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シベリア鉄道の旅 〜 ソ連 「探訪」: 1983年4月30日, 5月1日・2日

1983年4月26日, ユーラシア大陸「ほぼ」一周旅行への出発

まずは, 1983年4月26日、横浜港から,

つまり ♫

あ、違った(笑)、要するに, 横浜港から, 出発(たびだち)の歌 ♫

乾いた空を, 見上げているのは誰だ。おまえの目に, 焼きついたものは化石の街。愛の形が壊れた時に, 残されたものは 出発(たびだち) の歌 〜 さあ 今, 

銀河の向こうに飛んでゆけ ♫

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というわけで、まずは, 目指したのは 銀河鉄道 ..

.. 違う, 横浜港からフェリーで 2泊3日の船旅をして(当時の!)ソ連の港町 ナホトカ へ。その先の ハバロフスク から始める, 

シベリア鉄道 の旅!

シベリア鉄道, 乗車前夜 〜 ソ連 「探訪」: 1983年4月28日・ナホトカ, 29日・ハバロフスク

1983年4月26日、横浜港をフェリーで発ち、2泊3日の船旅により 4月28日にナホトカ着、同日ナホトカ1泊。翌 4月29日は列車でハバロフスクに移動し、同日ハバロフスク1泊。

シベリア鉄道の旅 〜 1983年4月30日 ハバロフスクを発ち, まずは 3泊4日かけてイルクーツクへ(途中, ルイーズ・ブライアントと再会.. な, なんだって?)

前章でリンクを貼った前回の note 投稿にも書いたけれど、シベリア鉄道は本来はウラジオストクから。しかし筆者の記憶では当時ウラジオストクは軍事的理由により外国人が入ることはできず、日本からソ連に行ってシベリア鉄道の列車に乗るには、船旅でナホトカに着いた後、ナホトカから列車でハバロフスクまで行く必要があった。シベリア鉄道の旅はそのハバロフスクから始める、という方法しかなかったと思う。

以下は、1983年4月30日の旅日記から(当時の為替は, 前章でリンクを貼った前回の note 投稿の第2章「シベリア鉄道, 乗車前夜 〜 ソ連 『探訪』: 1983年4月28日・ナホトカ, 29日・ハバロフスク」の中で載せた筆者の当時 [1983年4月28日付] の旅日記によれば 1ルーブル≒333円, ただし, 1ルーブル=100カペイカである為, 以下の 4月30日付のメモからするとこの時点で既に 1ルーブル≒385円とルーブル高になっていたのかもしれない, いずれにしても当時の相手は自称「共産主義」「社会主義」国家であったソ連, したがって公定レートは相当に政治的なものであったと思われる)。

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次は, 今になって当時の日記を撮った写真ではなくて、当時カメラで(当然ながらスマホでではなくて, 笑)ロシアを, ソ連を, 撮った写真。

左端に誰かの顔の端が写ってしまった, 1983年5月1日、メーデーの日(偶然だけど!)。

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さて, 1983年5月1日、シベリア鉄道のとある駅に着き、列車から降りたばかりの当時22歳の私を待っていたのは, ルイーズ・ブライアント(Louise Bryant; December 5, 1885 – January 6, 1936)であった。

.. な訳ないか(笑)。そもそもその半世紀近く前に他界しているし。この人、ルイーズ・ブライアントを演じたダイアン・キートン(Diane Keaton; born January 5, 1946)だったし。拙者の一番好きな女優ダイアン・キートンは今日2021年5月2日現在も健在! .. 何はともあれ, 1917年に起きたロシア革命をシンパシーと批判の眼を持って取材したアメリカ合州国のジャーナリスト、ジョン・リード(John Reed; October 22, 1887 – October 17, 1920)の半生を描き、ウォーレン・ベイティ(Warren Beatty; born March 30, 1937 .. 今日現在も健在!)が製作, 脚本を書き, 監督を務め, そしてジョン・リード役の主演を演じた, 1981年12月3日アメリカ公開, 1982年4月10日に日本公開の映画 "Reds", 邦題「レッズ」、日本で公開されて直ぐに札幌の映画館で観たけれど、あの映画、良かったなぁ。

(あの映画のことはここに書いてないけれど!)

さてさて 、話を戻して,

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途中駅でしばしの停車, 下車して若干ぶらつく機会が提供され(そんな感じだったと思う!)、ぶらついた先で, パチリ。誰に撮ってもらったのか、とにかく当時22歳の拙者 ... 背景がいかにもソ連!

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選挙の時期だったのだ。ソ連はいちおう形式的でも選挙やってたってわけか。今の中華人民共和国、選挙を全くやらないで(「ほぼ」やらないよね?)、まがりなりにも民主主義の形はあって且つ民主主義の意識はもしかしたら今の日本なんかよりもまともそうな香港の人々の言論・表現の自由ひいては政治活動全般を弾圧し、チベットの自治も怪しく、ウイグル人の人権をひたすら弾圧するあの国よりは、当時のソ連はマシだったの「かも」しれない, ということかな。

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停車時に下車して列車の前で旅行者仲間と記念写真。とりあえず中央の彼のデカさが目立つけど, それにしても左端の筆者, 当時22歳, 「だった」記憶はないのだが、これじゃまるで「マッシュルームカット」みたいに見えるなぁ(笑)。遅れてきた「ビートルズ」という感じ(爆)。

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マッシュルームカット ♫

ではでは、ビートルズの話題はそのくらいにして ♫

以下は 1983年5月1日の旅日記から(一部)。

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インターナショナル(!)

(笑).. これも上の方で載せた, 1981年12月3日アメリカ公開, 1982年4月10日に日本公開ウォーレン・ベイティ製作・脚本・監督・主演、ダイアン・キートン共演(というか彼女も主演だなぁ)、1917年に起きたロシア革命をシンパシーと批判の眼を持って取材したアメリカ合州国のジャーナリスト、ジョン・リードの半生を描き、当時の「時代」と恋人ルイーズ・ブライアントとの関係をも物語の核に置いたアメリカ映画 "Reds" から!

さて、話を 1983年のロシア, ソ連に戻して, 上掲の日記の続き。

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この後、続けて「今日は ウォッカで酔った。しかしこれは 言える。世界平和はソビエト旅行から!(半分冗談, 半分本気!)」などと書いている。

ところで、この頃のシベリア鉄道、我々「外国人旅行者」は「外国人旅行者」専用の車両に押し込められ(車両内のスペースは十分でその意味での快適さはあったのだが)、一方でロシア人, というか「ソヴィエト連邦の国民・人民」に属する乗客には彼ら専用の車両がある, そういう, 外国人との交流を制限しようとするソ連の国柄によるルールがあった。しかしながら、「外国人旅行者」がソ連の人々の専用車両に移動することはほぼ不可能・厳禁だったものの、彼らソ連の人々が「外国人旅行者」専用車両に遊びに来てしまう、それは可能だったという, 些か緩い規制のお陰で、当時の我々はロシア人などソ連の人々と親交を深めることはできて、それはそれでかなり楽しいひとときにはなった(ただし、2日後、5月3日の朝イルクーツクで下車する際に彼らから聞いたところによると, 彼らのうちの一人は 5月2日の夜、列車内当局≒官憲に呼び出された [注意された] とのことだった)。

以下は, 1983年5月2日に撮った写真。

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前日の写真のところにも書いたけれど、同じことを書いておこうと思う。選挙の時期だったのだ。ソ連はいちおう形式的でも選挙やってたってわけか。今の中華人民共和国、選挙を全くやらないで(「ほぼ」やらないよね?)、まがりなりにも民主主義の形はあって且つ民主主義の意識はもしかしたら今の日本なんかよりもまともそうな香港の人々の言論・表現の自由ひいては政治活動全般を弾圧し、チベットの自治も怪しく、ウイグル人の人権をひたすら弾圧するあの国よりは、当時のソ連はマシだったの「かも」しれない, ということかな。

投票

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当時のソ連の街の様子、そのひとコマ。何処にいても、人々が「毎日」「日々」「日常」を生きている様子は, どこか愛らしい。人間は元来、きっと「めんこい」ものなのだ。

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以下は 1983年5月2日の旅日記から(一部)、そして ソ連の官憲によるフィルム抜き取りとそれに対する抗議について。

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この次のページには、「シベリア鉄道の車窓風景は予想していたよりは変化する。とにかく でかい」なんて書いてある。その後の記憶では、延々と同じ風景が続く「かのような」シベリアの平原、ロシアの大地といったことの方が印象に強く残っているのだが。

それと、「自分の足でたて。自分自身を持て!(→ 主体性を確立せよ!)」なんてメモ書きもあって、なんだか自分より更にひと世代近く年上の学生の時代の学生運動の人間の物言いみたいで, ちょっと笑える。自分は 1960年生まれ, 大学に入ったのは 1979年4月, '60年安保はもちろん '60年代後半から '70年学園紛争の時代も既に過ぎ去ってしまった後ではあるけれど、個人的に学生運動もどきとか市民運動への関わりなどはあった学生時代だった。だから、こういう言葉遣いがあったのか、それともあの頃ってまだこういう言葉遣いが一部には残っていたのか(自分だけでなく自分の周囲のある程度の範囲では「残っていた」気がする, いいとかわるいとかは別にして)、その辺り、今となってはあんまり確かなことは言えない。

なお、上掲の日記の中に「同じ車両のロシア人猟師」といった言及があるが、前日の日記のところにも書いたように、当時、ソ連の「国民・人民」専用車両と「外国人旅行者」専用車両が設けられていたと記憶しているので、しかしながら前者の乗客が後者の外国人のところに遊びに来るようなことはできた(逆はほぼ不可能)という, その些か緩い規制のもと, 我々「外国人旅行者」専用車両を覗きに来ていた「ロシア人猟師」のことだと思われる。

それはさて措き、強く印象に残っているのは、停車駅でプラットフォームに出て駅周辺・街の様子を写真に撮っていたオーストラリア人旅行者があっという間にソ連の官憲に取り囲まれ、問答無用でフィルムを抜き取られ、フィルム1本つまりそれまで撮ってきた写真を台無しにされたこと、そしてそれよりも更に印象に残っていることは彼が猛然とソ連の官憲に抗議し、抵抗したこと。当時のソ連では港や多くの鉄道の駅などが軍事的理由等で撮影禁止になっていたことは旅行者には知られており、我々旅行者にも直接事前に注意があった可能性はあるのだが(筆者が残した当時の写真でも駅の写真は一枚もなく、理由はそういうことだろうと思う)、それにしても一瞬のうちに取り囲みカメラを取り上げ、フィルムを文字通り瞬時に抜き去る、そうした官憲の行為が不快なものであったことは確か。その当該の駅での撮影に関するルール説明が事前にどの程度あったのかまでは記憶にないのだが、抗議したくなる気持ちは十分に分かるし、実際、当時、自分がそのオーストラリア人旅行者の抗議に対してシンパシーを感じたことをよく憶えている。そして、ある意味, 感心したのは、ソ連の官憲に対して全く怯まず猛烈に抗議したこと。自分もそういう時に(不条理や権力の横暴などに対して)抗議しないと気が済まない質(タチ)ではあるのだが、自分が彼の立場だった場合、あそこまで猛抗議したかどうか。たった一つの例ではあるけれど、大抵の日本人はそれどころか「シカタナイ」と思って、抗議の声は一切挙げないまますごすごと引き下がるのかもなぁと感じた。

もちろん、カメラは戻った。しかしフィルムはその駅の前までに撮っていた写真の分を含め、当然ながら完全にオジャン。その時のそのオーストラリア人旅行者の「自由」なるものへの拘り、権力を持つ側から自らの権利を抑圧された, 奪われたと感じた時のプロテスト、そのアティチュードに関しては、感じ入るものがあった。

因みに、そのマイケルという名のオーストラリア人旅行者は、横浜港を出てからモスクワに着くまで一緒だった旅行者のうちの一人。本章の冒頭で触れたシベリア鉄道の件(本来はウラジオストクから)と同様、これも前章でリンクを貼った前回の note 投稿にも書いたことだけれど、団体旅行は好きじゃない筆者ながら、1983年から1984年にかけてのバックパッカー海外「放浪」もどき一人旅の最初の2週間ほどの旅程、つまり横浜港を出てモスクワに着くまでの間については、当時のソ連はその国柄から単独旅行よりもまだ団体旅行の方が「比較的」「あくまで比較的に」自由に行動できるということで, その間だけは30人弱の団体旅行に参加していた(参加者の半分は日本人で, 残る半分は当時日本在住だった欧米中心の外国人たち、括弧ちと長いな, カッコマン!)。

さてさて ♫

明日、1983年の「明日」、1983年5月3日には、4月30日にハバロフスク駅からスタートした 3泊4日のシベリア鉄道の旅で辿り着いたバイカル湖のイルクーツクにて 1泊、街ではロシア人少年少女と交流、そんな日が待っていた。この続きはまた今年2021年の「明日」!

Tomorrow Never Knows 〜 a song written by John Lennon, from the Beatles' 1966 album "Revolver" ♫

そして、

Every Picture Tells a Story .. by Rod Stewart 〜 歌詞和訳

最後は, 以下の note 投稿テキスト第3章「"Every Picture Tells a Story" (Rod Stewart) 〜 歌詞和訳」から転載し且つ拙者による拙訳ならぬ良薬ならぬ良訳を。

"Every Picture Tells a Story" は 1971年5月28日にリリースされた Rod Stewart 3枚目のアルバムのタイトル・トラックで、LP の A面 の 1曲目。このアルバムは当時イギリスでもアメリカでもチャート 1位を記録し、B面 2曲目の "Maggie May" も両国それぞれのシングル・チャートで 1位になったという大ヒット作だった。
この歌(Rod Stewart と Ronnie Wood の共作)、音、メロディだけじゃなくて、歌詞も素晴らしい。筆者が若いころ旅に出たかった気分の「おおよそ」のことなら、この歌の中に見事に描かれている。
筆者は特別劣等感に苛まれていたのではなかったし、親父に勧められたのでもなかったが、でも自分の親父もこの歌の歌詞の中の親父みたいな人で、ああいう類のことを言う人だった、「だった」と言っても 92歳の今現在も健在・元気!

拙者の親父殿が生まれたのは1928年、年号とやらで言うなら「昭和」3年9月、だから 2021年5月2日の今日現在も92歳、そして心身共に健康で元気! .. 何は共ああれ, それはともかく!

そういう「訳」(ワケ)で、この歌の歌詞を今日(2021年2月4日のこと!)、「訳」(ヤク, あの「ヤク」ではありません!)してみたいと思ったのだ。

Every Picture Tells a Story 〜 a title track from the third album by Rod Stewart, released on May 28, 1971 ♫

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。

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しばらくの間 おれってダメな奴かもって思ってた
鏡の前に立って
何百回と髪をとかしても(*1)
結局は代わり映えしない俺がそこにいるだけ

親父がおれに言ったのさ、「息子よ、世の中を見てくるがいい
家を出て行ったって咎めたりしない
だけど覚えておけ、現を抜かすんじゃないぞ
お前の金を掠め取るような女にはな」(*2)
で、おれは出かけたってわけさ

パリは身を隠せる場所だった
周りに馴染めないって思ったらね
だけどフランスの警察は平和をくれなかったのさ
連中はおれのことを汚らしい奴だって言うんだ
セーヌの左岸に降りて物思いに耽ってて(*3)
押し寄せてきた群衆にノックアウトされたら
平和的な暴動を扇動したって罪で逮捕されちまった
おれはその時ほんとはお茶一杯飲みたかっただけだぜ
なのに責任取らされたってわけさ、ったく
その後も旅を続けたよ

ローマに行ったけど何か物足りなかった
若い奴が生きてくための何かがね
おれの体は悪臭を放ってたけどそのまんま、憂鬱だった(*4)
まさに運も尽きて落ち目って時にね
ほんとに破れかぶれ、やけになって
観光客用の見せ物みたいになってた
それで思ったよ、ここから出なくちゃってね
バチカンに行ったって認められるわけないし
そんな気もなかったさ、あるわけない

東に向かって出かけたぜ、聞いてくれよ
北京のフェリーに乗ったら楽しい気分になったんだ(*5)
こっちに戻る船の中のことさ
切れ長の目の女と恋に落ちたってわけ
東洋の月明かりに感謝しなくちゃね
上海のリルは決してピルを使わない
ピルなんて自然じゃないわよって言うんだ
で、おれを甲板に連れて行って首に歯を当ててきたよ(*6)
なんてこった、彼女と出会えたなんて上出来だよ
ほんとさ、最高の気分だったよ
ちょっと待ってくれ

おれはいま固く信じてるよ、結局大事なのは自分だってことさ
マジで思ったんだ、おれはほんとに完璧だってね
人間、どんだけおかしくなれるのかな
おれが今まで知った女たちには靴紐一つ結ばせなかったよ(*7)
ああいう女といると自由な気分でいられないんだ(*8)
だけどあの切れ長の目の女には心底やられたよ(*9)
彼女に出会ったことは神にでも感謝しなくちゃな
おれが伝えられる彼らの言葉の中に(*10)
旅してる最中のあんたに役立つものがあるとしても(*11)
彼ら、つまりディケンズやシェリーやキーツの言葉は使えないな(*12)
そんなの散々言われてきて手垢まみれだろうよ
どんな悪い状況でも最善を尽くす、でもって笑い飛ばすんだな
とにかくこんなとこまで来なくてもいいよ

覚えおくことさ、どう見えるかで何が起きたのか分かるんだ、だろ?
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
百聞は一見にしかずって言うよな
百聞は一見にしかずってね
百聞は一見にしかずって ...

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注釈 *1~12 については全てこの中, と書いて結局しつこくリンク貼るのだった ♫


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