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時計に彩色。自分を遊びモードにして1回性を楽しむ「アート」をしてみた。

テーブル作りのが終わって、今日はその木工教室の最終日。
余った木材から時計を作る。主に彩色。

パートナーさんが時計に彩色するのを見る。
自分が考えていた「木の色をそのまま残す」は無難すぎて折角の機会がもったいない気がして、自分もやってみることにした。

教室長さんが色のことを教えてくれた中で、黒を入れることを「悲しみを入れる」と言い、深い良い色になるのだという話が印象的だった。
黒を入れたら絵の具はそれで終わりだと思っていたけれど混ぜて良いし、それで良い色になるというのは面白い話だ。

パートナーさんは「お散歩して色を探してきます」とパッと外へ行って、こういうところが良いなと思う。
自分はどうしても正しい色、無難でオシャレな色や枠にはめようとしてしまうところがあって、こうしたら綺麗な配色になるんだろうとか考える。
それを「遊びモード」にして、折角の機会なんだからもったいないと、やってみた中で出てくるものを見て継ぎ足して行こうと、1回性を意識してみることは出来て良かった。

でも筆の塗り方が1パターンしか無いからなかなか広がらないことも感じていた。
もっと面白くなるようにしたいのに、教室長さんやパートナーさんに見られると良く見せたいとか何かアドバイスをもらって従いたいとか、自分の中に気持ちが色々と湧いてくる。

どういう風にしても良くて、どこまでやっても間違いではなくて、だから「完成した」と思う良いところで「壊してみる」も大事だし、
どんどん変わるのとか、ドライヤーで乾かして絵の具が広がるのとか、よく「アート」という言葉を聞くけれど自分は本当にそういう頭の働かせ方をしていないんだなと思う。
適当にやってみることはできたけれど、それで混沌としてきた時にどうにかする術はなかったり、あるいは「混沌から抜け出そう」としてしまったり。でもコーヒーにミルクが溶けていくのが好きなように、色どうしが滲んでいくのを楽しむのは良いかも…と思った。

今日のおかげで家でも絵の具をやってみたくなった。

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お読みいただきありがとうございます。

毎日の日記の中から一部を抜き出して、こちらに載せています。

明るい考えも暗い気分も、毎日なにかあって、日々とはすごいものですね。それをちゃんと受け取りたいなと思います。

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