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「兵役拒否」 (イスラエル映画, 2019年) を観て 〜 その1


一見、いや二見、三見の価値がある映画 〜 予告編付き

「同胞を裏切るのか」「恥知らずの反逆者め」などと罵倒されながら、母国イスラエルのパレスチナ占領政策への加担を拒否するイスラエルの若者たちを描いたイスラエル映画、「兵役拒否」(原題:OBJECTOR, 2019年製作)を観た。彼らの中で特に2017年に兵役を拒否し、母国イスラエルの軍事刑務所に110日間にわたって収監された後に兵役免除を勝ち取った当時19歳の女性 Atalia Ben-Abba さんの例を取り上げた、ドキュメンタリー映画である(彼女の名前は、母語ヘブライ語によるヘブライ文字の名前を英語アルファベット化した場合、Atalia, Atalya といった表記上の揺れがあるようだが、以下のテキスト内ではこの映画の日本語字幕で使われていた「アタルヤ」というカタカナ表記を使うことにする)。


アタルヤの兵役拒否については、彼女がそのためにイスラエルの軍事刑務所に収監された2017年当時から SNS上の様々な投稿やイスラエルのメディアの記事などを通じて知っていたのだが、イスラエルにおける兵役拒否の歴史は決して短くなく、また近年も決して少なくない若者たちが拒否者の列に加わっているので、この映画で取り上げられている兵役拒否者が、自分がその名も顔も知っていたアタルヤであることを知ったのは(しかしその名前と顔を忘れかけていた)、映画を観始めてからだった。当時のアタルヤに関する SNS 上の投稿例などは、次の次の章で掲載しようと思う。

筆者は昨日、株式会社アジアンドキュメンタリーズが配信するこの映画を観たのだが、視聴方法はシンプル。アジアンドキュメンタリーズに登録し(無料)、クレジットカードによる495円の支払いを済ませると、購入後7日間の視聴が可能になる。視聴前から良心的な価格設定だなと思っていたが、素晴らしい内容の映画を観終わった後になると、そのことが改めて、かつますます感じれられた、ということを最初に書いておきたい。

最初にそれを書くのは、以前からイスラエルにおける兵役拒否の運動を知る人であれ、知らなかった人であれ、十二分に観る価値がある映画なので、是非とも視聴を薦めたいからである。

「"敵"は軍隊さえ持っていない」(アタルヤ)、「ユダヤ人大虐殺がなければ状況は違ったかもしれん」(祖父)

映画で使われる言語は英語とイスラエルの母国語(「イスラエルの」と修飾した場合に「母語」と表記しないのは、占領地ではない同国国内領に同国のアラブ系の市民=パレスチナ人の市民も住んでいるから)であるヘブライ語と、映画に登場するイスラエルによる違法占領地に住むパレスチナ人が話すアラビア語(この文脈において言う「占領地」とは 1948年のイスラエル「建国」と第一次中東戦争でなく 1967年の第三次中東戦争以来の軍事占領地:具体的には東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区と現在はイスラエルによる軍事封鎖政策の下にあるガザ地区を指すが、この映画に登場するパレスチナ人はヨルダン川西岸地区に住むパレスチナ人たち)の計3言語。筆者が視聴したアジアンドキュメンタリーズ配信版では、これに日本語字幕がつく。

75分間の映画だが、観始めて最初の 1:15 辺りで、「エルサレム イスラエル」というカタカナ表記が現れる。エルサレムの少なくとも旧市街がある東エルサレムは1967年の戦争の際、イスラエルによる侵攻でイスラエル領に組み込まれた地域であり、この時の占領地は同年の国連安保理決議を含む複数の国連決議がイスラエルの撤退を要求している場所である。

その意味で、「エルサレム 」を無批判に「イスラエル」と表記していいものかという大きな疑問が湧く(以降も様々な地域に関して地域名の下に「イスラエル」あるいは「パレスチナ」と添えられて表示されていくので、これはオリジナルのイスラエル映画の版としてヘブライ語もしくは英語でそのように表記されていて、それを日本の配給・配信側が日本語に訳して表示しているものと推測されるのだが)。この点については、若干だけ詳しめに、本章のテキストの後に注釈をつけることにする(*1)。

上に書いたような疑問点は上記の一箇所だけだった。

ただ、字幕に関しては一点(細かいことを気にし出せばその他にもあるだろうが)、アタルヤが英語で明らかに "apartheid" と言っていると思われる何箇所か(発音をカタカナ表記すると「アパルタイトゥ」もしくは「アパーテイトゥ」といった感じ)、またヘブライ語でも発音の仕方から同様に言っていると思われるところ、そうした複数の箇所が、字幕では「人種差別」と訳されている。ここは本人が "racism" でなく "apartheid" という用語を使っているのだから、字幕でも「アパルトヘイト」を使った方が良かったのではないかと感じた(筆者としてはその点、強く感じた)。

この映画は冒頭から繰り返し記しているようにイスラエル映画ながら、1967年以来既に半世紀以上にわたってイスラエルが複数の国連安保理決議に違反して占領し続けている、パレスチナのヨルダン川西岸地区におけるイスラエル軍の暴虐ぶりや、違法占領地内にさらに国際法に違反しながら建設されたユダヤ人入植地に住むイスラエル人入植者たちによる暴力の事例などが、パレスチナ人たちの証言とともにきちんと紹介されている。

前者については例えばパレスチナ人家屋の破壊、後者についてはパレスチナ人の羊飼いの一家がイスラエル人(ユダヤ人)入植者たちに襲われ、牛が殺されたり、その一家の息子である少年が殴られたり、あるいは別のところではパレスチナ人がイスラエル人の違法入植地に湧き水すら奪われている例などである(イスラエル人入植者による暴力の例としては、この映画では取り上げられていないが、近年、パレスチナ人の農家のオリーヴの木がイスラエル人入植者たちによって根こそぎ抜き取られ、しかもイスラエル兵が事実上それに加担する例なども、イスラエルのメディア上を含め度々報告されている)。

14:50 辺りで、兵役拒否者であるアタルヤ自身が、イスラエルは「アラブ」という「巨大な敵」と戦っているかのように言われるが、実はその「巨大な敵」は「軍隊さえ持っていない」と語るシーンがある。つまり、イスラエル人の眼前の「敵」である、占領地パレスチナ(のパレスチナ人たち)は実は「軍隊さえ持っていない」のだ。それは紛れもない事実である。

上記のことは例えば、映画で紹介されたものではないが、ユダヤ系アメリカ人で世界的に著名な知識人(言語学者、哲学者、認知科学者、歴史家)でかつ社会批評家・活動家でもあるノーム・チョムスキー Noam Chomsky も、如実に語っている。つまり、巨大な軍隊を持つ国家と軍隊を持たない他者との戦いは、戦争ではなく、(一方的な)殺人であると(*2)。

また、34:00 辺りで、アタルヤとの対話の中で、アタルヤの祖父がこう語るシーンがある(字幕より)。

「ユダヤ人大虐殺がなければ 状況は違ったかもしれん」
「大虐殺の後 ユダヤ人は自分達の国家を欲した」
(その際)「アラブ人側の犠牲など構わなかった」

ホロコーストがなければ状況は違った、というのは実際、その通りだろう。

1894年のドレフュス事件(世界史に残るユダヤ人差別事件、フランス)をジャーナリストとして取材した、ハンガリー・ブダペスト(当時オーストリア帝国の一部)生まれのユダヤ人テオドール・ヘルツルがその事件を切っ掛けにヨーロッパにおける長年のユダヤ人差別の深刻さを改めて思い知り、そのことでシオニズム(言葉自体はオーストリアのユダヤ系思想家ナータン・ビルンバウムが考案)に目覚め、その指導者として第1回シオニスト会議をスイスのバーゼルで開催するのは1897年のことだが、それから21年後の1918年時点のパレスチナ(という言葉は紀元前からあった呼称だが、16世紀以降その地はオスマン帝国の支配下、そして同国が第一次世界大戦で敗戦国となった後は1918年からイギリスが占領、1920年から1948年までは Mandatory Palestine (British Mandate for Palestine), つまり「イギリス委任統治領パレスチナ」)における人口は、同年実施したイギリスの人口調査によれば、アラブ人(今日言うところのパレスチナ人)が 700,000人に対してユダヤ人は 56,000人と、前者の 1/12以下に過ぎなかった。

それが、1947年に当時まだ欧米諸国が支配的だった国連総会で「国連パレスチナ分割案」(同案の中で国連の信託統治領とする計画だったエルサレムを除くパレスチナ全域の土地の 56%を、アラブ人=今日言う「パレスチナ人」の人口の半分に満たないほどの人口だったユダヤ人の国家の土地とするという、極めて不当かつ不公正かつ不公平な分割案)が採択される際の国連の報告書では、当時のパレスチナにおける人口は、アラブ人(同上、パレスチナ人)とその他(アルメニア人などの少数を指すと思われる)が 1,237,000人、それに対し、ユダヤ人は 608,000人で全体の33%程度になっていた。

つまり、翌1948年のイスラエル「建国」の直前の年であってもパレスチナにおける絶対少数派ではあったユダヤ人なのだが(数十年間で急拡大したシオニズムによる運動で人口が急激に増えた結果であったため、ユダヤ人側の土地所有率にいたってはパレスチナ全域のわずか 7-8%程度に留まっていた)、それでも、その時点でパレスチナにおけるユダヤ人の人口は、上に記した 20世紀初期と比べれば、ほんの30年程度の間に絶対数として 10倍以上に急増していたことになる。

もともとヨーロッパにおける長年にわたるユダヤ人差別の歴史的背景があって、19世紀末以降、シオン(旧約聖書にも登場するエルサレム地方の歴史的地名)の地にユダヤ人国家を作ろうというユダヤ人の運動が広まったわけだが、その後の「イギリス委任統治領パレスチナ」時代のパレスチナへのユダヤ人の移民の動きの加速度的拡大、その結果としての同地におけるユダヤ人の人口急増の最大の要因として、ナチス・ドイツによる「ユダヤ人大虐殺」= ホロコーストを考えるのは、ごく自然な発想であろう。

念のために常識レベルのことを補足しておくと、ホロコーストはナチス・ドイツが行なった人類史に残る反人道的・人種差別的な犯罪・殺戮であって、当時パレスチナに住んでいたアラブ人(パレスチナ人)にとっては全く預かり知らない犯罪である。

なお、上記の「旧約聖書」云々に関わって、アメリカ合州国のユダヤ系アメリカ人政治学者で反シオニズム活動家でもあるノーマン・フィンケルスタイン Norman Finkelstein (因みに両親はホロコースト・サヴァイヴァー) の言葉を、本章の脚注で紹介しておきたい( *3)。

また、ホロコーストとの関連では、イスラエル人のジャーナリスト兼作家ギデオン・レヴィ Gideon Levy の言葉があるので、やはりこれも、脚注の中で紹介しておくこととする(*4)。

再び、映画「兵役拒否」のシーンに戻る。

上記のように、「ユダヤ人大虐殺がなければ 状況は違ったかもしれん」、「大虐殺の後 ユダヤ人は自分達の国家を欲した」、(その際)「アラブ人側の犠牲など構わなかった」などと述べたアタルヤの祖父に対し、彼の孫であるアタルヤは自身の主張を述べるが、祖父は笑顔でこう答える(この間、映画制作に協力してという趣旨か、二人はヘブライ語でなく英語で会話している)。

"So stupid." (日本語字幕では「私には理解できない」となっていた)

祖父が語った "So stupid" は言葉としては辛辣だが、上に書いたように、祖父はあくまで笑顔である。映画の終盤辺りのシーンまで、祖父によるアタルヤのアティテュードに対する理解はさして進まないように見えたし、先に精神科医の診断書でもって兵役を免れたアタルヤの兄とはもちろん、アタルヤの考えに対する理解を次第に深めていく彼女の両親との間でも、アタルヤの祖父の立場はかなり距離ができてしまう結果となるのだが、それでもとにかく、その祖父を含めて、アタルヤの家族には、常に対話、コミュニケーションがあるように見えた。そのことについては、彼女は恵まれていたと言えるかもしれない。

この対話を受け、アタルヤは次のシーンでこう語る(以下も字幕より)。

「祖父が私の年齢だった頃 パレスチナ人がトラックに積まれて強制退去されるのを見たらしい」
「それを見て悲しくなった反面 必要なことだとも思ったそうよ」
「友人や同志になれたかもしれないのに」

「この状況を変えるために 私に何ができるかを自問している」
「"拒否なら私にもできる" って気付いたの」

アタルヤの祖父がイスラエル「建国」当時(その前後を含む時期と思われる)、パレスチナ人がトラックに積まれて強制退去されるのを見たらしいという話、映画でアタルヤがそのことを語るシーンを見ながら、筆者はごく最近イスラエルのメディア Haaretz に掲載されていた記事を思い出していた。それを脚注の *5 で紹介しておきたい。

なお、アタルヤが言う "拒否" とはもちろん "兵役拒否", ひいては母国イスラエルによるパレスチナ占領政策に加担することへの "拒否" を指す。

「友人や同志になれたかもしれないのに」というアタルヤの感想は、それ以前の数十年間の歴史を冷徹に眺めるならば些か理想的に取られてしまうのだろうが、つまり、それは現実的にはかなりハードルが高いことだっただろうが、しかし、後に生まれて「いまを生きる」(「いま」とは映画で描かれたこの時点では2017年、それを今現在の2020年と捉えてもいい)、そして自身の人生においてこの先の長い歳月が残されているはずのアタルヤにとって、これまでの母国に関わる歴史や現実をそのまま受け入れて生きるだけではいけないという彼女の想いや決意は、ある意味、自然な発想から生まれているものなのかもしれない。

このイスラエル映画「兵役拒否」は、視聴した者の心に強く印象づけられるシーンが非常に多い。言わば、鑑賞した側として語るところが非常に豊富にある映画である。

今日の note 投稿では、この映画についてのテキストはここまでとし、明日もしくは明後日以降、何回かに分けて、その他のシーンにも触れて連載的に書いていきたいと考えている。

今日の note 投稿においては、この後の章では、この映画の主人公アタルヤが兵役拒否をしイスラエルの軍事刑務所に収監された2017年当時の彼女に関わる SNS 上の投稿を紹介したり、イスラエルにおける兵役拒否の歴史に関わる事柄、近年のアタルヤ以外のイスラエル人兵役拒否者の一部等について、本投稿の内容を補足するものとして取り上げておくことにする。

.................................
本章の脚注

*1 エルサレムは元々、1947年当時のイギリス委任統治領パレスチナにおけるアラブ系住民(今日言うところのパレスチナ人)とユダヤ系住民(ユダヤ人)の人口比や土地所有率の対比を無視した「国連パレスチナ分割案」(1947年11月29日国連総会で採択)においてすら、国連による信託統治領とするとされていた場所である。

その西側「西エルサレム」についてはイスラエル「建国」(1948年)時の第一次中東戦争でイスラエルが占領して同国領土として既成事実化したかのようだが、エルサレム旧市街のある「東エルサレム」(第一次中東戦争後はヨルダンが東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区を統治していた)についても、1967年の戦争の際のイスラエルの侵攻によりイスラエルが占領して一方的に併合した上でその後そのエルサレム全域に関してイスラエルが一方的に「首都宣言」したものであって(国際社会はこれを認めておらず、アメリカ合州国もトランプ政権以前は在イスラエル大使館を他の国々同様にエルサレムでなくテルアヴィヴに置いていた)、少なくとも東エルサレムは、複数の国連安保理決議(1967年11月22日採択の安保理決議242号など)がイスラエルの撤退を要求している、パレスチナ(被)占領地 OPT (Occupied Palestinian Territories) の一部である。

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なお、以下はノーム・チョムスキーが語ったものではないが、具体的に関連する数値の一部を示したもの。ただし2017年以前のものであって、今日のイスラエルは F-16 同様にアメリカ合州国で開発・製造されたF-35戦闘機を保持している(因みに、日本の航空自衛隊も!!)。

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*4 以下は、イスラエル人のジャーナリスト兼作家 Gideon Levy の、ホロコースト(ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺)とイスラエルによるパレスチナの軍事占領、ヨルダン川西岸地区やガザ地区(後者は現在イスラエルの軍事封鎖下)に住むパレスチナ人に対する弾圧に関してのメッセージ / 主張 / オピニオン。2点目に置いたリンクの先にある記事(イスラエルのメディア Haaretz の 2020年1月23日付)は、彼が以下の意見を同オピニオン記事において述べたものである。

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"Go to Gaza and Cry ‘Never Again’"(Gideon Levy on Haaretz, January 23, 2020)


*5 以下の記事 3点は全て今月、2020年10月のイスラエルのメディア Haaretz 上の記事。1) については、上の *4 においてもその記事を紹介した Gideon Levy による同様の署名記事。

1) 2020年10月4日付の記事

なお、記事のヘッド(見出し)にある Ben-Gurion (David Ben-Gurion) とは、1948年にパレスチナの地(本章のテキスト内でも言及した通り、パレスチナという名称は遥か昔の紀元前からあったが、この当時、直前 1920年から1948年までの正式名称は「委任統治領パレスチナ」, Mandatory Palestine もしくは「イギリス委任統治領パレスチナ」, British Mandate for Palestine で、その直前に関しては 16世紀以降の長い支配が続いた「オスマン帝国」の統治下にあった地域)の上に「建国」されたイスラエルという名の新興国家の「建国の父」であり、初代イスラエル首相であった人のこと。

これも本章のテキスト内でも触れたが、当時の「パレスチナ」地域におけるユダヤ人の人口は、それ以前の数十年間にわたるシオニズムによる移民の(ナチス・ドイツによるホロコーストの影響をも受けた)結果としての急激な人口増加の経緯があっても、依然として同地域に住むアラブ人 = 今いうところのパレスチナ人 = の人口の半分にも満たず、そうした歴史的経緯があったため土地所有率に至っては実に 7-8% に過ぎなかったにもかかわらず、イスラエル「建国」前年の1947年11月29日に当時まだ欧米諸国が支配的だった設立間もない国際連合の総会で採択された「国連パレスチナ分割案」は、その案において国連の信託統治下とするとしていたエルサレムを除く「パレスチナ」全域の土地の 56% をユダヤ人、つまりその案が新たに建設されるものと内定していたイスラエルという名の「新興国家」に与えるという、極めて不当・不公正・不公平な内容のものだった。

そして、そのイスラエルという名の「新興国家」は、1948年5月14日の一方的な「建国宣言」(一方の当事者であるアラブ系、現在いうところのパレスチナ人たちの意思を無視したわけだから一方的、イスラエルはこれを「独立宣言」と呼ぶが、上にも書いたように、それ以前にそこにあったのはオスマン帝国の支配が終わった後のイギリス委任統治領パレスチナ = その人口の圧倒的多数はアラブ系、いま言うところのパレスチナ人 = であって、その地において当時イスラエルという名の国やあるいは名前は別としてもユダヤ人の国がイギリスの植民地下にあったというような事実は全く、文字通り全く無い)とその直後の第一次中東戦争の結果によって、パレスチナ地域において、上記の前年1947年採択の「国連パレスチナ分割案」における不公正・不公平な内容のものよりも更に広い土地を得ることになった。

以下の記事についてあらためて。ヘッド(見出し)は、Even Ben-Gurion Thought ‘Most Jews Are Thieves’

本文の冒頭は、The quote in the headline wasn’t uttered by an antisemitic leader, a Jew hater or a neo-Nazi. The words are those of the founder of the State of Israel (David Ben-Gurion), two months after it was founded (on May 14, 1948) ... ( ) は筆者が加筆(May 14, 1948 は "it was founded" の日として、上記のイスラエルの一方的な「建国宣言」の日を付した)。


2) 1) に関連して、2020年10月3日付の記事

3) さらに関連記事もう1点、2020年10月5日付の記事


映画「兵役拒否」の主人公アタルヤ 〜 兵役を拒否してイスラエルの軍事刑務所に収監された2017年当時の SNS 上の投稿から

当時、イスラエル人やパレスチナ人の他、アメリカ合州国でパレスチナ人の人権擁護や彼らの民族自決権、イスラエル・パレスチナ地域に住む人々の平等や平和のために声を上げている人たち(ユダヤ系アメリカ人を含む)、そして日本を含むその他の国々においても多くの人々が、アタルヤの兵役拒否と軍事刑務所収監に関する SNS 上の投稿やその他のメディアの記事を頻繁にシェアしていた。

以下は当時、筆者が Facebook 上でシェアしたアタルヤの写真と投稿3点。

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2017年6月、ガザ地区に住むパレスチナ人の投稿をシェアしたもの。

同年12月にあらためてシェアしたもの。

同上、さらにもう一度シェアしたもの。


イスラエルの兵役拒否にみられるラディカルさ(シオニズムへの疑問)

アジアンドキュメンタリーズのウェブサイト上のイスラエル映画「兵役拒否」視聴ページには、「『兵役拒否』は、イスラエル社会の変化の予兆」との見出しとともに、次のように書かれている箇所がある(以下、転載)。

「イスラエルで、少しずつ兵役拒否が広がりをみせています。イスラエルによるパレスチナ占領政策に対する反対、そしてユダヤ人とパレスチナ人が平等に暮らす国を求める考え、さらには、軍隊そのものを否定する徹底的平和主義や、イスラエル建国のシオニズムに対する根源的な疑義など、イスラエルでは〝危険思想〟とさえ受け止められる考えをごく一部であっても高校生たちが議論し始めている現状は、今後イスラエル社会にもたらされる大きな変化の予兆と受け止めることができるのではないでしょうか。そして実際に、軍の予備役の士官たちにも、パレスチナ占領地での軍務を拒否する動きが出てきています。ささやかな反抗が、共感を生み、やがて社会の変革へとつながっていくのです。」

ほぼ共感するのだが、「 ... イスラエルでは〝危険思想〟とさえ受け止められる考えをごく一部であっても高校生たちが議論し始めている現状は ... 」、あるいは「軍の予備役の士官たちにも、パレスチナ占領地での軍務を拒否する動きが出てきて」といったくだりに関しては、筆者として若干補足したい。

イスラエルにおける兵役拒否は実は今世紀に入る前の時期にまで遡るほど決して短くない歴史があり、今世紀に入ってからとなると、「イスラエルによるパレスチナ占領政策に対する反対、そしてユダヤ人とパレスチナ人が平等に暮らす国を求める考え、さらには、軍隊そのものを否定する徹底的平和主義や、イスラエル建国のシオニズムに対する根源的な疑義など、イスラエルでは〝危険思想〟とさえ受け止められる考えをごく一部であっても高校生たちが議論し始めている現状」、そして「軍の予備役の士官たちにも、パレスチナ占領地での軍務を拒否する動き」といったものは、既に今から18年前の 2002年において、まさしく、まさしく文字通り、イスラエルにおける当時の時点の「現状」としてあったことである。

以下に、その18年前の当時の模様が、今日の note 投稿で取り上げた映画「兵役拒否」が描いている2017年以降の今現在とまるで重なるように思えてくる、2002年3月23日付の筆者のホームページ上の日記を、当時の文のまま転載するが、では逆に、当時も「大きな変化の予兆」と思われたものが 15~18年経ってもその先に進んでいないのかというと、そう決めつけるものではないと思う。

パレスチナ問題を継続してウォッチしたり、あるいは時としてパレスチナ支援に直接関わることがある人間の眼からすると、この間のアメリカ合州国におけるトランプ政権の登場とそのアメリカによるイスラエル政府の政策に対する支援の強化、そしてイスラエルにおける右派ネタニヤフ政権の長期化といった背景もあって、イスラエル社会がますます右傾化している面は見られるし、パレスチナ占領の実態は、パレスチナ人に対する人権弾圧にしても、入植地の建設拡大、占領地ヨルダン川西岸地区の一部のイスラエルへの併合の動きなどを見ても、ますます劣悪なものになっている。

その中で、しかし、イスラエルの若者の世代に、イスラエルによるパレスチナ軍事占領に加担することになる兵役を拒否する運動がこの間もずっと引き継がれ、それが弱体化することがなく、かつ今日の note 投稿で取り上げた「兵役拒否」のような映画もでき、支援者も増え、そして、この映画「兵役拒否」においても確認できるように、被占領地に住むパレスチナ人と占領者側イスラエルの市民の対話、連帯の動きも以前より目立つようになってきている。

70年以上にわたり、あるいは歴史的に見れば既に1世紀以上にわたり自らの郷土において苦難の歴史を経験してきたパレスチナ人の側からすれば、「一体いつまで時間がかかるのか」という想いはあるに違いないが、しかし長い眼で見れば、イスラエルの若者の「兵役拒否」運動の拡大やパレスチナ人側との連帯・結束の進化は、イスラエルにおける社会変革の流れ、パレスチナの解放、かの地における自由や平等・平和の確立などに向かって、ポジティブなものであることは確かだろうと筆者は思っている。

以下、18年前の筆者のホームページ上の日記から。

2002年 3月23日(土) シオニズムへの疑問(イスラエルの兵役拒否にみられるラディカルさ)

今日の朝日の朝刊の 9面に、17日(日)の「日記」で取り上げた、イスラエルの高校生による兵役拒否に関する記事が大きく掲載されている。当初62人だった賛同者の数は現在105人にまで膨らみ、このうち数人に既に召集通知が来ているとのことで、記事では、召集所で改めて兵役を拒否して軍刑務所への収監、出所、召集、収監、出所と繰り返し、今、三度目の召集命令を待つヤイール・ヒイロ氏(18歳)、現在裁判闘争中のアミル・マレンキ氏(18歳)、今年7月に召集される予定のハガイ・マタル氏(18歳)の 3名が紹介されている(17日のNHKスペシャルで特に特集されていたのはヒイロ氏とその父)。

ヒイロ氏はユダヤ人とアラブ(パレスチナ)人が平等に暮らす国を求め、マレンキ氏は全ての軍を否定する徹底的平和主義を主張し、マタル氏はパレスチナ国家を認めたうえでイスラエルとの共存の道があると訴える。マタル氏の主張はおおむね現在国際社会が求めている線に一致する考えだが、前の2者は思想的にその先を行っている(別にどちらが優れているということではないが)。マレンキ氏の考えは場合によったらガンジーやキング牧師にも通じるかもしれない非暴力思想とも取れ、十分ラディカルではあるが(とりわけイスラエルのような「紛争」の絶えない国では相当にラディカルである)、残るヒイロ氏の言っている内容はそのままシオニズムに対する根源的な疑義であり、ことイスラエルにおいてはあまりに「過激」かつ「異端」思想として受け取られるものであって、このような考えをイスラエル人高校生がイスラエル国内で堂々と主張しているという事実自体が、これまでのイスラエルの歴史からすれば極めて驚くべきことと言っても過言ではない。

彼は言っている。

「私はユダヤ人が自分たちの国をつくるというシオニズムに強い疑問を持っている。私が支持するのは、ユダヤ人とアラブ人が平等に暮らす一つの国をつくることだ。」

後半の考えは、残念ながら、多くの人が、実現困難な理想であり、少なくとも短期的には実現不可能な夢だとみるだろう。パレスチナの「紛争」の激しさをテレビでよく眼にする人にはそう取られるだろうし、パレスチナ問題をよく勉強し、両民族の共存を願う人からしても、より現実的に深刻に、当面実現は極めて難しいのが実態だと受け取られるだろう。しかし、私が注目するのは、ここでは、むしろ発言の前半である。

この主張はイスラエルにおいては「危険」思想扱いをされる程度のものと言ってもいいだろう。例えて言えば、戦前の日本国内において日本人高校生が日本の「建国神話」を否定する考えを堂々と主張するという例え方も可能かもしれない。

しかし、シオニズムは神話というよりも、現実の、現代のイスラエル建国の背景にある思想、国の成り立ちを定義づける思想である。世界中に離散していたユダヤ人(今もそうだが)に「シオンの丘に還ろう(そしてそこにユダタ人の国を建設しよう)」と呼びかけるシオニズムが思想的バックボーンとなり、世界のユダヤ人差別が結果としてこの思想による運動を強め、またナチスのユダヤ人虐殺がこれも結果として運動を加速度的に強化することになり、そして長年のユダヤ人迫害を懺悔する一方で問題を内部に抱えたくない当時の欧米社会の強力な支持を得ることによって、現代のイスラエルは建国されたのである(バルフォア宣言に代表されるイギリスの二枚舌外交 <<転載にあたっての注: 厳密に言うと「三枚舌外交」*1>> は この建国前史の系譜にあり、また、現在PLOをしばしばテロリスト呼ばわりするイスラエル政府だが、イスラエル建国運動の中でもテロは重要な戦術の一つとして採用され実際に行なわれていた)。

イスラエルの多数を占める保守派からすれば(ここでのこの範疇には労働党などの革新政党も含まれてしまう)、シオニズムの否定は現代イスラエルの国家そのものを否定しかねない極めて「危険な」思想に映るはずだ。その意味で、今回の高校生ヒイロ氏の主張は、先の戦前日本の例えなど及びもつかないほどのラディカルな思想だと言っていいだろう。

一方、兵役拒否に賛同する高校生のそれぞれは、実際には、イスラエルという国の在り方や軍に対して、さまざまな考え方を持っている。そのなかで、シャロン首相らへの手紙では、みんなが共通して賛成出来る「占領拒否」とそれにつながる「兵役の拒否」だけを掲げたということだ。極めてラディカルな思想を内包しつつも、現実社会にアプローチする際のこうした「行動の柔らかさ」、この辺りも今回の兵役拒否の動きにおいて注目すべき点ではないだろうか。

(ちなみに、ヒイロ氏は中学生の頃からアラブ人 (転載にあたっての注: ここで言う「アラブ人」とはイスラエル国内のアラブ系市民 = これも視点によってはパレスチナ人と呼ぶことが可能だが = を指す) やパレスチナ人と交流する平和団体の活動に参加しており、昨年夏に交流キャンプでマタル氏らと出会った後、首相ら宛てに「兵役拒否」の手紙を送ることにしたという。こういう平和団体がどれだけの困難のなかで活動しているのか、そこにはおそらくは僕らの想像を超える厳しさがあるに違いない。)

今日の記事に紹介された、昨年夏のイスラエル人高校生62人(当時)の、シャロン首相ら宛て「兵役拒否」の手紙の「要約」を、ここにそのまま引用したい。

「私たちはイスラエルで生まれ、育ち、間もなく軍の兵役招集を受ける若者です。私たちはイスラエルの人権侵害に反対します。

土地の強制収用、家屋の破壊、パレスチナ自治区の封鎖、拷問、病院に行くことの妨害など、イスラエルは国際人権法を侵害しています。これは市民の安全確保という国家目標の達成にもなりません。安全はパレスチナ人との公正な和平によってのみ達成されます。

良心に従い、パレスチナ民衆の抑圧にかかわるのを拒否します。」

彼らはこの間、国内で右派から「裏切り者」呼ばわりされ、一般市民からも「臆病者」と批判され、和平派の左派政党メレツ(規模としては弱小政党)からさえ「占領には反対だがイスラエル社会唯一の共通基盤である軍を否定すべきではない」との忠告を受けた。彼らはあくまで「異端」であり、少数である。

しかし一方で、今年1月末からは、軍の予備役の士官たちが占領地での軍務を拒否する運動を始め、 軍務拒否の予備役兵の数は既に300人を超えているという。イスラエルの中で、何か大きな変化が始まろうとしているのかもしれない。高校生の兵役拒否は、これから始まる長い変化・改革あるいは革命の時代の予兆であるかもしれないのだ。

彼らは僕らと同時代を生きている。このことをどう捉えたらいいのだろうか。アメリカという大国に庇護されながら国際社会の一角におさまり、世界中にモノを売りまくってきた日本というクニの僕らは、間違いなく彼らとも同時代を生きている。僕らはどこでどう繋がっているのだろうか。

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*1 イギリスの「三枚舌外交」とは、以下のものを指す。

1915年の中東地域におけるアラブ独立を約束した「フサイン=マクマホン協定」,
1916年のフランス・ロシアとの間で締結した中東地域を同三カ国で分割支配することを秘密裏に決めた「サイクス・ピコ協定」,
1917年のイギリスの外務大臣アーサー・バルフォアが公にしたシオニズムを支持しパレスチナの域内でユダヤ人の国を作ることの支援を約束した「バルフォア宣言」

*2 上の日記は自分のホームページ上に2002年3月23日当日にアップし、これまで掲載してきたもの。近年全く更新していないホームページだが、今もネット上に置いている。

ただし、2001年夏に本を買って HTML 独学して 1週間ほどで立ち上げた、ホームページ作成用簡易ソフト不使用のウェブサイトで、以降一切、仕様を変えておらず、現在、とりわけスマホなどから閲覧しようとすると OS のヴァージョン次第では文字化けする場合がある。パソコンであれば、Google, Safari 他、大抵のブラウザ上で閲覧可能なはず。


イスラエルにおける兵役拒否に関する、以前の note 投稿

以下の筆者の note 投稿 2点は、今日の投稿で取り上げたイスラエル映画「兵役拒否」が紹介している 2017年のアタルヤに続き、2018年以降にアタルヤと同様、イスラエルにおいて母国イスラエルによるパレスチナ軍事占領への加担を拒否し、兵役を拒否したイスラエルの若者たちの写真を掲載しつつ、今日の note 投稿の前章においても転載した、以前からイスラエルにおいて兵役拒否の運動があることを示す筆者の18年前のホームページ上の日記を併載したもの(一文、長い! いろいろ書いて疲れてきたのでご容赦!!)。

イスラエルの若者による兵役拒否 〜 直近、2020年における事例

以下は、最近、新たに兵役拒否を表明したイスラエル人の若者 Hallen Rabin さんについてレポートするインスタグラム上の投稿からの 2点。

IfNotNow も Jewish Voice for Peace も、イスラエルの占領政策に反対し、パレスチナ人の人権擁護や彼らの自由、かの地におけるイスラエル人とパレスチナ人の間の平等や平和の実現を目指して活動している、ともにユダヤ系アメリカ人の団体。因みに前者は、より若者中心の団体である。


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