にも 強い人にも
(きみが望めば)
金持ちの人にも 貧しい人にも
(戦争は終わるんだ)
この世界には過ちがたくさんあるけど
今日はハッピー・クリスマス
(戦争は終わる)
肌の黒い人も 白い人も
(きみが望めば)
黄色い人も 赤い人も
(戦争は終わるんだ)
無意味な争いはもうやめにしないか

ベリー・メリー・クリスマス
そして ハッピー・ニュー・イヤー
みんなで良い年になることを祈ろう
不安や恐れのない 良い年になることを

さぁ今日はクリスマス
(戦争は終わる)
今年 ぼくらはどんなことをしただろう?
(きみが望めば)
こうして1年が過ぎ去り
(戦争は終わるんだ)
また新しい年が訪れようとしている
今日はハッピー・クリスマス
(戦争は終わる)
みんな楽しんでるといいな
(きみが望めば)
身近な人 愛しい人
(戦争は終わるんだ)
老いた人も 若い人も

ベリー・メリー・クリスマス
そして ハッピー・ニュー・イヤー
みんなで良い年になることを祈ろう
誰もが恐怖を感じることのない 良い年になることを

戦争は終わる
きみが望めば
戦争は終わるんだ ... ...
ハッピー・クリスマス!
ハッピー・クリスマス!
ハッピー・クリスマス!

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この歌と筆者による歌詞の和訳に関しては、今年も昨年も note に投稿している。以下、今年のものと昨年のもの。昨年のものの方には「拙訳」と書いているけれど、筆者、拙者ながら、歌の歌詞の拙者による和訳に関しては実のところ「拙訳」と思ってないので(笑)、いつの頃からか、「拙訳」という卑下表現は note 上でも使わないようになった。

以下の投稿では、クリスマス関連の歌を取り上げたわけではない。ただ、この直ぐ上にリンクを貼った投稿の続編、悲しい続編だったので。

7時のニュース/きよしこの夜

これをクリスマス・ソングというのかどうか、そこはまぁ言い出したら微妙だけれど、「きよしこの夜」("Stille Nacht", 英語タイトルは "Silent night")自体は、日本で(日本でも、と言うべきなのかな)最も有名なクリスマス・キャロルと言っていいくらいなので。

この、サイモンとガーファンクルの「7時のニュース/きよしこの夜」, Simon & Garfunkel’s "7 O'Clock News/Silent Night" は、1966年10月10日にリリースされた彼らの3枚目のアルバム "Parsley, Sage, Rosemary and Thyme" の LP のB面に、その最後を飾る曲として収録された。

日本でも多くの人が知っている「きよしこの夜」に、(当時の)アメリカ合州国のベトナム反戦運動を含む世情や政治状況が分かる擬似「7時のニュース」をオーヴァーラップさせて録音したもの。

以下の Wikipedia 解説の下にヴィデオ 2つと歌詞およびニュース原稿を掲載。

1つ目のヴィデオはクリスマスらしいシーン含み、2つ目はニュースらしく。

Another version

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除し, 歌をバックにして読まれる「ニュース原稿」の掲載のみ に改めました(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

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[Newscast, overlapping with verse]
This is the early evening edition of the news. The recent fight in the House of Representatives was over the open housing
Section of the Civil Rights Bill brought traditional enemies together but it left the defenders of the measure without the votes of their strongest supporters.

President Johnson originally proposed an outright ban covering discrimination by everyone for every type of housing but it had no chance from the start, and everyone in Congress knew it. A compromise was painfully worked out in the House Judiciary Committee

In Los Angeles today comedian Lenny Bruce died of what was believed to be an overdose of narcotics. Bruce was 42 years old

Dr. Martin Luther King says he does not intend to cancel plans for an open housing march Sunday into the Chicago suburb of Cicero. Cook County Sheriff Richard Ogleby asked King to call off the march and the police in Cicero said they would ask the National Guard to be called out if it is held. King, now in Atlanta, Georgia, plans to return to Chicago Tuesday

In Chicago Richard Speck, accused murderer of nine student nurses, was brought before a grand jury today for indictment. The nurses were found stabbed an strangled in their Chicago apartment

In Washington the atmosphere was tense today as a special subcommittee of the House Committee on Un-American Activities continued its probe into anti-Vietnam war protests. Demonstrators were forcibly evicted from the hearings when they began chanting anti-war slogans. Former Vice-President Richard Nixon says that unless there is a substantial increase in the present war effort in Viet nam, the U.S. should look forward to five more years of war. In a speech before the Convention of the Veterans of Foreign Wars in New York Nixon also said opposition to the war in this country is the greatest single weapon working against the U.S

That's the 7 o'clock edition of the news. Goodnight

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筆者の関連 note 投稿。

キリスト生誕の地とされるベツレヘム、「聖女懐妊」のナザレ、キリストが死んだとされるエルサレムにも行ったけれど

全部、行った。それぞれにある、キリスト教徒にとっては巡礼の地となる、キリストの生と死に関わるとされる、そして母親マリアがキリストを身籠ったことに関わるとされる由緒あるキリスト教会に行ったけれど、それらは筆者にとって宗教や歴史・歴史的建造物に対する知的関心を刺激するものとして興味深かったけれど、まぁとにかく「宗教」心みたいなものは一切起きなかった・沸かなかったし、筆者にとっては当然ながら、今もクリスチャンではなく、これからも違う。

これは筆者が 1983年9月30日に訪れた、当時も今も 1948年に作られたイスラエルという名の国が 1967年11月22日の国連安保理決議242号を含む複数の国連安保理決議や総会決議に違反し続けて違法占領している(東エルサレムを含む)パレスチナのヨルダン川西岸地区にある、キリスト生誕の地とされるベツレヘムにある(一気に説明するのが間怠っこしい!)キリスト教の教会、つまり聖誕教会またの名を降誕教会, Church of the Nativity を撮った写真。

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この教会は、イエス・キリストが生まれたとされる(実際のところ学術的な証明は何もないと思うが)洞穴の上に聖堂が建設されたもので、西暦339年に完成し、その後、6世紀になって火災に見舞われ、当初のものはモザイクの床の一部が現存しているのみ。したがって、それ以外の部分は、当時 6世紀に再建されたものが中心となって、現代に受け継がれているものということになる。

ベツレヘムと言えば、下に掲載する写真は、ベツレヘムのホテルに展示されたバンクシーの作品「ベツレヘムの傷痕」。

"Dubbed the 'Scar of Bethlehem', the work shows Jesus's manger by ISRAEL's separation barrier, which appears to have been pierced by a blast, creating the shape of a star." https://www.bbc.com/news/world-middle-east-50881270

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付録 1: キリスト教絡みの音楽、歌 〜 一部、歌詞和訳

以下、全てではないけれど、ほぼ思いつくままに、過去の筆者の note 投稿から。冒頭でピックアップするビートルズの「レット・イット・ビー」、実はあの歌詞に出てくる Mother Mary は「聖母マリア」のことではないんだけど(ということを知った日に note に投稿した、笑)、あの投稿にはその流れで思い切りキリスト教関連や「宗教」関連のことを載せていたので。まぁ作者のポール・マッカートニーはそのつもりでなかったのであっても、世界の多くのリスナーは Mother Mary は「聖母マリア」だと思って聴いてきた節があって、あの歌はリスナーにとっては事実上「キリスト教にちょっとだけでも関連ありそうな歌」であり続けた、と言えないこともない(笑)。

2) 3) ジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス(戦争は終った)」は今日の note 投稿で取り上げたし、その章でも過去の該当 note 投稿へのリンクを貼ったんだけど、でもまぁしつこく。6) ではキリスト教絡みの歌など取り上げていないけれど、まぁ場所がキリスト教会だからこの際(どの際だ、笑)。7) 8) 9) ではなんたってピューリタン、清教徒たちが乗ったメイフラワーが出てくる。10) 11) は、逆説的に(逆説的に、という意味では全ての「宗教」に絡むけれど)。12) では歌詞にキリストが登場するのだ。16) では歌詞の中に「神」, "God" という言葉があって、まぁそれだけと言えばそれだけなんだけれど、しかしあれはやはりキリスト教における「神」なんだろうな。ポール・サイモン自身は無神論者「かも」しれないのだが、しかしユダヤ系アメリカ人である彼が歌のなかで「神」を使えば、彼はおそらく「少なくとも」その当時からはユダヤ教徒ではないので(推測!)、キリスト教における「神」の概念絡みかなと。17) では歌詞の中にキリストが登場する。18) は今日の note 投稿で取り上げた曲を掲載していて、リンクも前章で既に貼ってあるけれど。19) は特にキリスト教というわけではないが、タイトルにもある "God" はまぁ「創造主」(と信者が信じている!)としての「神」なので、キリスト教を含むアブラハムの宗教(他にはユダヤ教、イスラーム教)の「神」が一番当てはまるかな。まぁあの歌の作者のニール・ヤングはカナダ生まれ、キリスト教圏で大人になった人間ではある。

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付録 2: クリスマス note 投稿、第2弾!

聖母マリア、のではない 〜 「聖女懐妊」

ぬばたまの常闇の彼方
光芒の天関に懸るあり
ここにチタンなる
星屑のもとにて
男ひとり
遥けき故郷を惟う

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上記は、手塚治虫の短編漫画「聖女懐妊」(副題: The conception of the Virgin Mary, 初出「プレイコミック」1970年1月10日)のオープニングの一コマからの転載。

物語の舞台は、土星の衛星チタン(ティタンまたはタイタン)。土星の第6衛星で、太陽系内の衛星として唯一、豊富な大気を持ち、太陽系において地球以外で唯一、表面に安定的に液体が存在する天体。時代はもちろん、未来。

マリヤ(要するに「マリア」)という名の A4級型アンドロイドロボット(固有名「A413289マリヤ」)が、主人公ヒロシに「神」なるものについて尋ねる。その時の会話が以下。

「ヒロシ ..... 神様ってありますの?」

「かつては おれはそんなもの 信じなかったよ」「そいつは宗教といわれていたんだ」「だが宗教どうし勢力争いがあって 神もほとけも キリストも釈迦も マホメットも 消えてしまったよ」「神なんか ないんだ ...... 信じるのはコンピュータだけだ ..... と 地球ではおれはそう思ってたが ... この宇宙基地で天体の運行を見まもっているうちに ... なにか大きな偉大な力が宇宙に働いているということがわかってきたんだ」「不可思議な神秘的な なぞの力だ」「これが『神』の力なんだろうか ... おれにはわからないよ」

物語の終盤、ヒロシが死んだ後に、地球からチタンに調査員が訪れる。最後の場面での、調査員とマリヤの会話。

「おまえはさっき 神様がむすんで下さった といったな? ...... 神を ...... 信じるのかい ..... 」

「はい! この宇宙のどこかに ...... なにか偉大な力が ...... 」

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筆者は無神論者。もちろん、「神」なるものの存在を信じない。科学的証拠がないのに信じるものか。科学的証拠がないのにもかかわらず信じること、信じるものを、宗教、信者という。

偉大な力とは、物理的な、科学的な意味における力なのだが、しかし、それでも、この物語は非常に好きだ。ファンタジーは科学ではないからね。

1979年、大学に入学した年に買ったこの手塚治虫・短編漫画集(初版発行「昭和50年5月10日」・16版発行「昭和54年6月30日」)、どれも素晴らしいが、とりわけ「聖女懐妊」、そして巻末を飾る「ふたりは空気の底に」は、いつまでも印象が強く残っている作品。以下、裏表紙と表紙。

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ここから下は、またしてもの脱線。

本章における上記テキストは、以下の筆者の note 投稿、そのキリストじゃなくてカオス(発音も語感も似てない、単にカタカタ表記だけが共通か、笑)な投稿、でもタイトルはいたって普通な LET IT BE (The Beatles) 〜 歌詞和訳 の中の一章、

Mother Mary が実際と違って「聖母マリア」つまり Virgin Mary だったのなら 〜 そこで想い出した、手塚治虫の名作短編漫画 「聖女懐妊」

 ... の筆者自身のテキストをそのまま転載したもの。

この note 投稿、他に色々ある章の中で、下記のようなものも入れてあります。どんどんカオスになっていくが、全部関連あるのだからイタシカタナイ .. か?(笑)

Mother Mary が実際と違って「聖母マリア」だったのなら 〜 「聖母マリア」がセックスしないでイエス・キリストをベツレヘムで生むことになる御伽噺(あ、「聖書」)、つまり「受胎告知」「聖女懐妊」の舞台、ナザレ

Mother Mary が実際と違って「聖母マリア」だったのなら 〜 「聖母マリア」が「受胎告知」「聖女懐妊」の後、「聖女出産」した場所、ベツレヘム

Mother Mary が実際と違って「聖母マリア」だったのなら 〜 処女のまま懐妊したという「聖母マリア」の御伽噺を想いつつ、聖書とセックス について語ろう

Mother Mary が実際と違って「聖母マリア」だったのなら 〜 ほんの少しだけ関係ある、ま、我田引水、牽強付会みたいな流れで 〜 最近 note 投稿した、宗教に関わる話、まぁこのトピックでの話題の中心は、同じアブラハムの宗教でも、キリスト教でなくてイスラーム

あ、Mother Mary が実際と違って「聖母マリア」だったのなら 〜 ほんの少しだけ関係ある、ま、我田引水、牽強付会みたいな流れで 〜 最近 note 投稿した、宗教に関わる話、まぁこのトピックでの話題の中心は、同じアブラハムの宗教でも、キリスト教でなくてイスラーム

の章は、またここに書いてしまう(ただの自分のテキスト「そのまま」転載!)。

以下のリンク先は、「宗教と表現の自由に関するメモ」と題した筆者の最近の note 投稿なんだけれども、言いたいことの一つは、投稿テキストの中からざくっと転載すると、

イスラームを信仰する宗教上の「同胞」である、今現在を生きているウイグル族の人権を徹底弾圧する中華人民共和国に対してはさしたる批判もせず、まして「ボイコット」などせず(一般のムスリムのうち少なくない人々がその件で中国を厳しく批判していることは知っているが「ボイコット」までは叫ばない、そして今回フランス「ボイコット」を声高に叫んだりフランスを手厳しく非難したトルコやイランなどの政治指導者や宗教指導者が上記の件で中国を批判したり、ましてや中国「ボイコット」を主張したりしたなどという話は聞いたことがない)、一方で、7世紀に死んでいる、故人であるイスラームの「預言者」ムハンマドの戯画や為政者による宗教「批評」もしくは「批判」を理由にフランス「ボイコット」を声高に叫ぶ、「事実上」多くの信者たちや、ましてイスラム圏の政治指導者・宗教指導者たちの姿は、「単なる滑稽」を通り越して、「シャルリー・エブド戯画」的な滑稽さを呈している、

ってこと、など。

ここで「脱線」話題も併せ、以下のリンク先の note 投稿から「脱線」部分を転載して書いておくと、筆者(拙者)はもちろん、「ボイコット」という形態の抗議活動一般に反対しているのではない。世界のムスリムがフランスの何がしかに抗議してフランスを「ボイコット」するのも(筆者は今回それを合理的と思わないが)自由。本 note 投稿の主題上は「脱線」話題なので、簡単に書くが(しかしやや長い!!)、例えば、イスラエルという国が違法占領(1967年以来の東エルサレム・ヨルダン川西岸地区の占領、ガザ地区に関しては現在は軍事封鎖、複数の国連安保理決議に違反)、(違法)占領地における違法入植等の国際法・国連安保理決議・ジュネーヴ条約等に違反する行為をやめるまで、イスラエルに対する「ボイコット」「資本撤退」「制裁」(Boycott, Divestment, Sanctions)という手段を用いて、その反人道的・反民主的政策に抗議しようとする BDS 運動に関して言えば、その運動は人種差別的なものでは全くなく、抑圧された側を支援するための正当な抗議活動の手段の一つ。1948年に「建国」された国 Israel は Judaism とイコールでなく、Jewishness とイコールでなく、Semitism とイコールでなく、したがって、イスラエル(その政策)批判や BDS 運動を「反ユダヤ主義」(Anti-Semitism)と見做すのは、単にイスラエル批判の声を沈黙させたい、イスラエル批判の抗議活動を抑えたいという動機に基づく、不当なレッテル貼り。なお、Zionism も Judaism とイコールでなく、Jewishness とイコールでなく、Semitism とイコールでなく、したがって、Anti-Zionism は Anti-Semitism とは全く別物。こんなことは本来、子どもでも理解すべきことである。話を「ボイコット」に戻すと、仮に日本の政策に抗議して日本を「ボイコット」する運動があっても、それはイコール「反日本主義」「反日本人主義」といった人種差別に当たるものになるわけではない。BDS に関してはそのこととも同様。繰り返すが、本来、子どもでも理解すべきことである。

聖母マリア、ではなくて 〜 「やけっぱちのマリア」

最初の章、「クリスマスの雰囲気はわりと好きだ」のテキスト内で「脱線話はこの辺にして(でも本 note 投稿の最後の方でまた触れるつもり)」としていた件。

まずはそこに書いたことに重なるけれど、筆者、子どもはどうやって作るのか、どうしたら子どもができるのか、ってなことは 小4の時に手塚治虫の「やけっぱちのマリア」のお陰で覚えた。当時としてはまぁマセガキなんだろう。ついでに言うと、中学に入ると、学校の仲間数人と一緒に、そのうちの何人かの家に行って、かつ仲間うちの一人の父親が持っていた8ミリ映写機と同じく一人二人の父親が持っていたいわゆるアレ、ノーカットのブルーフィルム複数・和モノ洋モノを持ち寄って、何度か映写会を開催して「学ぶ」という(あのね、書いてることは事実ですが「学ぶ」というのはジョークです、まぁ何がしか「学んだ」のだと言えなくもないが)、素晴らしい少年だった。まぁ当時見つかっていれば補導の上、しばらく停学処分なんだけど(見つからなかった!)。

脱線したが、兎にも角にも、兎と言えばウサギ、ウサギと言えばバニーちゃん、また脱線、兎にも角にも、

「やけっぱちのマリア」の「マリア」のネーミングは絶妙。

キリスト教における「聖母マリア」はセックスもしないまま、あのですね、要するに一度もセックスしないのに、つまりですね、処女のまま「聖女懐妊」して「聖女出産」したという有り得ない御伽噺の登場人物になってしまっているわけだが、その「マリア」の名前を持ってきたという、見事な命名。

下の2枚、左は同じ手塚治虫の「アポロの歌」、そして右が「やけっぱちのマリア」からのもので、共に 1970年4月〜11月にかけ、前者は「週刊少年キング」に、後者は「週刊少年チャンピオン」に連載されていた。筆者は前者についてはたまたまリアルタイムで読んでおらず成人してから読むことになったが、後者については小学4年の時にリアルタイムで読んでいた。毎号買うような金はなかったが、床屋とかに置いてあるものを読んでいたんだと思う。

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もういっちょ、「やけっぱちのマリア」。

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There but for the grace of God go I ではなくて 〜 There but for the grace of you go I

あ、上の何処かにも書いたけれど、この「拙訳」という表現、「拙者」の歌詞和訳は「拙訳」ではないので(笑)、しばらく前から使わないようにしている。今年のいつごろだったからか、単に「歌詞和訳」と書くようにしたんだけれど、これは去年 note に投稿したもの。


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