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ポール・サイモン, Still Crazy After All These Years (1975) 〜 9/10曲(+)聴き倒し, 4曲歌詞和訳つき

* 2022年6月11日, 本アルバム収録曲 "Gone at Last" の歌詞を和訳し note にアップしたので, 本 note にもそれを加え, note タイトル該当部分も「3曲歌詞和訳つき」から「4曲歌詞和訳つき」に更新した。

グラミー賞 最優秀アルバム賞 受賞(1976年)

本作は 1976年のグラミー賞最優秀アルバム賞受賞作。ポール・サイモン(1941年10月13日生まれのポピュラー音楽界の小さな巨人, 今年の誕生日で80歳)は自身が殆どの収録曲を作詞作曲したサイモンとガーファンクル時代の "Bridge Over Troubled Water", 邦題は当時の「明日」流行りで「明日に架ける橋」(けっこう良かった邦題だと思うけど), あのアルバムでもグラミー賞最優秀アルバム賞を獲っていて, 同賞受賞はソロの本作で 2つ目だった。その後, 1987年には "Graceland" で 3度目のグラミー賞最優秀アルバム賞を受賞している。

グラミー賞では最優秀レコード賞の方も, サイモンとガーファンクル時代の "Mrs. Robinson" (1969), "Bridge over Troubled Water" (1971), ソロになってからの "Graceland" (1988) と, こちらも計3回受賞しているから, まぁ近年いろいろな批判が出るようになったグラミー賞とはいえ, この人の玄人筋からの評価の高さは相当なものなのだろう(もちろん別に批評家なり業界なりからの高い評価が「絶対的なもの」などとは決して言わないが)。

このアルバム Still Crazy After All These Years がグラミー賞最優秀アルバム賞を獲った時って, 自分は中3の終わり頃だったことになるけれど, 当時テレビでポール・サイモンの受賞スピーチを見た記憶が鮮明に残っていて, 彼はその時こんな内容の話をしていた。「今回はスティーヴィーがアルバムをリリースしてないからね」(笑) 文字通り笑いながらそう話していて, この人ってユーモアある人でいいなぁと感じたこともよく憶えている。スティーヴィー・ワンダーはその前年と前々年に2年連続で最優秀アルバム賞を受賞していて(1975年が "Fulfillingness' First Finale", 1974年が "Innervisions" で 1974年は 1973年リリースのポール・サイモンの前作スタジオ・アルバム "There Goes Rhymin' Simon" もノミネートされていた, あくまでも自分の音楽の嗜好においてはポール・サイモンの「ほらサイモンがまた韻踏んでるよ」の方が受賞作になってほしかったけれど.. 韻踏んでないけどとりあえず長い括弧!), それを踏まえてのことだった。ついでに言うと, ポール・サイモンの  Still Crazy After All These Years グラミー賞最優秀アルバム賞受賞の翌年, 1977年には, スティーヴィー・ワンダーが再び(というか三度, みたび), 前年リリースの傑作アルバム "Songs in the Key of Life" で同賞を受賞している。この二人で各年の最優秀アルバム賞を計3回ずつ受賞しているというわけで, まだグラミー賞に(「よくもわるくも」の面ありかな?)「権威」があった時代, やっぱこの二人はポピュラー音楽の世界に偉大な足跡を残してきたんだろうなと。

ソロ4作目, S&G解散後 第3作(スタジオ・アルバムとして)

Still Crazy After All These Years はポール・サイモンのソロのスタジオ・アルバムとしては通算4作目, S&G解散後では 3作目, ライヴ・アルバムを含めるとソロでの通算5作目, S&G解散後では 4作目となる。

サイモンとガーファンクル(カタカナで名前を表記する場合, 「サイモン&ガーファンクル」というのもあるけれど, 小学生の頃から彼らの音楽を聴いてきた自分としては彼らの場合は「と」の方がしっくり来る)が 5作目のアルバム "Bridge Over Troubled Water"(邦題「明日に架ける橋」)を最後に当初のデュオとしての活動を終え, 事実上の解散に至ったのは 1970年。その後, ポール・サイモンは 1972年1月に自身の名前を冠した, S&G解散後のソロ第1作 Paul Simon をリリース(*1), 翌1973年の5月には 2作目の There Goes Rhymin' Simon をリリース(*2), 更に翌1974年の3月には初のライヴ・アルバム Paul Simon in Concert: Live Rhymin' をリリースしている(*3)。その次のアルバムが本作 Still Crazy After All These Years で, リリースは 1975年10月。この 4年間は毎年アルバムをリリースしていたことになり, その後は 5年間リリースなし。1980年代以降も引き続き数々の名作をリリースしてきた彼だが, その80年代以降は寡作のアーティストになったと言ってよく, そういう意味では, 1970年代前半期は彼のキャリアのなかで精力的な音楽活動が際立つ時代と言えるだろう。

なお, ポール・サイモンはサイモンとガーファンクルの時代にも The Paul Simon Songbook というタイトルのソロ・アルバムをリリースしているから(1965年8月リリース, *4), それを含めて, 本作 Still Crazy After All These Years は通算4作目のスタジオ・アルバムということになる。

*1 Paul Simon, S&G解散後 第1作 〜 Paul Simon 全曲聴き倒し, 3曲(+)歌詞和訳つき

*2 Paul Simon, S&G解散後 第2作 〜 There Goes Rhymin' Simon, 4曲歌詞和訳つき

*3 以下の note a) 第3章 アメリカを探す旅、「アメリカの歌」 〜 歌詞和訳 に, 1974年3月リリースのライヴ・アルバム Paul Simon in Concert: Live Rhymin' 収録ヴァージョンの "American Tune" を筆者による歌詞の和訳とともに掲載。note c) 第6章 Duncan ー 歌詞和訳 に載せているのは, 同ライヴ・アルバムに収録されたヴァージョンの "Duncan", そして note d) 第3章 ここから先はしばらく Gospel 関連 'bonus tracks' 〜 まずは昨日も紹介した "Jesus is the Answer" (Jessy Dixon Singers) では同アルバムで唯一, ポール・サイモンが歌わないで, ジェシー・ディクソン・シンガーズのみで歌っている "Jesus Is the Answer" をピックアップ, さらに note e) では同アルバムの最後の曲として収録された, S&G時代の "America" をポール・サイモンがギター弾き語りで歌うヴァージョンを載せた。  

a) "American Tune" 歌詞和訳

b) "American Tune" 歌詞和訳, 初出 note

c) "Duncan" 歌詞和訳

d) "Jesus is the Answer" (Jessy Dixon Singers) 

e) "America" 歌詞和訳(ただしこの note タイトルのカヴァーは同曲収録アルバムではなくて 1965年8月リリースのポール・サイモンのソロ第1作 The Paul Simon Songbook のカヴァー写真。ポールの右に写っている女性が Kathy で, "America" の歌詞に登場する Kathy がこの人なので, この写真を使った)

*4 ポール・サイモンのサイモンとガーファンクル時代のソロ・アルバム The Paul Simon Songbook についても別のところでレヴューもどきを書いたことがあるけれど, ちょっと入り組んだ背景のあるアルバムなので, note ではまたいつか機会があったらあらためて投稿したい, と頭の片隅で考えているところ。以下の note f), note g) は同アルバムのそうした面について若干言及したり, あるいは収録曲を載せたりしたもの。

f) Kathy's Song (歌詞和訳) ... S&G 1966年1月リリース "Sounds of Silence" に収録されたヴァージョンの音源と歌詞の和訳だけでなく, "Kathy's Song" が最初に収録されたアルバム, S&G時代の Paul Simon のソロアルバム(1965年8月リリース)"The Paul Simon Songbook" にも触れ, 同アルバムのヴァージョンの音源も載せた note

g) Flowers Never Bend with the Rainfall (歌詞和訳) ... S&G 1966年10月リリース "Parsley, Sage, Rosemary and Thyme" に収録されたヴァージョンの音源と歌詞の和訳だけでなく, "The Paul Simon Songbook" 収録ヴァージョンの音源も載せた note

Still Crazy After All These Years 〜 2004年10月11日, 44歳の時に書いたレヴューもどき

以下は, 1975年, 自分が中3の時にこのアルバムがリリースされてそのLPレコードを買って以来, 繰り返し繰り返し聴いてきた Still Crazy After All These Years について, 2004年10月11日, 44歳の時に自分のホームページ上にアップしたレヴューもどき。テキストは当時, 自分のホームページに載せた内容のままで(*5), 途中と最後に入れた note リンクや YouTube リンクなどを含む注釈はもちろん今日のこの note への転載の際に加えたもの。

(以下, "Night Game" までは LPレコードでは A面, 残り5曲は B面)

Paul Simon - Still Crazy After All These Years (2004年10月11日, 記)
1. Still Crazy After All These Years
2. My Little Town
3. I Do It For Your Love
4. 50 Ways To Leave Your Lover
5. Night Game
6. Gone at Last
7. Some Folks' Lives Roll Easy
8. Have A Good Time
9. You're Kind
10. Silent Eyes
S & G 解散後のスタジオ・テイク3作目(1975年)。PAUL SIMON 、THERE GOES RHYMIN' SIMON に続くものだが、前作との間にはライヴ盤 LIVE RHYMIN' が挟まれてる。実はこのライヴ盤も、ゴスペル風からゴスペルそのものに近くアレンジされた Bridge Over Troubled Water などあって、なかなかにいい。しかし、ここではこの STILL CRAZY の話。
10年余経過してからポールは元々持っていたワールド・ミュージックへの関心を拡げ、一気にその音楽表現をワールド・ワイドなスタイルにするわけだけど、ここでのポールはあくまでニューヨークのポール。都会の孤独、故郷、絶望と希望、ポールが長年歌い続けるテーマが歌われているアルバム。僕にはスタジオテイク前作の THERE GOES ~ と共にポールの大好きなアルバムだけど、この2作はだいぶ趣が違う。どっちが好きかっていうとこれは難しい。僕の頭のなかでは甲乙つけがたく、比べられない。とにかく色が違う作品なんだ、このふたつは。
前作でアメリカ南部を旅し、なにか明るい日差しの下でアップテンポにしろスローなものにしろ身体を自然と揺り動かすようなパフォーマンスを見せたポールの音楽だけど、本作ではあくまでもニューヨーク、しかも曇り空とか夜とかをイメージさせ、前作と比べてだいぶ陰影が深いものになった。バックはピアノにリチャード・ティー、ボブ・ジェームス、ドラムスにその後も長い付き合いの続くスティーヴ・ガッドなど、ジャズ系が多くを固めてる。
たしかこのアルバムはグラミーの最優秀アルバムを取ってたと思うな。

*1 「取ってたと思うな」なんて我ながら気取って書いてるけれど(笑), 実際のところ, 前章で書いた通りでポール・サイモンの受賞スピーチまで記憶してるから, 「取ってた」のは確か。  

アルバムタイトル曲の 1 は、昔の恋人とばったり再会した場面から始まる曲なんだけど、それがそういう歌(?)というわけではない。歌詞の一部はこんなだよ。 "crazy" は最後になるとダブル・ミーニングに変わっていきます。
これは正真正銘、名曲だね。エレクトリック・ピアノは Barry Beckett って人、サックスは Mike Brecker って人らしいけど、共に素晴らしい。後者はマイケル・ブレッカー? たしかけっこう有名な人だったよね、僕はズージャはあんまり詳しくないからご容赦。

*2 マイケル・ブレッカー(Michael Brecker: 1949年3月29日生まれ, 2007年1月13日他界)は知らないとまずい。しかも 1991年のポール・サイモンの Born at The Right Time Tour での来日公演の際(10月12日の東京ドームでのライヴを妻と一緒に観た), サックスはこの人だったのに!.. マイケル・ブレッカーのその時のサックスのソロは本 note 最終章にて

*3 「歌詞の一部」: 当時のホームページでは自分の日記コーナーのところに「歌詞の一部」とその一部の訳を載せていて, そこにリンクをさせていた。この歌, アルバムのタイトル・トラック "Still Crazy After All These Years" の歌詞(の一部でなく全部)と その和訳 は以下の note に掲載。

2 はアート・ガーファンクルと一緒に歌ってて、当時アーティのソロにも収録され、一部メディアに S & G 復活かなんて誤解されて騒がれた曲だな。イントロのピアノが印象的。故郷を歌ってるけど、あくまで陰鬱な歌詞です。
4 も大ヒット曲だったな。イントロのスティーヴ・ガッドのドラムスはあまりに有名かつ超絶かっこいい。バック・ヴォーカルの中には後で紹介するフィービ・スノウも入ってます。
6 もわりとヒットしてた記憶がある。フィービ・スノウとコール・アンド・レスポンス風に歌い、バックは LIVE RHYMIN' にも参加してたジェシー・ディクソン・シンガーズ。アップ・テンポなゴスペルっぽい感じの曲でノリがいい。
10 の Silent Eyes では「エルサレム」が歌われるが、ユダヤ人であるポールが歌おうとしたことは何だろう。
ちなみにこの曲のバック・ヴォーカルには、The Chicago Community Choir という名のクワイアがクレジットされている。
7 もドラムスがスティーヴ・ガッド、サックスはデヴィッド・サンボーンだし、とにかくアルバム全体にジャズ・フュージョン系のミュージシャンが多用されて、都会風の洗練されたサウンドになってるんだけど、それでいて、このアルバムの音楽は何か陰のようなものを引きずっている。どこか暗い。そのバランスが見事で余計に引き込まれる。ニューヨーカーのポール・サイモン面目躍如って言ったら、称賛の言葉としては反ってちょっとダサい表現かな。何て言ったらいいのか、そう、ウディ・アレンの映画とかに似合いそうな世界だな。

*4 そういやポール・サイモン, ウディ・アレンが監督して主演した映画 "Annie Hall" に出演してる。ところでところで(なぜか 2回, 笑), ウディ・アレンはともかく, 彼の映画 "Annie Hall" を学生時代にリヴァイヴァルで観て以来, おいらはダイアン・キートンの大ファンになった(彼女が出た映画は何本か観てる, "Annie Hall" の他, "Looking for Mr. Goodbar", "Reds", "5 Flights Up" 等)。

話が映画に, というか, ダイアン・キートンに飛んだ。

話を戻して ♫ 

3 の I Do It For Your Love ・・・ 美しいラヴ・ソングです。これもポールらしいと言えばポールらしい曲。S & G 解散後1作目のソロアルバム、PAUL SIMON の最後の曲、Congratulations の返歌のようにも聴こえる佳曲。いい歌です。僕はこういうラヴ・ソングも好きだな。

*5 筆者のホームページ上では以下のリンク先。ただし, 2001年8月に本を買ってきてHTML独学してそのHTML基礎知識だけで立ち上げたウェブサイトで以降一切仕様を変えておらず、現在スマホから閲覧しようとするとOS次第で文字化けする(パソコンであればどのブラウザからも問題なく閲覧できると思う, たぶん!)。

次章以降は収録曲を ♫

Still Crazy After All These Years 〜 歌詞和訳

"I met my old lover on the street last night" で始まるこの歌, この "old lover" は誰なのかってことが色々と取り沙汰されてきたようで, 一説では当時離婚して間もなかった Peggy Harper, 1972年1月リリースの前々作スタジオ・アルバム "Paul Simon" 収録のこの曲 "Run That Body Down" の歌詞に登場する人, つまり

I came back home and I went to bed. I was resting my head. My wife came in and she said, “What’s wrong, sweet boy, what’s wrong?" Ah, I told her what’s wrong. I said, “Peg, you better look around. How long you think you can run that body down? How many nights you think you can do what you been doin’? Now who you foolin’? Who you foolin’? Who you foolin’?"

"Run That Body Down" 歌詞和訳

また一説では, 1960年代, サイモンとガーファンクル時代の名曲の歌詞に登場していた, ポール・サイモンの当時の恋人 Kathy (Kathleen Chitty), 

"Kathy", I said, as we boarded a Greyhound in Pittsburgh, "Michigan seems like a dream to me now. It took me four days to hitch-hike from Saginaw. I've come to look for America."
"Kathy, I'm lost", I said, though I knew she was sleeping. "I'm empty and aching and I don't know why."

"America" の収録アルバムはサイモンとガーファンクル 1968年4月リリースの "Bookends" だけど, 以下の note で取り上げたのはポール・サイモンのライヴ・アルバム(1974年3月リリース) "Paul Simon in Concert: Live Rhymin'" に収録されたヴァージョンで, しかも note タイトルのカヴァーに使ったのは "America" がリリースされる前のポール・サイモンのソロ第1作(1965年8月リリース), 当然ながら "America" は収録されていない "The Paul Simon Songbook" のカヴァー。ポール・サイモンの右に写っている女性, その人こそ "Kathy", つまり Kathleen Chitty だったので。

"America" 歌詞和訳

この note に載せたのは "Bookends" に収録されたサイモンとガーファンクルによるスタジオ・ヴァージョン, 歌詞和訳つき。

それから, 歌詞の中に "Kathy" という呼称, その固有名詞はないものの, タイトルがそのものスバリの "Kathy's Song" ♫ ... Kathy  Paul Simon にとって「唯一の真実」であり, 彼に "There but for the grace of God go I" でなく "There but for the grace of you go I" と言わしめるような存在だった。

And so you see, I have come to doubt all that I once held as true. I stand alone without beliefs. The only truth I know is you.
And as I watch the drops of rain weave their weary paths and die. I know that I am like the rain. There but for the grace of you go I.

サイモンとガーファンクル 1966年1月リリース "Sounds of Silence" 収録ヴァージョンと, その前のポール・サイモンのソロ第1作(1965年8月リリース), "The Paul Simon Songbook" に収録されたヴァージョン(歌詞自体は同じ), 歌詞和訳つき。この note のタイトルのカヴァーは Kathy ではなくて筆者の妻!

さて, アルバム "Still Crazy After All These Years" のタイトル・トラック Still Crazy After All These Years, その音楽面のことに触れておくと, 作詞作曲はもちろん Paul Simon, アレンジャーは Bob James (born December 25, 1939), この曲でバックを支えたのは前作スタジオ・アルバム(1973年5月リリース)の "There Goes Rhymin' Simon" でも多くの曲に貢献したマッスルショールズのミュージシャンたち。エレクトリック・ピアノは Barry Beckett (February 4, 1943 – June 10, 2009), ベースは David Hood (born September 21, 1943), そしてドラムスは Roger Hawkins (October 16, 1945 – May 20, 2021), 彼は今年5月に亡くなったばかり。

サックスは Michael Brecker (March 29, 1949 – January 13, 2007), 彼は 1991年10月のポール・サイモンの来日公演の時にもバックを務めた(その時の模様は本 note 最終章にて)。

アルバムタイトル曲の 1 は、昔の恋人とばったり再会した場面から始まる曲なんだけど、それがそういう歌(?)というわけではない。歌詞の一部はこんなだよ。

筆者による 歌詞の全部の訳

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

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昨日の夜、街で思いがけず彼女を見かけた
とても嬉しそうに見えて、僕も微笑みを返した
それから、昔の思い出を話しながら
しこたまビールを飲んだってわけ
今でもイカレてる
ずっとイカレたままさ

僕は付き合いのいい方じゃない
案外、慣れ親しんだやり方から離れられないかな?
ラブソングに騙されるほどピュアでもないし
・・・ 耳元で囁くようなラブソングにはね
だけどイカレたままだ
僕は今も君に夢中だよ

明け方の4時
くたびれて、あくびをしながら
僕の人生なんて消えてしまえばいいって思う
心配なんてするもんか
なんで僕がしなくちゃいけない?
どうせいつかはみんな消えてなくなるのさ

僕はいま窓際に座って
外を走る車を眺めてる
ある晴れた日、僕も誰かを傷つけるだろうか
だけど罪に問われたりしないさ
陪審員達だって僕と同じじゃないか
今もイカレてるのさ … イカレてる … イカレてる
みんなずっとイカレてるんだ

...... ♫ ♫ ♫ ......

以下の note に載せたのは, Nataly Dawn によるカヴァーと筆者による歌詞和訳。

...... ♫ ♫ ♫ ......

My Little Town

2 はアート・ガーファンクルと一緒に歌ってて、当時アーティのソロにも収録され、一部メディアに S & G 復活かなんて誤解されて騒がれた曲だな。イントロのピアノが印象的。故郷を歌ってるけど、あくまで陰鬱な歌詞です。

このアルバム, 1曲だけ, 既に解散状態に入って久しかった Simon & Garfunkel が新たにスタジオ録音した曲が収録されていて, 当時けっこうな話題になっていた。この曲 "My Little Town" は他の曲同様, そして過去の Simon & Garfunkel の殆どの曲と同様に, Paul Simon の作詞作曲によるもので, このアルバムと同じく 1975年10月にリリースされた Art Garfunkel のアルバム "Breakaway" にも収録された。

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

...... ♫ ♫ ♫ ......

50 Ways to Leave Your Lover 〜 歌詞和訳

4 も大ヒット曲だったな。イントロのスティーヴ・ガッドのドラムスはあまりに有名かつ超絶かっこいい。バック・ヴォーカルの中には後で紹介するフィービ・スノウも入ってます。

タイトル・トラック "Still Crazy After All These Years" のような歌があると思うと, そのまま訳されて「恋人と別れる50の方法」なんて邦題をつけられたこの歌が入っていたりする。一方で, "I Do It for Your Love" というタイトルの歌も入っている。それぞれの歌詞を「比較対照」すると思わず苦笑してしまう(笑)(いや, 苦笑), このアルバムの中の「ラヴ・ソング」たち。アルバムでは A面3曲目に収録されていた "I Do It for Your Love" は, 本 note では最後に載せることにする。

50 Ways to Leave Your Lover, 恋人と別れる50の方法: Paul Simon のオリジナルの他, Miley Cyrus や Sophie Milman によるカヴァーを取り上げて, 筆者による歌詞の和訳を載せた note ♫

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

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問題は全部あなたの頭の中にあるのよ
彼女は僕にこう言ったんだ
論理的に考えれば簡単なことよ
私はもがき苦しんでるあなたを助けたいの
自由になれるようにね
恋人と別れる方法なんて 50もあるに違いないんだから

彼女はこう言ったよ
おせっかいするなんて私の柄じゃないし、
私の気持ちが無意味になったり誤解されるのも嫌だわ
野暮なのを承知で繰り返すけど
恋人と別れる方法なんて 50もあるに違いないのよ
50も方法があるのにって言ってるの

こっそり脱け出すだけよ、ジャック
新しい計画を立てるの、スタン
遠慮しなくてもいいのよ、ロイ
ただ自由になるだけなのよ
バスに飛び乗るの、ガス
そんなに話し合う必要なんてないの
鍵なんて置いていけばいいのよ、リー
そうすれば自由になれるの

さぁこっそり脱け出すのよ、ジャック
次のプランを立てて、スタン
遠慮なんてしないで、ロイ
私の話を聞けばいいの
バスに飛び乗って、ガス
そんなに話し合っても無駄よ
鍵なんて置いていくの、リー
そうすれば自由になれるんだから

彼女は話し続けたんだ
あなたがそんなに苦しむのは見ていられないわ
私に何かできることがあればいいのにって思うの
あなたの顔に微笑みが戻るようにね
僕はそこで応えたんだ
ありがとう
じゃぁ教えてくれないかい
その 50の方法ってのを

彼女はこう言ったんだ
それって今夜一晩二人で一緒に寝て..
そうね、寝かせて考えてみたらどうかしら
朝になったらきっと
あなたは答えに近づいていると思うの
そう言って彼女は僕にキスして
それで僕は彼女の言う通りだって悟ったんだ
恋人と別れる方法なんて 50もあるに違いない
方法は 50もあるってわけさ

こっそり脱け出すだけよ、ジャック
新しい計画を立てるの、スタン
遠慮しなくてもいいのよ、ロイ
ただ自由になるだけなのよ
バスに飛び乗るの、ガス
そんなに話し合う必要なんてないの
鍵なんて置いていけばいいのよ、リー
そうすれば自由になれるの

こっそり脱け出すのよ、ジャック
次のプランを立てて、スタン
遠慮なんてしないで、ロイ
私の話を聞けばいいの
バスに飛び乗って、ガス
そんなに話し合っても無駄よ
鍵なんて置いていくの、リー
そうすれば自由になれるんだから

...... ♫ ♫ ♫ ......

Night Game

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

...... ♫ ♫ ♫ ......

地味ながら名曲。

ところで, ポール・サイモンが子供の頃から大のベースボール・ファンであることは, ファンの間ではつとに有名。

"... Where have you gone, Joe DiMaggio
A nation turns its lonely eyes to you
Woo, woo, woo
What's that you say, Mrs. Robinson
Joltin' Joe has left and gone away
Hey, hey, hey
Hey, hey, hey”

サイモンとガーファンクル時代の "Mrs. Robinson" ですね, これって。つまり, 彼らの 4枚目のアルバム "Bookends" に収録され(1968年4月リリース) ♫

映画「卒業」(原題は "The Graduate" つまり「卒業生」, 1967年12月アメリカ公開, 日本では1968年6月公開)にも使われた, あの曲。ヴィデオのイメージに使われているのは映画でベンジャミン・ブラドックを演じたダスティン・ホフマンとミセス・ロビンソンのアン・バンクロフト。

懐かしの「卒業」.. エレーン・ロビンソンのキャサリン・ロス, ベンジャミン・ブラドックのダスティン・ホフマン。

話がだいぶ飛んだ ♫

Gone at Last 〜 歌詞和訳

6 もわりとヒットしてた記憶がある。フィービ・スノウとコール・アンド・レスポンス風に歌い、バックは LIVE RHYMIN' にも参加してたジェシー・ディクソン・シンガーズ。アップ・テンポなゴスペルっぽい感じの曲でノリがいい。

Phoebe Snow (July 17, 1950 – April 26, 2011) とのデュエットで歌ってる。そしてバッキング・ボーカルは Jessy Dixon Singers, リーダーはゴスペル歌手で作曲家, ピアニストでもある Jessy Dixon (March 12, 1938 – September 26, 2011), 彼は作曲家でもありピアニストでもあるけれど, このゴスペル調の曲を書いたのは他の曲同様やはり Paul Simon で, ちなみにこの曲でノリノリのアップテンポのピアノを弾いているのは Richard Tee (November 24, 1943 – July 21, 1993), ついでと言っちゃなんだけど, ベースを弾いてるのは Gordon Edwards, 二人は共に 1970年代から80年代にかけてニューヨーク中心に活動, 活躍したジャズ/ファンク/フュージョン系のバンド Stuff のメンバーだった人。Gordon Edwards はたぶん 1946年生まれで健在だと思うんだけど, どういうわけかこの偉大なベーシストの Wikipedia がない(かなり不思議, 例えば本人が拒否すれば載らないとか, 有り得ることなのかな)。これでドラムスが Steve Gadd (born April 9, 1945) だったりすると, ますます Stuff のノリになるけれど, Steve Gadd はこのアルバムの10曲中6曲に参加しているものの(あの超有名なイントロを叩いている "50 Ways to Leave Your Lover" の他, "Some Folks' Lives Roll Easy", "Have a Good Time", "You're Kind", "Silent Eyes", そして "I Do It for Your Love"), この曲 "Gone at Last" のドラマーは Grady Tate (January 14, 1932 – October 8, 2017) という人で, 筆者は全然詳しくないけれど Wikipedia によればジャズやソウル系のドラマー, とにかくこの曲に関しては Steve Gadd ではない。前置きが長くなったけれど, この曲はアルバムの中でかなり目立つレベルのノリのいいナンバー ♫

以下は, この歌の 筆者による歌詞和訳 note, そして 歌と歌詞と和訳。

ラジオで聴いてみよう!

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

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真っ暗な夜, 路面は凍結し
雪が降り続け, 吹き溜まりも高くなっていた
俺は長旅に疲れ
しばらく休憩するために車を停めたんだ

トラックストップで腰を下ろし 
俺は自分の過去を振り返っていた
長いあいだ 不幸が続いていたんだ
だけどそれももう終わるはずだ, そう願いたいよ

ようやく終わる, ついに終わる
ようやく終わる, ついに終わる
長いあいだ 不運続きだったけど
でも頼むぜ, もう終わりだろ

これでもばかじゃないわ, わりと考えて生きてきたの
そんなに簡単に落ちたりしないわ
だけど彼って本当に落ち込んでるように見えたの
だから 気の毒に思ったのよ

今ちょっと甘い気分かな.. ねえ 一体どうしたの?
どうしてそんなに落ち込んでるのか教えてよ
私だって長いあいだ 不幸続きだったのよ
でも祈ってる, もう終わるはずだってね

ようやく終わる, ついに終わるんだわ
ようやく終わる, ついに終わるんだわ
長いあいだ 不幸続きだったけど
でもお願い, それももう終わりよね

たまにあるんだね, どこからともなく
思いがけず, 何の備えもしてないのに
誰かがやってきて 気持ちを高めてくれる
それで 心の重荷を分かち合うようになるんだって

そうね そう思うわ, もしあなたに会ってなければ
私ってずっと落ち込んでいたのかも
長いあいだ 不幸続きだったけど
でもお願い, それももう終わりよね

ようやく終わる, ついに終わる
ようやく終わる, ついに終わる
長いあいだ 不運続きだったけど
でも頼むぜ, もう終わりだろ

ようやく終わる, ついに終わる
ようやく終わる, ついに終わるんだね
長いあいだ 不幸続きだったけど
それももう終わり, そう, きっと終わりね..

...... ♫ ♫ ♫ ......

Some Folks' Lives Roll Easy

7 もドラムスがスティーヴ・ガッド、サックスはデヴィッド・サンボーンだし、とにかくアルバム全体にジャズ・フュージョン系のミュージシャンが多用されて、都会風の洗練されたサウンドになってるんだけど、それでいて、このアルバムの音楽は何か陰のようなものを引きずっている。どこか暗い。そのバランスが見事で余計に引き込まれる。ニューヨーカーのポール・サイモン面目躍如って言ったら、称賛の言葉としては反ってちょっとダサい表現かな。何て言ったらいいのか、そう、ウディ・アレンの映画とかに似合いそうな世界だな。

以下, 一つ目のヴィデオは 本 note 第3章でも載せたもの, 近年イスラエル寄りの姿勢を露わにしてウディ・アレンにはうんざりさせられたけれど, アレンはともかく, ダイアン・キートンは学生時代にリヴァイヴァル上映の「アニー・ホール」を観て以来ずっと, 一番好きな女優。

ダイアン・キートン, ほんと, 素晴らしい。

ウディ・アレン, おい!

上は映画「アニー・ホール」の Alvy Singer を演じたウディ・アレン, 下は「アニー・ホール」のエンディング(イメージ, 静止画像に写ってるのは Alvy Singer のウディ・アレンと Annie Hall のダイアン・キートン)

そしてこちらは, もちろん, ポール・サイモン "Some Folks' Lives Roll Easy" ♫

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

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Have a Good Time

この曲の歌詞は, 本作リリースの3年前, 1972年にリリースされた(2作前の)スタジオ・アルバム "Paul Simon" の収録曲 "Paranoia Blues" (*1) のアンサー・ソングみたいな趣を含んでいて面白い。

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

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*1 パラノかスキゾか? 〜 パラノイア・ブルーズ (歌詞和訳) 〜 ポールサイモン Paul Simon "Paranoia Blues"

You're Kind

この曲は YouTube 上で見つけるのは難しい。ないと思ったら, ググってたら出てきたんだけど, YouTube の Music Premium member でないと聴けない。筆者は違うのでダメ(Spotify もいまだやってないけれど, まぁ我が家のここにCDあるし, 田舎の実家に行けばレコードもあるんだから, 笑)。  

タイトルは「君は親切」だけど, 実は歌詞の方はけっこう苦い。なんたって "You're kind, you're so kind" で始まりながら, 最後の方になると "So good-bye, good-bye. I’m gonna leave you now. And here’s the reason why" ときて, その理由と言えば "I like to sleep with the window open, and you keep the window closed", 続けて "So good-bye. Good-bye. Good-bye" でこの歌は終わり!なんとまぁ(笑)。

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*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

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Silent Eyes 〜 ついでに ポール・サイモンとイスラエル, ボブ・ディランとイスラエル

10 の Silent Eyes では「エルサレム」が歌われるが、ユダヤ人であるポールが歌おうとしたことは何だろう。
ちなみにこの曲のバック・ヴォーカルには、The Chicago Community Choir という名のクワイアがクレジットされている。

そう, https://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Simon の Contents の 1 Early life から引用すると, 

Simon was born on October 13, 1941, in Newark, New Jersey, to Hungarian-Jewish parents. His father, Louis (1916–1995), was a college professor, double-bass player, and dance bandleader who performed under the name Lee Sims. His mother, Belle (1910–2007), was an elementary-school teacher. In 1945, his family moved to the Kew Gardens Hills section of Flushing, Queens, in New York City.
The musician Donald Fagen described Simon's childhood as that of "a certain kind of New York Jew, almost a stereotype, really, to whom music and baseball are very important. I think it has to do with the parents. The parents are either immigrants or first-generation Americans who felt like outsiders, and assimilation was the key thought—they gravitated to black music and baseball looking for an alternative culture." Simon, upon hearing Fagen's description, said it "isn't far from the truth." Simon said about his childhood, "I was a ballplayer. I'd go on my bike, and I'd hustle kids in stickball." He added that his father was a New York Yankees fan:

ポール・サイモンはハンガリー系ユダヤ人の両親のもとにアメリカ合州国で生まれたユダヤ系アメリカ人。同じ 1941年生まれのアメリカ音楽界の同じくビッグネームであるボブ・ディランと同様に, ユダヤ系アメリカ人の世界的著名人だ。

因みに, Wikipedia によれば, ディランはミネソタ州の生まれで, 父方の祖父母は1905年に現在のウクライナから, 具体的には当時のロシア帝国におけるユダヤ人に対する「ポグロム」(殺戮・略奪などを含む集団的迫害行為)から逃れてアメリカに移住してきたユダヤ人で(ディランの自叙伝によれば, 父方の祖母の方の家族は元々はトルコ北東部に住んでいたユダヤ人), 母方の祖父母は1902年にアメリカに移住してきたリトアニア系のユダヤ人ということらしい。

Wikipedia ではディランの方にはわざわざ先祖はユダヤ人に対する迫害から逃れ, 的な記述があるけれど, ポール・サイモンの方もハンガリー系ユダヤ人の両親のもと生まれ, ということからすると, 親なり先祖なりが欧州での迫害を逃れてという辺りは似たり寄ったりなのかもしれない(ハンガリー系となると時期によってはナチスの弾圧から逃れ, という可能性もある)。

ポール・サイモンとボブ・ディランの Jewishness, つまり「ユダヤ人性」「ユダヤ人であること」の中身, その基礎情報はそのくらいにして, 要するにポール・サイモンはディラン同様, ユダヤ系アメリカ人の著名なミュージシャンであるわけなのだが, 子供の頃からのポール・サイモンのファンである筆者にとって幸いなことに, そして勿論, パレスチナ人にとっても幸いなことにと言ってもよいだろう, 彼はディランと違って, つまりディランが 1982年のイスラエルのレバノン侵略と侵略時に起きたパレスチナ難民大虐殺(虐殺の直接の加害者はレバノンのキリスト教右派民兵だが 3,000人超の犠牲者を数えると言われるこの虐殺は, イスラエル軍が包囲するパレスチナ難民キャンプの中に入った彼らキリスト教右派民兵にイスラエル軍が協力するかたちで行なわれた)の直後に破廉恥なイスラエル支持ソング(*1, 2, 3)を書いた過去があるのと違って(そのイスラエル支持ソング "Neighborhood Bully" は 1983年のアルバム "Infidels" すなわち「異教徒たち」に収録され, その恥さらしの歌詞は今もディランの公式ウェブサイトに掲載されている), そんなディランと違って, ポール・サイモンはその種の破廉恥かつあからさまなイスラエル支持ソングなどは一度も書いたことがない。

さて, 以下にこのポール・サイモンの歌 "Silent Eyes" とその歌詞を載せる前に, まだ書いておきたいことがある。ひとつはこれ, あくまでも自分の私的体験に過ぎないけれども, とことわりつつ。

筆者は自分の Facebook でこの歌, ポール・サイモンの "Silent Eyes" をシェアしたことがあるのだけれど, 4年ほど前にシェアした際, 当時のアメリカ人の Facebook friend がコメントを書いてきた。Facebook 上にあるポール・サイモンのファンのコミュニティで知り合った人だったが, 彼女は「とても美しい歌ね。私はこの歌を聴くと, ホロコーストの悲しみを思い浮かべるわ」というコメントを書いてきたのだった。筆者はそれに応えて, 「確かにいい曲だね。自分はこの歌の歌詞で具体的, 直截的に即, ホロコーストを想起するということはなかったけれど, エルサレムを思い浮かべて『悲しみ』について想うなら, 自分はユダヤ人の悲しみだけでなく, パレスチナ人の悲しみも考えるよ」と書いた。彼女がユダヤ系アメリカ人だったのかどうか, それは確かめる機会もなかったし, 確かめようもないが, しかし兎に角, その日のうちだったか翌日だったか, 筆者は彼女に Unfriend された。 

ところで, ここで, ポール・サイモンの歌と「神」や「宗教」について

ボブ・ディランが一時期「宗教」にかなり傾倒したことがあるのと違って, ポール・サイモンの音楽のキャリアは「宗教」絡みをほとんど感じさせない。歌詞の中に "God" が登場する歌はまぁあるにはあるけれど。

例えば "The mirror on my wall casts an image dark and small. But I'm not sure at all it's my reflection. I am blinded by the light of God and truth and right, and I wander in the night without direction."

それから例えばこの歌, ここでは "Blessed", "O Lord" といったフレーズが度々登場するけれど, "O Lord, Why have you forsaken me?" といった感じで, 歌詞の中身はかなり痛烈。この note で取り上げている, サイモンとガーファンクルの1967年のライヴの際にポール・サイモンが聴衆に語っていることも含め, かなり興味深い。

そして, "Seen a young girl in a parking lot, preaching to a crowd, singin' sacred songs and reading from the BIBLE. Well, I told her I was lost, and she told me all about the PENTECOST, and I seen that girl as the road to my survival ... Just later on the very same night, I crept to her tent with a flashlight, and my long years of innocence ended." ... "I was playing my guitar, lying underneath the stars, just thanking the Lord, for my fingers, for my fingers."

さらに "American Tune", この歌の歌詞は, アメリカ合州国の「建国」の歴史に絡んで「キリスト教」がまとわりつく歌詞でもある。

まだ幾つか曲を挙げられるだろうけれど, この辺にして, "Silent Eyes" ♫

この歌はけっこうストレートなところがあって, 「神」や「宗教」などに絡みつつこういった類のストレートな表現をしている歌詞は, ポール・サイモンの歌の中では相当に「異色」だと思う。何しろ, 最後はこれで終わる, "Silent eyes burning in the desert sun, halfway to Jerusalem. And we shall all be called as witnesses. Each and every one, to stand before the eyes of God, and speak what was done."

筆者のような無神論者はともかくとして, 信仰者, ここではユダヤ教, キリスト教, イスラームといったアブラハムの宗教の信者たちは, この歌詞に触れると何を想うだろうか。

ポール・サイモンが「宗教」についてどんな考えの持ち主なのか, これは意外と分かりにくい。サイモンとガーファンクル時代に作った "Kathy's Song" では "And so you see, I have come to doubt all that I once held as true. I stand alone without beliefs. The only truth I know is you. And as I watch the drops of rain weave their weary paths and die. I know that I am like the rain. There but for the grace of you go I." と最後には There but for the grace of God go I の God を "You" つまり Kathy に置き換えて歌ったりもし, やはり上に例として挙げた "Blessed" はかなり痛烈, 辛辣な内容の歌詞だし, さらにその後のポール・サイモンのいろんな歌の歌詞を味わっていて, 彼が単純な「信仰者」であると見做すのはちょっと無理があると思う。ユダヤ教の信者ではないと思うのだが, 自身をクリスチャンだと思っているかどうかというとそれも怪しく感じる時もある。無神論者の可能性だってあるわけだけれど, とにかくよく分からない。

そんなポール・サイモンがこの "Silent Eyes" の歌詞を書き, しかもこの歌をこのアルバムの最後の収録曲に選んでいる。どういう意図があったんだろうか。これは今も謎だ。  

この歌 "Silent Eyes" は 本 note で取り上げている 1975年のアルバム "Still Crazy After All These Years" に収録された曲, そのエンディング・トラックだけど, なぜかこの YouTube 上のクリップのイメージは 1972年のアルバム "Paul Simon" のカヴァー写真。

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

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さてさて, 

ディランの付録を付けざるを得ないので, 以下に!

*1 ボブ・ディランの不都合な真実 ー 1982年イスラエルのレバノン侵略とパレスチナ難民虐殺事件の直後に書かれたイスラエル支持ソング

*2 ボブ・ディランの不都合な真実(2)ー または 私が 37年余り購読し続けた「朝日新聞」の購読を止めた理由

*3 ボブ・ディランの恥ずべきイスラエル支持ソングと、サブラ・シャティーラ、パレスチナ難民虐殺事件 38周年(2020年9月17日付 note)

気分が悪くなったので, 話を

戻そう, 

ポール・サイモンの "Silent Eyes" に ♫

ポール・サイモンは 1975年2月にアメリカで公開された(日本では1975年11月に公開されている)映画「シャンプー」(ウォーレン・ベイティが製作し主演もベイティ, 原題 "Shampoo")の音楽を担当していて, この映画で, この曲 "Silent Eyes" のハミングによる別ヴァージョンが使用されている。

筆者はあの映画は観てないんだけど, この YouTube 上のクリップで男が見つめている先の風景は, どうやらエルサレムっぽい(エルサレムには行ったことがある, 2週間以上滞在したことがあって, 何となくそう思う)。

さて, 

もうひとつ。YouTube をアルバム "Still Crazy After All These Years" の別の収録曲でサーチしていた時, このアルバムのリリースから 3年後の 1978年にポール・サイモンがイスラエルでライヴを行なった際の音源が上がっているのを見つけたので, どんな曲を歌ったのか興味があってチェックしてみた。

このライヴの時の直近, 「最新」作ということになるアルバム "Still Crazy After All These Years" 収録曲 10曲のうち 7曲(以下のセットリストのうち太字にした 7曲)を歌っているが, 歌詞の中に "Jerusalem" が登場する "Silent Eyes" は歌っていない。この日だけそうだったのか, 他の日も同様だったのか分からないが, "Silent Eyes" を「あえて」(と言うのか微妙だが)イスラエルでの公演で避けた理由とかあったんだろうか。それとも, ただ単に 楽曲として選択肢に入らなかった, 選曲されなかったというだけのことなのか。さすがにその理由は知りようがないけれど!

Me and Julio Down by the Schoolyard
Homeward Bound
Mother and Child Reunion 
I Do It for Your Love
You're Kind
Bluesette
Have a Good Time
Still Crazy After All These Years
50 Ways to Leave Your Lover
The Boxer
Mrs. Robinson
Slip Sliding Away
Duncan
Something So Right
Loves Me Like a Rock
Some Folks' Lives Roll Easy
I Keep So Busy
What Do You Call Him
Bridge Over Troubled Water
Gone at Last
American Tune
Sounds of Silence
America
Baby What You Want Me To Do
Bye Bye Love

...... ♫ ♫ ♫ ......

さてさて。

I Do It for Your Love 〜 歌詞和訳

最後に回してしまったけれど, この曲はこのアルバム "Still Crazy After All These Years" のレコード, LP のA面, 3曲目に収録されていた曲。

3 の I Do It For Your Love ・・・ 美しいラヴ・ソングです。これもポールらしいと言えばポールらしい曲。S & G 解散後1作目のソロアルバム、PAUL SIMON の最後の曲、Congratulations の返歌のようにも聴こえる佳曲。いい歌です。僕はこういうラヴ・ソングも好きだな。

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

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僕らは雨の日に結婚した
空は黄色で、草は灰色だった
書類にサインして、車を走らせた
君の愛のために

部屋はかび臭くて、配管は古びてくすんだ色だった
冬の間ずっと、二人で寒さをしのいだね(*1)
僕らが持ってたオレンジジュースは全部飲み干してしまった
君への愛のために

古びたがらくた屋でラグマットを見つけたんだ(*2)
それで僕は君のためにそいつを持ち帰ったのさ
途中で色が変わってしまって
オレンジ色が青になってしまったんだけどね

古びたがらくた屋でラグマットを見つけたんだ(*2)
それで僕は君のためにそいつを持ち帰ったのさ
途中で色が変わってしまって
オレンジ色が青になってしまったんだけどね

訳ある心の痛み
したたり落ちる涙
北半球と南半球で
愛は生まれ、そして消えていく

君の愛のために
僕はただ君への愛のために

...... ♫ ♫ ♫ ......

注釈は上掲のこの歌の歌詞和訳に関する初出 note に書いたもの。以下, 転載。

*1 "shared a cold" は直訳的には「寒さを分かち合う」なんだろうけれど、それでは言い回しがちょっと堅すぎる気がする。ここでは、「二人で寒さをしのいだ」という言い方にした。
*2 "rug" はラグマット(部分敷きの絨毯)、もしくは膝掛けまたは肩掛け。画像検索したりして出てくるのは圧倒的に前者。後に続く "And I brought it home to you" を踏まえると後者という解釈もあり得るのだろうが、直前のセカンド・ヴァースで二人が暮らす部屋のことが歌われていることから想像すると、ここはやはり「ラグマット」でいいのではと考え、上掲の訳詞のようにした。

Bonus track: ポール・サイモン, "Still Crazy After All These Years" LIVE in Japan 1991

本 note 第3章 Still Crazy After All These Years 〜 2004年10月11日, 44歳の時に書いたレヴューもどき のテキストの途中に入れた注釈で, 

" *2 マイケル・ブレッカー(Michael Brecker: 1949年3月29日生まれ, 2007年1月13日他界)は知らないとまずい。しかも 1991年のポール・サイモンの Born at The Right Time Tour での来日公演の際(10月12日の東京ドームでのライヴを妻と一緒に観た), サックスはこの人だったのに!.. マイケル・ブレッカーのその時のサックスのソロは本 note 最終章にて ♫ "

と書いていたけれど, 以下はその時の模様。つまり, 筆者が妻と一緒に観た, 1991年10月12日のポール・サイモン, 東京ドーム公演での "Still Crazy After All These Years" ♫

この聴衆の中に妻と一緒にいたんだけれど, 我々は幸いだいぶ前の方の席のチケットを取れていて, そのさらに前, かなりステージに近いところには細野晴臣氏がいた。ちょっと余計なことを書くと彼は若い女性といて, 細野さんのプライベート知らないので, ワイフだったのかガールフレンドだったのか娘さんだったのか, そこは全然分からない(笑)。

とにかく, 今から30年前の東京での Still Crazy After All These Years 

スタジオ・ヴァージョンでの "Four in the morning, crapped out ..", ライヴでは ".. tapped out .." と歌ってるパターンが多く, この時もそうだった。

あの日, 会場で買った, あの時のコンサートのパンフ。

画像1

もう 30年も経ったのか, Still Crazy After All These Years

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