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ブッダガヤの大菩提寺で仏塔を観た翌日は 〜 Tower of Power ♫

前説

仏塔と言えば英語に直訳すれば Tower of Buddha (笑, 本当は英語で言う時も Pagoda とか Buddhist stupa とかになるんだけど、まぁしかし Buddhist tower という言い方ならあるにはあるようだ), となりゃあなた(どなた?)、BGM は Tower of Power で決まりだよねぇ(とこれは本 note 投稿の最後の章にて)。

タイトルに「ブッダガヤの大菩提寺で仏塔を観た翌日は」と書いたけれど、このコロナ禍のもと、海外旅行なんてしてるわけがなく、釈迦牟尼(ウィキペディアによればサンスクリット語の発音のカタカナ表記ではガウタマ・シッダールタ、パーリ語の発音に基づくとゴータマ・シッダッタとなるらしい .. 昨年還暦の筆者がガキの頃に使った学校の教科書ではゴータマ・シッダルタだったような気がするが、どうだったかな、それから若い頃全巻呼んだ手塚治虫の名作漫画の一つ「ブッダ」ではどうだったかな、今も我が家にあるから見てみりゃ分かるけれど、今は炬燵に入ったままの筆者なのであ〜る、なんだこの長い括弧は?仏教のお経だって長いのだ!)が 紀元前530年頃に悟りを開いた場所であるブッダガヤの大菩提寺(だいぼだいじ、マハーボーディ寺院:創建は紀元前260年)を筆者が訪ねたのは、今から37年前、1984年1月3日。

前年1983年4月にバックパックひとつ担いで日本を発ってソ連(今のロシア!)、ヨーロッパ諸国、その後はトルコ、シリア、ヨルダン、パレスチナとイスラエル、エジプト、再びトルコ、イラン、パキスタンを旅し、同年11月29日にインド入国、インド国内ではアムリトサル、ダラムサラ、デリー(途中、日帰りでアーグラに行ってタージ・マハル見物)、年越しと「初日の出」はガンガーのヴァーラーナシー .........

(筆者の過去のインド関連投稿、「エコーズ」や「2001年宇宙の旅」は縁!)

1984年1月3日、ブッダガヤの大菩提寺(だいぼだいじ、マハーボーディ寺院)へ

前章「前説」からの続き ...... そして 1984年1月2日午後4時半頃にヴァーラーナシーをいつものように2等列車で発って(ということは毎度毎度ながらの乗車時は大混乱、乗車してからは大混雑、子ども達を含むタバコや菓子類やチャイなどのもの売りが窓から入り窓から出る、チャイの土焼きカップは使い捨てで割ってしまう、乗客も時として窓から降りてしまうという、少なくとも当時の ... いや、IT大国化したインドも2等列車の風物・風景は今もあまり変わっていないかも ... インドでは当たり前のカオスの中に身を置くことになる、なんだこの長い括弧は?仏教のお経だって長いのだ!)、

同日夜9時頃、ブッダガヤの最寄駅であるガヤ駅に着、その日はブッダガヤにあるビルマ寺(今はミャンマー寺と言ってるのか、脱線するけどさ、ミャンマーのロヒンギャ・ムスリム差別・弾圧は宗教間の紛争というより少数民族の人権の問題だと思うけれど、あの国の人々の多くが今も敬虔な仏教徒であるのなら、釈迦牟尼が「三途の川」の向こうから眺めて嘆いてるだろうなぁとか考えて自戒しないのかね?.. 「戒」って字を使うと「モーセの十戒」を思い出してユダヤ・キリスト・イスラームのアブラハムの宗教のことが浮かんできてしまうんだけど、あれもねぇ、パレスチナ人の土地を「盗む」、パレスチナ人を「殺す」、と十戒を平気で破る1948年「建国」のイスラエルのシオニストがいくらでもいて、もう無茶苦茶だけどなぁ、なんだこの長い括弧は?アブラハムの宗教の説教だって仏教のお経だって長いじゃんかよ!まぁ拙者のはただの脱線括弧だけどね) ...

ああ、括弧長過ぎた、話を戻すと、1984年1月2日の夜9時頃、ブッダガヤの最寄駅であるガヤ駅に着いた拙者であるところの筆者、その日はブッダガヤにあるビルマ寺の宿泊所に泊まった。1泊5ルピーなり。日本円にすると幾らぐらいだったかな、インド旅行中も欠かさず書いていた当時の日記を捲れば何処かに当時のレートが書いてあるような気もするが、それはいつか、あの時の旅を数十年経ってから振り返る本を出版する(するのか!?)時にでも調べよう!

翌日、1984年1月3日、ついでに言うと火曜日(日記に曜日が書いてあるから書いただけ、笑)、その日は超絶珍しく「日の出」前、朝4時半頃に起床し、顔を洗った後、まずはブッダガヤにある日本寺(本堂の完成は1973年)に向かった。

そして朝5時半頃より日本寺での座禅に参加。当時の日記によれば(ママ)、「辺りは沈黙に包まれてる。30分ぐらいしたあと、外の縁側を何周かまわる。お坊さんの 1人が時々鐘を鳴らす。中にもどって、合掌しながら、立ったり座ったり。再び座禅。お経が始まる。色即是空がききとれたのみ。木魚、鐘。最後にもう 1度 縁側に出て、菩提樹の方向に合掌」。

菩提樹の「菩提」ってわりと書けない漢字だと思うが、日記にきちんと書いてあるのは不思議。当時、日記を書いている時に何か手元にあったのかも。

日記によれば(これも原文ママ)、「お寺に着いた頃は星空。今はもやだらけ。歩いてるうちに日が出てきた」。

「歩いてる」とは、日本寺を発って菩提樹に向かって「歩いて」いた時のこと。

そういうわけで、本 note 投稿のタイトル上の写真は、1984年1月3日撮影、朝もやの中のブッダガヤの大菩提寺(だいぼだいじ、マハーボーディ寺院:創建は紀元前260年)。

そこは、ブッダ(釈迦牟尼、サンスクリット語のカタカナ表記ではガウタマ・シッダールタ、パーリ語のそれはゴータマ・シッダッタ、昨年還暦の筆者がガキの頃に使った学校の教科書ではたぶん、ゴータマ・シッダルタ)が紀元前530年頃に悟りを開いた場所。

てなわけで、ようやく、ブッダゆかり(ブッダが姓で「ゆかり」が名という、そんな名前、姓名のお姉さんとかお姐さんのことではありません、ゆかりとは「縁」のことであります、さて、「縁」とは仏教用語の一つでもあります)のマハーボーディ寺院に着いたのであった。

... とここまで来るのに無闇矢鱈と文章長かったのに、あとは写真だけ。

詳細は拙者であるところの本 note 投稿の筆者がいずれ出版する「遅れてきた青年」、あ、違う、それは大江健三郎、しかもあれ読んでない、そうじゃなくて、「遅れてきた1983年型『何でも見てやろう』青年のユーラシア大陸一人旅をいま振り返る」(仮題)の中で明らかにする。ほんとに出版するのか、その答えは色即是空、問答無用、意味不明、禅問答。

あ、因みに、「何でも見てやろう」は勿論、小田実。これはあの旅に出かける前の時期に読んだ。時代は違えど、めっちゃくちゃ面白かった。旅人の永遠の「聖典」。いやその名は似合わない、名著たる「俗典」と呼ぼう。

話を戻して、当時の日記によれば(再びママ、原文ママ、原文そのママ、因みに拙者、自分の母親をママと呼んだことは一度もありません、拙者の息子は横浜生まれ・茨城育ちながら母親のことを「おかん」と呼びます、誰も訊いてないか、嗚呼そうだ、色即是空、この世は全て因と縁、本当か?)、その後、「枯れた川原(雨期は水が流れるらしい)を渡って、ブッダに乳がゆを捧げた乙女スジャータのいた村へ」行ったりもしたのだが、今日はとにかく、あとは写真だけ(しかもたったの 2枚!!)。

ところでですね、スジャータとはつまり、ブッダが悟りを開く直前に乳がゆを捧げて彼の命を救ったという娘の名前であって、拙者であるところの筆者が37年前に訪れた村がそのゆかり(縁!)でスジャータ村と呼ばれているのはいいとして、それから日本の食品メーカーが自社のコーヒーフレッシュ(こちらの商品には「乳」化剤が使われてございます!)のブランドに「スジャータ」と名付けたのもまぁいいとして、それにインドの有名女優にスジャータという人がいるのはいいとして、

ここで段落変えて(!)、

いくらいくら(一つ目の「いくら」と二つ目の「いくら」は意味がやや異なります)カーストによる差別を法律で禁止しても根強くそれが残りカーストへのカウンターだったとも言える仏教が根付かなかった歴史を持ち且つ今や醜いヒンドゥー至上主義が蔓延るインドとはいえ(インドって旅人には本当に魅力的な国だったけれど!)、自国の軍隊、海軍の哨戒艦の名前として「スジャータ」を使っている、そりゃないだろうよ。

殺生の道具にそんな名前つけるんじゃないよ。「殺生」ってのは仏教では十悪の一つだぜ。「殺す」ことを禁じてる「モーセの十戒」のアブラハムの宗教も、ユダヤ教徒が多いイスラエルが毎週のようにパレスチナ人を殺したり、それに歴史的にキリスト教圏だった欧米諸国も過去から現在まで戦争やりまくりだし、イスラーム圏内の諸国も人をさんざん殺してるし、まぁ酷いもんだなぁ、宗教なんて何も役に立ってないじゃんかよ。まぁ事実上、宗教の敬虔な信徒はめっちゃ少ない日本も過去の戦争で人をさんざん殺してるわけだけど、兎にも角にも、慈悲だ慈愛だ殺しちゃいかんとか人に説きまくる「宗教」の皆さんがこれまでの歴史の中で殺してきた人の数といやぁ ..... 呆れたもんだよなぁ。

ブッダが悟りを開いた場所、ブッダガヤの大菩提寺(だいぼだいじ、マハーボーディ寺院) 〜 1984年1月3日 早朝なり

というわけで、長い長い前置きをし、且つ前章の最後で「宗教」全般に妙に呆れてしまったところで、以下、写真掲載、ゴータマ・シッダッタ、じゃなかった、「たった」の 2枚!!

因みに無神論者の筆者、宗教はみな好きでないけれど(宗教は単に知的関心が向く対象、まぁ生まれ育ち的に仏教の寺や神道の神社に郷愁みたいなものは感じるけれど)、強いて言えば、仏教が醸し出す「雰囲気」はわりと好きな方ではある。例えばユダヤ・キリスト・イスラームなどの唯一神や創造主信仰のアブラハムの宗教が人間の生活を無闇矢鱈とルールで縛るのと違って、何処か(西洋のその概念とは異なるのだろうが)そこはかとない「自由」「の・ようなもの」(って映画のタイトルじゃんかよ)を感じるところがあって ... いやそれはいま思いついただけなんだけど(笑)、仏教って寺とか教義とか持ったところで宗教の一つではあるものの、他の宗教と比べると、何だろう、「宗教」臭さよりも「哲学」みたいなものを感じる面が強い気がする。

まぁとはいえ、自身は仏教の信者、信徒では全く無いし、そんな大雑把なハナシはこれで終わりにして、ようやくの、たった 2枚の写真の掲載。

画像1

朝もやに包まれる、37年と1日前、1984年1月3日のブッダガヤの大菩提寺(だいぼだいじ、マハーボーディ寺院)なのであ〜る。ああ、色即是空(意味わかってんのか、笑)。

画像2

仏塔, 仏(ほとけ)の塔, Tower of Buddha の形をしたブッダガヤの大菩提寺を拝んだ後に聴く、力(ちから)の塔 〜 Tower of Power ♫ 

Tower of Power 〜 NPR Music Tiny Desk Concert 2018

Set List
"On the Soul Side of Town"
"So Very Hard to Go"
"What Is Hip?"

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