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クリスマスの日のイスラエル空軍によるツイートのばかばかしさと、「知の巨人」ならぬ「知の怠慢」 ユヴァル・ノア・ハラリ

前説

本稿のタイトル上に掲げたのは、キリスト生誕の地とされるヨルダン川西岸地区のベツレヘムにある聖誕教会(降誕教会)を撮った写真の上部。筆者が 1983年9月30日に、当時も今も 1948年に作られたイスラエルという名の国が 1967年11月22日の国連安保理決議242号を含む複数の国連安保理決議や総会決議に違反し続けて違法占領している(東エルサレムを含む)パレスチナのヨルダン川西岸地区の南部に位置するパレスチナ・ベツレヘム県の県都、ベツレヘムにある歴史的なキリスト教の教会(2012年に国連教育科学文化機関 (UNESCO, ユネスコ) により世界文化遺産に登録) Church of the Nativity を訪れた際に撮った写真で、写真の全体は以下の通り。

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この教会は、イエス・キリストが生まれたとされる(実際のところ学術的な証明は何もないと思うが)洞穴の上に聖堂が建設されたもので、西暦339年に完成し、その後、6世紀になって火災に見舞われ、当初のものはモザイクの床の一部が現存しているのみ。したがって、それ以外の部分は、当時 6世紀に再建されたものが中心となって、現代に受け継がれているものということになる。

ベツレヘムと言えば、下に掲載する写真は、ベツレヘムのホテルに展示されたバンクシーの作品「ベツレヘムの傷痕」。

"Dubbed the 'Scar of Bethlehem', the work shows Jesus's manger by ISRAEL's separation barrier, which appears to have been pierced by a blast, creating the shape of a star." https://www.bbc.com/news/world-middle-east-50881270

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ユダヤ人差別とシオニズムと、1948年のイスラエル「建国」 〜 そして、パレスチナ/イスラエル問題

これも今日の note 投稿のタイトルのもとでは、前説みたいもの。「前説」にしては長いが!  .. とはいうものの、筆者の過去の note 投稿(本稿の付録でリンク)の中で書いた筆者自身のテキストから以下、転載するので、読んだことがある人は次章に進んでいただいて構わない。もちろん読んだことのない人も、次章以降を読んでから、この章に戻っていただいても構わない。当然ながら読んでくださる方に読み方・読む順の指図などできないのだから、ある意味それは(同義反復ながら)「当たり前」だけれど。

パレスチナ問題(パレスチナ/イスラエル問題)の原因となったものをざっくり箇条書きすれば、1) 欧州における長年のユダヤ人差別、2) それによって勢いづくことになったシオニズム(によるユダヤ人のパレスチナへの移民・入植の運動)、3) イギリスの俗に言う三枚舌外交 〜 すなわち、1915年10月のフサイン=マクマホン協定(中東地域におけるアラブ諸国独立の約束)、1916年5月のサイクス・ピコ協定(フランス、ロシアと結んだ同三ヶ国による中東地域の分割支配を目論んだ秘密協定)、そして、1917年11月のバルフォア宣言(イギリスの当時の外務大臣アーサー・バルフォアが表明した、イギリス政府によるシオニズム支持表明) 〜 当然ながら中でもバルフォア宣言、そして 4) ナチス・ドイツによるユダヤ人弾圧・大虐殺「ホロコースト」(の結果としてのシオニズム強化、ユダヤ人のパレスチナへの移民運動の急拡大・移民人口の急増)、5) 1947年11月のまだ設立2年で欧米諸国が支配的だった当時の国際連合の総会における不当な内容のパレスチナ分割案決議(いかに不当・不公平だったかについては以下のテキスト内で言及)、イスラエル「建国」前から始まっていたシオニスト組織によるパレスチナ人追放・民族浄化作戦と1948年5月のイスラエルによる一方的な「建国」宣言、以降の70年余にわたる 6) 世界の超大国アメリカ合州国によるイスラエルへの一方的支援・国連安保理(拒否権発動)などにおける徹底的イスラエル擁護、などが挙げられる。  

次の次からの 8段落分は、筆者が本年10月27日に "「兵役拒否」 (イスラエル映画, 2019年) を観て 〜 あらためて" と題して note に投稿したテキストの中の、"A2. 「"敵"は軍隊さえ持っていない」(兵役拒否者 アタルヤ)、「ユダヤ人大虐殺がなければ状況は違ったかもしれん」(祖父)" という見出しを付けた章、および "A4. 「私達はシオニズムのために殺さないし 死なない」(イスラエルの「占領」政策に反対するイスラエル人のグループ)" という見出しを付けた章からの、筆者自身の文章からの転載(前段で箇条書きした6項目の中の少なくとも一部に触れているので、あらためて記しておきたい)。

なお、映画「兵役拒否」は、2017年に実際に兵役を拒否し、母国イスラエルの軍事刑務所に110日間にわたって収監された後に兵役免除を勝ち取った当時19歳のイスラエル人女性 Atalia Ben-Abba の例を取り上げた、イスラエルのドキュメンタリー映画である。

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1894年のドレフュス事件(世界史に残るユダヤ人差別事件、フランス)をジャーナリストとして取材した、ハンガリー・ブダペスト(当時オーストリア帝国の一部)生まれのユダヤ人テオドール・ヘルツルがその事件を切っ掛けにヨーロッパにおける長年のユダヤ人差別の深刻さを改めて思い知り、そのことでシオニズム(言葉自体はオーストリアのユダヤ系思想家ナータン・ビルンバウムが考案)に目覚め、その指導者として第1回シオニスト会議をスイスのバーゼルで開催するのは1897年のことだが、それから21年後の1918年時点のパレスチナ(という言葉は紀元前からあった呼称だが、16世紀以降その地はオスマン帝国の支配下、そして同国が第一次世界大戦で敗戦国となった後は1918年からイギリスが占領、1920年から1948年までは Mandatory Palestine (British Mandate for Palestine), つまり「イギリス委任統治領パレスチナ」)における人口は、同年実施したイギリスの人口調査によれば、アラブ人(今日言うところのパレスチナ人)が 700,000人に対してユダヤ人は 56,000人と、前者の 1/12以下に過ぎなかった。

それが、1947年に当時まだ欧米諸国が支配的だった国連総会で「国連パレスチナ分割案」(同案の中で国連の信託統治領とする計画だったエルサレムを除くパレスチナ全域の土地の 56%を、アラブ人=今日言う「パレスチナ人」の人口の半分に満たないほどの人口だったユダヤ人の国家の土地とするという、極めて不当かつ不公正かつ不公平な分割案)が採択される際の国連の報告書では、当時のパレスチナにおける人口は、アラブ人(同上、パレスチナ人)とその他(アルメニア人などの少数を指すと思われる)が 1,237,000人、それに対し、ユダヤ人は 608,000人で全体の33%程度になっていた。

以下は、イスラエル「建国」の前年、1947年のパレスチナとその周辺の地図。本章のテキストはこの地図の下にさらに続く。

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つまり、翌1948年のイスラエル「建国」の直前の年であってもパレスチナにおける絶対少数派ではあったユダヤ人なのだが(数十年間で急拡大したシオニズムによる運動で人口が急激に増えた結果であったため、ユダヤ人側の土地所有率にいたってはパレスチナ全域のわずか 7-8%程度に留まっていた)、それでも、その時点でパレスチナにおけるユダヤ人の人口は、上に記した 20世紀初期と比べれば、ほんの30年程度の間に絶対数として 10倍以上に急増していたことになる。

もともとヨーロッパにおける長年にわたるユダヤ人差別の歴史的背景があって、19世紀末以降、シオン(旧約聖書にも登場するエルサレム地方の歴史的地名)の地にユダヤ人国家を作ろうというユダヤ人の運動が広まったわけだが、その後の「イギリス委任統治領パレスチナ」時代のパレスチナへのユダヤ人の移民の動きの加速度的拡大、その結果としての同地におけるユダヤ人の人口急増の最大の要因として、ナチス・ドイツによる「ユダヤ人大虐殺」= ホロコーストを考えるのは、ごく自然な発想であろう。

念のために常識レベルのことを補足しておくと、ホロコーストはナチス・ドイツが行なった人類史に残る反人道的・人種差別的な犯罪・殺戮であって、当時パレスチナに住んでいたアラブ人(パレスチナ人)にとっては全く預かり知らない犯罪である。

さて、上に書いたように、当時はオーストリア帝国の一部であった現在のハンガリー・ブダペスト生まれのユダヤ人テオドール・ヘルツルが、1894年のフランスにおけるユダヤ人差別(冤罪)事件をジャーナリストとして取材し、ヨーロッパにおける長年のユダヤ人差別と当時の反ユダヤ主義的な動きという時代背景のもとシオニズムに目覚め、1897年には第1回シオニスト会議を開くことになるのだが、そのシオニズムという言葉自体は、同時期つまり1890年代にオーストリアのユダヤ系思想家ナータン・ビルンバウムが考案したものだった。

当時はオスマン帝国の支配下にあり、第一次世界大戦における同帝国の敗戦以降は「イギリス委任統治領パレスチナ」となる同地域(「パレスチナ」という呼称自体は遥か紀元前からあり、同地域に住んでいたペリシテ人の名が由来と考えられている)へのユダヤ人の移民を促すことになる「シオニズム」という思想のその名前は、旧約聖書のゼカリヤ書にある文言から発想されたものだった。

「主はこう仰せられる。『わたしはシオンに帰り、エルサレムのただ中に住もう。エルサレムは真実の町と呼ばれ、万軍の主の山は聖なる山と呼ばれよう。』」(旧約聖書, ゼカリヤ書 8章3節)

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本章の脚注

注釈として、シオンとシオニズムについて(*1)、エルサレムについて(*2)、欧州でのユダヤ人差別・人権弾圧・ホロコーストとそれらにおける加害者では全く無いパレスチナ人に対するイスラエル(のシオニストのユダヤ人)による人権弾圧・民族浄化に関して(*3, 4, 5)、そしてイスラエル「建国」に伴う「パレスチナ」(「歴史的パレスチナ」、つまり古代からあった「パレスチナ」との呼称を使いオスマン帝国の第一次世界大戦敗戦後かつイスラエル「建国」以前はイギリス委任統治領だった「パレスチナ」)からのシオニストのユダヤ人(イスラエル人にもなる)によるアラブ人(パレスチナ人)追放・民族浄化について(*6)、以下で補足しておく。

*1, 2 上記テキストの終盤で記したように、「シオニズム」の「シオン」とは、「旧約聖書」(つまり一宗教の一「聖典」)に登場する、その「旧約聖書」が記述する時代、当時の「エルサレム」地方を指すことになるのだが、これに関し、本章の脚注として 2点を付しておきたいと思う。

1点目は、「旧約聖書」云々に関わって、アメリカ合州国のユダヤ系アメリカ人政治学者で反シオニズム活動家でもあるノーマン・フィンケルスタイン Norman Finkelstein (因みに彼の両親はワルシャワ・ゲットー、ワルシャワ蜂起、そしてホロコーストの生存者) の言葉。そして、2点目は、今日の「エルサレム」に関して。

*1 Norman Finkelstein については、*3 でも紹介する。

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*2 エルサレムについて。

エルサレムは元々、1947年当時のイギリス委任統治領パレスチナにおけるアラブ系住民(今日言うところのパレスチナ人)とユダヤ系住民(ユダヤ人)の人口比や土地所有率の対比を無視した不当・不平等・不公正な内容の「国連パレスチナ分割案」(1947年11月29日国連総会で採択)においてすら、国連による信託統治領とするとされていた場所である。しかし、そうはならなかった。

今日のエルサレムに関して言えば、その西側「西エルサレム」についてはイスラエル「建国」(1948年)時の第一次中東戦争でイスラエルが占領して同国領土として既成事実化したかのようだが、エルサレム旧市街のある「東エルサレム」(第一次中東戦争後はヨルダンが東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区を統治していた)についても、1967年の第三次中東戦争の際のイスラエルの侵攻によりイスラエルが占領してこれを一方的に併合した上でその後そのエルサレム全域に関してイスラエルが一方的に「首都宣言」したものであって(国際社会はこれを認めておらず、アメリカ合州国もトランプ政権以前は在イスラエル大使館を他の国々同様にエルサレムでなくテルアヴィヴに置いていた)、少なくとも東エルサレムは、複数の国連安保理決議(1967年11月22日採択の安保理決議242号など)がイスラエルの撤退を要求している、パレスチナ(被)占領地 OPT (Occupied Palestinian Territories) の一部である。

重要な点なので、イスラエルによる他の占領地にも触れながら、もう一度、書いておこう。

1967年の戦争でイスラエルが「占領」したところは東エルサレム、そしてヨルダン川西岸地区(共に1948年の戦争の後 1967年まではヨルダンが統治していた:因みにヨルダン川西岸地区という呼称は東エルサレムを含んで同地域を指すことが多いが、歴史的に単独で重要な為か東エルサレムを同地区から分けて考える場合も少なくない)、そしてガザ地区(1948年の戦争の後は1967年まではエジプトが統治、イスラエルは長期にわたる軍事占領の後、現在この地区に対しては軍事封鎖政策をとっている)、それからシリア領だったゴラン高原の一部、そしてエジプトのシナイ半島で、これら1967年6月の戦争におけるイスラエルによる「占領地」からの撤退を、同年1967年11月22日採択の国連安保理決議242号を始めとする複数の国連決議がイスラエルに対して要求しているが、これまでの半世紀を超える歳月の間にイスラエルが実際に撤退したのは、シナイ半島のみである。

エルサレムについて繰り返し書いておくと、エルサレムは元々、1947年に当時の国連総会で採択された「国連パレスチナ分割案」(それがいかにアラブ人=今日言うところのパレスチナ人にとって不当かつ不公正かつ不公平なもので、ユダヤ人側=新たに「建国」されることになる国家「イスラエル」にとって極めて有利なものであったかについては上述の通り)においてすら、イスラエル領ではなく国連の信託統治領となることになっていた地域ながら、1948年の戦争によって新興国家イスラエルが西エルサレムを占領、残る東エルサレムも1967年の戦争でイスラエルが占領したものである。

*3, 4, 5 欧州でのユダヤ人差別・人権弾圧・ホロコーストと、それらの犯罪の加害者では全く無いパレスチナ人に対するイスラエル(のシオニストのユダヤ人)による人権弾圧・民族浄化に関して

ここでは、アメリカ合州国生まれのユダヤ人(両親はポーランドからの移民でワルシャワ・ゲットー、ワルシャワ蜂起、およびホロコーストの生存者)、パレスチナ生まれのパレスチナ人(1935年エルサレム生まれのパレスチナ系アメリカ人、ニューヨークにて死去)、そしてイスラエル生まれイスラエル在住のユダヤ人(イスラエル人)、計3人の言葉、記事などを紹介しておきたい。

具体的には、ユダヤ系アメリカ人の政治学者ノーマン・フィンケルスタイン(1953年12月8日ニューヨーク生まれ)、パレスチナ系アメリカ人の文学・比較文学研究者エドワード・サイード(1935年11月1日イギリス委任統治領パレスチナ・エルサレム生まれ、2003年9月24日ニューヨークにて死去:著書「オリエンタリズム」でポストコロニアル理論を確立した学者として著名)、そしてイスラエル人のジャーナリスト兼作家であるギデオン・レヴィ(1953年6月2日テルアヴィヴ生まれ)の 3人である。

*3 以下で紹介するアメリカ合州国在住のユダヤ系アメリカ人政治学者で反シオニズム活動家でもある Norman Finkelstein については、上記、シオンとシオニズムおよび「旧約聖書」に関わる注釈(*1)においても取り上げている。

彼の両親は共にナチス・ドイツによるワルシャワ市内のユダヤ人隔離地域であったワルシャワ・ゲットー、そしてワルシャワ蜂起の生存者で、母親は更にナチス・ドイツがポーランドに建設したマイダネク強制収容所の生存者でもあって、父親は更にアウシュヴィッツ強制収容所の生存者でもある。

*4 Edward Said, "You cannot continue to victimize someone else just because you yourself were a victim once.", つまり、「あなた方自身が かつて 犠牲者だったという理由で、他の誰かを犠牲にし続けることは出来ない」。

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*5 以下は、イスラエル人(ユダヤ人)のジャーナリスト兼作家 Gideon Levy の、ホロコースト(ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺)とイスラエルによるパレスチナの軍事占領、1967年以来の国連安保理決議違反の違法な占領地である東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区およびガザ地区(後者は現在イスラエルの軍事封鎖下)に住むパレスチナ人に対する弾圧に関してのメッセージ / 主張 / オピニオン。

なお、2点目に置いたリンク先の記事(イスラエルのメディア Haaretz の 2020年1月23日付)は、彼が以下の意見を同オピニオン記事において述べたものである。

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"Go to Gaza and Cry ‘Never Again’"(Gideon Levy on Haaretz, January 23, 2020)

*6 以下の記事 3点は全て、2020年10月のイスラエルのメディア Haaretz 上の記事。1) については、上の *5 においてもその記事を紹介した Gideon Levy による同様の署名記事。

1) 2020年10月4日付の記事

なお、記事のヘッド(見出し)にある Ben-Gurion (David Ben-Gurion) とは、1948年に「パレスチナ」の地(「歴史的パレスチナ」、つまり、本章のテキスト内でも言及した通り、「パレスチナ」という名称は遥か昔の紀元前からあったが、この当時、直前 1920年から1948年までの正式名称は「委任統治領パレスチナ」, Mandatory Palestine もしくは「イギリス委任統治領パレスチナ」, British Mandate for Palestine で、その直前に関しては 16世紀以降の長い支配が続いた「オスマン帝国」の統治下にあった地域)の上に「建国」されたイスラエルという名の新興国家の「建国の父」であり、初代イスラエル首相であった人のこと。

これも本章のテキスト内でも触れたが、当時の「パレスチナ」地域におけるユダヤ人の人口は、それ以前の数十年間にわたるシオニズムによる移民の(ナチス・ドイツによるホロコーストの影響をも受けた)結果としての急激な人口増加の経緯があっても、依然として同地域に住むアラブ人 = 今いうところのパレスチナ人 = の人口の半分にも満たず、そうした歴史的経緯があったため土地所有率に至っては実に 7-8% に過ぎなかったにもかかわらず、イスラエル「建国」前年の1947年11月29日に当時まだ欧米諸国が支配的だった設立間もない国際連合の総会で採択された「国連パレスチナ分割案」は、その案において国連の信託統治下とするとしていたエルサレムを除く「パレスチナ」全域の土地の 56% をユダヤ人、つまりその案が新たに建設されるものと内定していたイスラエルという名の「新興国家」に与えるという、極めて不当・不公正・不公平な内容のものだった。

そのイスラエルという名の「新興国家」は、1948年5月14日の一方的な「建国宣言」(一方の当事者であるアラブ系、現在いうところのパレスチナ人たちの意思を無視したわけだから一方的、イスラエルはこれを「独立宣言」と呼ぶが、上にも書いたように、それ以前にそこにあったのはオスマン帝国の支配が終わった後のイギリス委任統治領パレスチナ = その人口の圧倒的多数はアラブ系、いま言うところのパレスチナ人 = であって、その地において当時イスラエルという名の国やあるいは名前は別としてもユダヤ人の国がイギリスの植民地下にあったというような事実は全く、文字通り全く無い)、それ以前からあったシオニストによる「パレスチナ」地域内の村々からのアラブ人(パレスチナ人)追放・民族浄化、そして第一次中東戦争の結果によって、上記の前年1947年採択の「国連パレスチナ分割案」における不公正・不公平な内容のものよりも更に広い土地を、「パレスチナ」(「歴史的パレスチナ」、上述)において得ることになった。

以下の記事についてあらためて。ヘッド(見出し)は、Even Ben-Gurion Thought ‘Most Jews Are Thieves’,

本文の冒頭は、The quote in the headline wasn’t uttered by an antisemitic leader, a Jew hater or a neo-Nazi. The words are those of the founder of the State of Israel (David Ben-Gurion), two months after it was founded (on May 14, 1948) ... ( ) は筆者が加筆(May 14, 1948 は "it was founded" の日として、上記のイスラエルの一方的な「建国宣言」の日を付した)。

2) 1) に関連して、2020年10月3日付の記事

ヘッド:Jewish Soldiers and Civilians Looted Arab Neighbors' Property en Masse in '48. The Authorities Turned a Blind Eye

リード:Refrigerators and caviar, champagne and carpets – a first-ever comprehensive study by historian Adam Raz reveals the extent to which Jews looted Arab property during the War of Independence, and explains why Ben-Gurion stated: ‘Most of the Jews are thieves’

3) さらに関連記事もう1点、2020年10月5日付の記事

ヘッド:Israel's Founding Generation of Looters

本文の冒頭は、According to historian Adam Raz, in his book “Looting of Arab Property in the War of Independence” (Carmel Publishing House, in association with the Akevot Institute for Israeli-Palestinian Conflict Research; in Hebrew), Prime Minister David Ben-Gurion said in July 1948: “It turned out that most of the Jews are thieves.” For me that was the most infuriating thing in the article by Ofer Aderet, who reviewed the book.


クリスマスの日のイスラエル空軍によるツイートのばかばかしさ

ばかばかしいというより、おぞましい。まともな神経を持つ敬虔なクリスチャンなら(筆者は無神論者、当然ながらクリスチャンではない)、あまりに不快で吐き気を催すほどかもしれない。

クリスチャンといっても、古代イスラエルならぬ1948年「建国」の現代のイスラエルとその民を救うことは自らの救済にもつながると盲信し、その為にはイスラエルが違法占領地の民パレスチナ人の人権をどれだけ蹂躙しようがお構いなしに徹頭徹尾、現代のイスラエルという国家とシオニストを支持する自らもシオニストであるようなタイプの(アメリカ合州国において顕著な)福音派キリスト教徒であるのなら、何とも思わないどころか、「まぁ素敵!」とでも感じるのかもしれないが。

なお、怒りと悲しみを込めて念のため前おきしておきたいのだが、イスラエル軍がガザ地区を空爆するのは何もクリスマスの日だけのことではない。年柄年中、日常茶飯事のことである。因みに東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区でイスラエル軍の兵士が、彼らの母国イスラエル(1948年にパレスチナの土地の上に「建国」された国、前章参照を)が1967年の第三次中東戦争以来 国連安保理決議を含む複数の国連決議に違反して違法占領を続ける占領地パレスチナ(OPT, Occupied Palestinian Territory)に住むパレスチナ人を殺害したり罪状無し裁判無しで不当に逮捕・投獄するのも(administrative detention, 長期間にわたる「行政拘留」)、日常茶飯事である。

以下は、イスラエル空軍による今年のクリスマスの日のツイート。その下に付けたのは、このツイートのばかばかしさ、おぞましさを伝えるイスラエル人やパレスチナ人、オーストラリア人の人権活動家などのツイート、そして今年のクリスマスの夜のイスラエル空軍によるパレスチナ・ガザ地区に対する空爆をリポートする記事。

以下は、上掲のイスラエル空軍によるツイートをリツイートした反シオニズム活動家のイスラエル人、ユダヤ人 Ronnie Barkan (彼の自己紹介 "a privileged Israeli-Jew living at belly of the apartheid beast") のツイート。

続けてその下に、それに応えたパレスチナ人のツイート、及び彼のその後のツイート、そしてドキュメンタリー映画制作者でジャーナリスト、人権活動家のオーストラリア人のツイート、さらに再び上記のパレスチナ人のツイートと、今年のクリスマスにおけるイスラエル空軍によるパレスチナ・ガザ地区への空爆をリポートする記事を添える。







イスラエルとパレスチナの間にあるのは、戦争ではない 〜 ノーム・チョムスキー(ユダヤ系アメリカ人の哲学者)

以下は、ユダヤ系アメリカ人で世界的に著名な哲学者、言語学者のノーム・チョムスキー Noam Chomsky (1928年12月7日生まれ) の言葉。

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聖書もしくは反ナチス、反ホロコーストを拠り所にイスラエルを擁護する人たちに向けて 〜 ノーマン・フィンケルスタイン(ユダヤ系アメリカ人の政治学者)

以下は、本 note 投稿の「前説」の次の章「ユダヤ人差別とシオニズムと、1948年のイスラエル『建国』 〜 そして、パレスチナ/イスラエル問題」の脚注 *1, 3 で紹介したノーマン・フィンケルスタイン Norman Finkelstein の言葉。ここで再掲載する。

1点目は聖書、旧約聖書とシオニズムとの関係に関わるもの。2点目は(反)ナチス、(反)ホロコーストに言及してイスラエルを擁護する人たちに向けたもの(因みにノーマン・フィンケルスタインの両親はワルシャワ・ゲットー、ワルシャワ蜂起、そしてホロコーストの生存者であり、また彼の親族の多くはナチス・ドイツによる処刑・ホロコースト等つまりユダヤ人弾圧・虐殺の犠牲者)。

なお、その後で、ユダヤの民がかつて犠牲者であったことに関連して、これも上記の章の脚注 *4 で紹介したものだが、パレスチナ・エルサレム生まれのパレスチナ系アメリカ人で、文学・比較文学研究者であった故 エドワード・サイード Edward Said (1935年11月1日イギリス委任統治領パレスチナ・エルサレム生まれ、2003年9月24日ニューヨークにて死去:著書「オリエンタリズム」でポストコロニアル理論を確立した学者として世界的に著名) が語った言葉を再掲する。

1) ユダヤ系アメリカ人政治学者で反シオニズム活動家でもあるノーマン・フィンケルスタインの言葉。

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2) 上に書いたが、もう少し具体的に記すと、ノーマン・フィンケルスタインの両親は共にナチス・ドイツによるワルシャワ市内のユダヤ人隔離地域であったワルシャワ・ゲットー、そしてユダヤ人がナチスに対して絶望的な蜂起をしたいわゆる「ワルシャワ蜂起」の生存者で、母親は更にナチス・ドイツがポーランドに建設したマイダネク強制収容所の生存者でもあって、父親は更にアウシュヴィッツ強制収容所の生存者でもある。

その彼が、(反)ナチス、(反)ホロコースト等に言及してイスラエルを擁護する人たち、そんな特にイスラエル人もしくはユダヤ人に向けて語った言葉。

3) エドワード・サイード, "You cannot continue to victimize someone else just because you yourself were a victim once.", つまり、「あなた方自身が かつて 犠牲者だったという理由で、他の誰かを犠牲にし続けることは出来ない」。

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クリスマスの日にあらためて: キリスト生誕の地とされるベツレヘム、そのコロナ禍におけるクリスマスと 〜 「知の巨人」ならぬ「知の怠慢」 ユヴァル・ノア・ハラリ

Mondoweiss は progressive (進歩派, 進歩主義者), anti-Zionist (反シオニスト) のユダヤ系アメリカ人が 2006年に創刊したメディア("News & Opinion about Palestine, Israel & the United States (of America)")で、以下はそのインタグラム上の投稿とオンラインの記事。さらにその下に、イスラエルの世界的に著名な知識人ユヴァル・ノア・ハラリの論考およびそれに対する批判へのリンクを添える。

(上掲の動画を含む記事)

以下は、いまや世界から「知の巨人」「知の巨匠」と持て囃されるイスラエルの歴史家・哲学者ユヴァル・ノア・ハラリが今年3月に発表し、世界の多くのメディアで紹介され、日本においてもテレビの報道系の番組や朝日新聞等の大手メディアで無批判に取り上げられた、新型コロナウイルスと人類との闘いをテーマにした論考、そしてその日本語訳。その後の note 投稿3点は、それに対する筆者による批判テキスト。さらに最後の1点の note 投稿は、メディア批判に絡めたもの。

1) ユヴァル・ノア・ハラリの論考、原文(英語)と和訳

2) 筆者によるユヴァル・ノア・ハラリ論考批判(note 投稿3点)

3) メディア批判に絡めたもの

付録 1: パレスチナ/イスラエルが 「民主主義的な一国家」 になるという未来の 「現実」 を想像する

本 note 投稿の「ユダヤ人差別とシオニズムと、1948年のイスラエル『建国』 〜 そして、パレスチナ/イスラエル問題」と題した章のテキストにおいて、「筆者の過去の note 投稿(本稿の付録でリンク)の中で書いた筆者自身のテキストから以下、転載するので」と記していた、その過去の note 投稿の一つ。

付録 2: イスラエルの占領政策に抗議し、兵役を拒否するイスラエル人

付録 1 で言及した過去の note 投稿、もう一つ(以下の 1点目。2点目はその前篇的なもの)。

今日の note 投稿の中の「ユダヤ人差別とシオニズムと、1948年のイスラエル『建国』 〜 そして、パレスチナ/イスラエル問題」と題した章の中で転載した筆者自身のテキストは元々、以下のリンク先投稿 2点のうちの 1点目(投稿日はこちらが後)の中で書いていたもの。

付録 1 にリンクを置いた「パレスチナ/イスラエルが 『民主主義的な一国家』 になるという未来の 『現実』 を想像する」と題した投稿のテキスト内で、18年前のイスラエルの兵役拒否者の一人が既に、事実上「一国家解決法」の支持を語っていたことに触れたのだが、イスラエルには、多数派ではないとは言え、母国の占領政策に反対し、パレスチナ人に対する人権弾圧に抗議して、イスラエル軍の軍事刑務所に収監されながらも、兵役を拒否する人たちがいる。

以下の筆者の過去の note 投稿 2点は、そんなイスラエルにおける兵役拒否に関し、近年の兵役拒否者のうちの一人、2017年に兵役を拒否し、母国イスラエルの軍事刑務所に 110日間にわたって収監された後に兵役免除を勝ち取った当時19歳のイスラエル人女性 Atalia Ben-Abba の例を取り上げた、イスラエルのドキュメンタリー映画について紹介したもの。

その映画の内容を紹介するとともに、イスラエルにおける兵役拒否、そしてパレスチナ/イスラエル問題について書きつつ、上述の 18年前の兵役拒否者に関することや、近年におけるその他の兵役拒否者、ごく最近の兵役拒否者などの例も取り上げているので、以下にその投稿 2点へのリンクを貼っておきたい。

付録 3: イスラエル批判、反シオニズム、BDS を 「反ユダヤ主義」 と見做す思考の、度し難い愚かさ

以下の投稿タイトル上に掲げた写真に写っている人たちはもちろん、イスラエル批判、反シオニズム、BDS を 「反ユダヤ主義」 と見做すような人たちではない。その真逆の立場にいる、パレスチナ人の民族自決権、基本的人権を支持する、「私たちはユダヤ人だ。そして、シオニストではない」というメッセージを掲げるユダヤ人たちの写真。

投稿の中で書いたテキストは、世界にある約200カ国のうちの一つであり、またユダヤ人総体を代表するものではない、1948年に「建国」されたイスラエルという国に対するその政策を理由とした批判や、政治的思想の一つであるシオニズムに対する批判、そしてイスラエルによる違法占領や違法入植を止めさせるための手段としての BDS (Boycott, Divest, Sanctions つまりボイコット、資本撤退、制裁) 運動に対して、「反ユダヤ主義」という見当違いのレッテルを貼り、批判者を黙らせたり、政治運動や自由な思考を抑圧しようとすることの愚かさについて書いたもの。


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