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マッターホルンが真正面に, スイス・ツェルマット 〜 1983年6月14日, BGMは "Ballad of the Beacon" by Wishbone Ash ♫

1983年4月26日の横浜港からスタートしたユーラシア大陸「ほぼ」一周旅行, ちょうど50日目 〜 これまでを振り返る

便利な note 2点あるので, リンク。1) 西ドイツ・ケルン note 第1章「1983年4月26日に日本を発ってから, ベルリンまで(ソ連, フィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマーク, 西ドイツ, 東ドイツは東ベルリンのみ)」に, そこまでの全行程 notes それそれへのリンクが入っていて, 2) スイス・ジュネーヴ note 第1章「1983年4月26日に日本を発って49日目, 直前10日間滞在したフランス, パリを振り返る」には, 1983年6月2日夜に西ドイツ(あらためて, 「ベルリンの壁」崩壊前の時代なので!)のケルンを発った夜行列車に乗って翌6月3日朝6時半頃にフランス・パリに着いて 6月12日夜11時59分(旅日記の筆跡では11時54分の可能性もあり, 細かい! .. そうだ, 「旅の諸々」段ボール箱*1 の中に当時のトーマス・ クックの時刻表があるかも, いつか調べてみようか, とは「ひとりごと」*3)発の夜行列車でパリを発ってスイス・ジュネーヴに向かった, その間のパリ滞在10日間の notes 7点それぞれへのリンクが入ってる。

1) ケルン note: 題して; ケルン大聖堂 1983年6月2日, 写真しょぼい2枚しかないので 〜 ベルリンまでのリンクと「宗教」絡み付録でも付けることにする(余談ながら筆者は無神論者で, かつユダヤ教, キリスト教, イスラームなどのアブラハムの宗教をはじめ全ての「宗教」に対する批判者*5, もちろん知らない「宗教」は世の中に存在するけどね, note タイトルも長いが, 相変わらずカッコ長い!)

とにかく, 以下リンク先, 西ドイツ・ケルン note の第1章「1983年4月26日に日本を発ってから, ベルリンまで(ソ連, フィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマーク, 西ドイツ, 東ドイツは東ベルリンのみ)」に, そこまでの全行程 notes それそれへのリンクが入ってる。

2) ジュネーヴ note: 題して; スイス, ジュネーヴ滞在 〜 1983年6月13日, ジュネーヴ第4条約を想起しつつ BGM は King Crimson, Pink Floyd & more ♫ (ジュネーヴでジュネーヴ第4条約絡みでパレスチナ/イスラエル問題を想起, そのついでに日本のアホな自称「イスラム思想研究者」批判)

*1 「旅の諸々」段ボール箱。段ボール箱は note に載せられないので(笑), その, 1983年から1984年にかけてのユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅, バックパッカー海外「放浪」もどき一人旅の当時の旅先で入手したり実際に使ったりした地図類, 旅先で受け取った手紙などと共に何冊もの旅日記が入っていた箱の現物でなくて, その写真。切っ掛けあって(*2), 押し入れから引っ張り出した 2019年10月19日に, 引っ張り出し記念で撮った写真。

中身は, 地図類とか手紙とか, そして, 横浜港を出て当時のソ連のナホトカに向かうフェリーの中, そしてソ連ナホトカ, ハバロフスク, ハバロフスクからはシベリア鉄道でモスクワまで(3泊4日の列車旅でイルクーツク下車1泊, 更に列車旅4泊5日)のソ連, それからフィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマーク, 当時の西ドイツ, そして当時まだアメリカ合州国・イギリス・フランスの占領下だった「ベルリンの壁」時代の西ベルリン, そして東ドイツの東ベルリン, フランス, スイス, 再びの西ドイツ, そしてユーゴスラヴィア(今はなき, 既に解体されている, 当時は健在だったチトー統治下の「社会主義連邦共和国」, 滞在したのは当時の「ユーゴ」の首都, 現在はセルビア共和国の首都ベオグラード), それからオーストリア, イタリア, ギリシャ, トルコ, シリア, ヨルダン, パレスチナとイスラエル, エジプト, 再びトルコ, イラン, パキスタン, インド, タイ, 韓国, そして帰国後の広島などで, 毎日(疲れて書けなかった日の分は後日になってでも)書きためた, 何冊もの旅日記とかなんだけど, 

さてさて, 当時のトーマス・ クックの時刻表も入ってるかな。また段ボール箱出してそいつをひっくり返せば分かるんだけど, それはまたいつかの日にする, と自分自身に勿体ぶる。「ひとりごと」(*3)

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*2 ちらっと切っ掛け書いた。

*3 邦題は「ひとりごと」だった。原題は "There Goes Rhymin' Simon", ラフに訳せば「ほら, サイモンがまた韻踏んでるよ」って感じ。ポール・サイモンが 1973年にリリースしたアルバム, その全曲ではないが 5曲聴けて, うち 4曲は歌詞和訳つき。前作 "Paul Simon"(*4)と比べ, かなりポップな仕上がり, 音楽の豊穣を極めた大傑作。ほら, 山本剛がまた note 宣伝してるよ。

*4 ポール・サイモン, S&G解散後の第1作 "Paul Simon" 全曲聴き倒し, 3曲(+)歌詞和訳つき。

*5 「宗教批判は, 例えばこの note とかでも, Bonus track 4 の後の最後の章に入れてある。

「新植民地主義者ヘルムート君」

「新植民地主義者ヘルムート君」というのは, 随分と昔, 要するに少なくとも 1983年以前の小田実の著作の中に登場してきた人物だったものと思う。いや, この記憶はかなり確かなものだという気がする。調べりゃはっきりするだろうが, ま, 今日はいいや(笑)。

当時の旅日記に, こんなくだりがあった(2ページに跨っていて, 左右の頁それぞれの上は旅先で知り合った人たちの名前や住所, 電話番号が書かれていたので「個人情報」ということでカット)。

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1983年6月14日の日記に「63才」と書いてあるから, 1920年辺り, 日本の年号で言えば「大正9年」頃の生まれか。

要するに,「面白い」日本人旅行者と会った。「大正」生まれの日本人と言えば, 当時だったら海外旅行するとしても殆どが JALパックみたいな団体旅行だったろう。しかし彼は一人旅をし, 高いホテルには泊まらず, 安宿を好んだ。その旅のスタイルの「外形」は, その時の筆者のそれと, おおよそ似たようなものだ。そういう意味では, 面白い。

しかし, アフリカについて「黒いのはレベルが低いから.. 」と語り, 中東については(たぶん筆者がヨーロッパの旅の後に中東を旅すると言ったからだろう)「商社の人が(中東は)つまらんと言ってましたよ」と語る。「ほぼ」(いや完全にと言うべきか)レイシストであり, かつ, 戦前の「脱亜入欧」的な発想を戦後40年近く経ったその頃も依然として持っていた可能性がある日本人。

「面白い」日本人, 「面白い」日本人旅行者ではあった。いま健在なら, 100歳とか 101歳ぐらいかな。健在であれば, 幸い元気にしている筆者の両親, 1928年(「昭和3年」)生まれの父親, 1931年( 「昭和6年」)生まれの母親よりも, さらに高齢の「戦前」育ち, さらに高齢の「戦争」体験者の日本人ということになる。

人それぞれの人生だ。何が幸せで何が幸せでないか, それはシンプルに語れることではないけれど(*), できればあの後, あの日本人の考え方が変わり, 例えば, アフリカや中東の歴史とか文化などへの理解を深めたり, 実際にアフリカの人や中東の人と知り合って, あるいは彼らと親しくなって考え方が変わり, そして, あの日本人自身, 平和でかつ「幸せな」人生を生き, 今も健在でいてくれたらいいなと思う。でも仮に考えがあまり変わらなかったとしても, 生きていてくれればいいなと思う。

* 上の話とは殆ど関係ないけれど, 「人それぞれの人生だ。何が幸せで何が幸せでないか, それはシンプルに語れることではないけれど」と書いていたら, ふと思い出した。自分向けの美貌録, いや備忘録(うちのカミさんは確かに美貌だけど!)。

マッターホルンが真正面に見えた, スイス・ツェルマット 〜 1983年6月14日

当日の旅日記によれば, 1983年6月13日に1泊だけしたスイス・ジュネーヴを 6月14日朝に発ち(日記に「本気で好きにはなれなかった」と書いていたフランス・パリには9泊10日したけれど, 無愛想だったパリとは打って変わって優しかったジュネーヴには1泊2日だった, あんまり深い意味はないかもだけど, 笑),

ブリーク(イタリアとの国境近く, ツェルマットへの起点)に出て, そこから登山電車でツェルマットに向かった。日記に書いてあるメモによると, 片道25SF(スイス・フラン)で, この登山鉄道はユーレイルパスの対象ではなかったから, 個別に運賃を支払って乗車した。

パリではユースホステルではなく, ユースホステルより安い, 要するに普通の安宿に泊まったが(部屋でネズミが出たりフロントがピストル持ってたりだったけどあれは「普通」だったのか, 笑), 続くジュネーヴやツェルマットの宿はユースホステルにした。というか, 中東やアジアでは 1泊日本円にして200円とか時にはそれ以下の超安宿に泊まっていたのだが(当時の為替は 1USドルが250円程度, ああいう宿は今だと日本円にして幾らくらいなのかな, 円が強くなって日本円での宿代はさらに安くなってるはずだがどの程度なのかは微妙, 各国の経済状況の変化もある, 単純計算通りではないだろうなぁ, カッコ長い!), ヨーロッパの多くの国に関しては, バックパッカーが泊まる宿はユースホステルである場合が多かった(とりわけ北欧とか中欧, ただし, 観光大国フランスや南欧のイタリア, ギリシャなどはちょっと事情が違って, ユースホステルより安い安宿がちゃんとあった, 今もあるだろう)。 

1983年6月14日付の旅日記からの転載, マッターホルン を観た感動が, いたってシンプル。

ツェルマット駅より YHへ。マッターホルン が真正面に見える!

写真は 2枚。

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ツェルマットのユースホステルの文字通り「真正面」が, マッターホルン だった。

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いやはや, 確かに, 美しかった。綺麗, 華麗, 荘厳。

しかし, 筑波山だって負けない(笑)。麗しきカミさんがいれば, 完全に勝ち(「拙訳」という自虐表現は今は使っていないけれど, また笑)。

Ballad of the Beacon 〜 Wishbone Ash ♫

"Ballad of the Beacon" from Wishbone Ash 1973 LIVE album "Live Dates"

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。

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