dailynotes

毎日の日記の一部を公開。毎日なにかあって日々はすごいなってこと。

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最近の記事

「知る」より「実践」の時期。時間をかけながらやってみる段階。

Twitterで「地球に暮らす自給学」のおしらせが流れてきた。 案内ページを読んでみる。 東京で実施ということを差し引いても、やっぱり今この講座に申し込むことはしなくて良さそうだと思えた。 自分は今「知る」より「実践」の時期にいて、つまり時間がかかる段階。 それを覚悟で、時間をかけながらやってみる段階。 まだまだ知らないこともあるし受講すれば知れることも多いだろうけれど、それより「やってみる」段階なのが今の自分。 そう思えたのが良かった。 案内ページを読んで良い言葉だ

    • 「暮らし」だから毎日かならず何かある。それを開いて一緒にやる。

      昨日から知人が泊りに来ている。 それで今日もお休み。一緒に過ごす。 今日もし仕事をしていたら慌ただしかったのだろうな。 ここにはゆっくりした時間がある。 道の駅に行こうか、畑を一緒にやろうか、星を見に行こうか。そんな話をしている。 時間というのはいくつもあって、それぞれの場所に違うものが流れている。 一緒に何かするって良い。 昨日は栗むきをしながらおしゃべり。 ご飯の一品用意や盛り付けをお願い。 布団の用意や片付け。 「暮らし」だから毎日かならず何かある。 そこに関わ

      • お金に全て結びつけることで窮屈になる。

        今日から知人が泊りに来る。 僕らがやりたいこととしてゲストハウスという言い方はできそうだけれど、 ただ「普通の暮らしを一緒にする」わけで、それならお金をもらう必要ってやっぱりない。 お金じゃなくて良い。 お金に全て結びつけることで窮屈になる。 好きでやっているのに歪む。 お金から距離をとって他の仕事で十分に得ておけば良い。 やっぱりそれは間違いないなと思う。 ーーーーーーー お読みいただきありがとうございます。 毎日の日記の中から一部を抜き出して、こちらに載せてい

        • 何をやりたいか突き詰めすぎると、自分のことばかり考えていて、世界と断たれる。

          昨日お腹が痛重たかった。 小麦の摂りすぎだろうと思って、お味噌汁やお漬物を中心にした食事に変えたらやっぱりラクな感じがする。 胃に負担をかけないって大事だ。こうやって食生活が変わってくるのだろう。 負担をかけないのが大事って何でも言えること。 ここまで生きてきたからこう思えるように自分が変わってきた。 流れてきた記事を読んで、その中の「むしろ自分を無くしていく」という言葉が良かった。 自分は何をやりたいかと突き詰めすぎると、自分のことばかり考えていて、世界と断たれるから繋

        「知る」より「実践」の時期。時間をかけながらやってみる段階。

        • 「暮らし」だから毎日かならず何かある。それを開いて一緒にやる。

        • お金に全て結びつけることで窮屈になる。

        • 何をやりたいか突き詰めすぎると、自分のことばかり考えていて、世界と断たれる。

          「便利」のために必死になることもない。

          技術やらITやらで便利になる。 暮らしは便利になるかもしれないけれど、それだけとも言える。 便利になったことで自分という人間が良くなるわけでもない。 その程度でしかないのだとも言える。 じゃあ「便利」のために必死になることもない。 ーーーーーーー お読みいただきありがとうございます。 毎日の日記の中から一部を抜き出して、こちらに載せています。 明るい考えも暗い気分も、毎日なにかあって、日々とはすごいものですね。それをちゃんと受け取りたいなと思います。

          「便利」のために必死になることもない。

          人類は実は余計なことをしてきたのかもしれない。

          忙しいのが嫌だと言うのに、特にやることがないとき人は自分で仕事を探して、自分で自分を忙しくする。 それは善意だけれど、結局のところヒマへの弱さが自分を忙しくする。 北の国々は科学も発展させたけれど、同時に戦争も起こしてきた。 南の人たちは劣っているように見られるけれど、実際はそうではなくて、 何もしなくても食べ物が育つのだから忙しくせずゆったり暮らしていれば良い。 人が最後にこうしたいと思うことを初めからやっていたのが南の人々だったのかもしれない。 世界は北の国々が動か

          人類は実は余計なことをしてきたのかもしれない。

          仕事というのは単純で、誰でもできて、だから疲れるもの。

          もうすぐ辞めることにした仕事で、今日は棚卸し作業。 今どこに何がいくつあるのか全て把握する。 だから商品を全て出して、種類ごと数を数えて登録して、人を変えてダブルチェックする。 2時間もやっていると疲れてきてミスしやすくなる。 それを気合いで抑えて正確に進めて、すごく疲れる。 この感じは前にやっていた仕事と同じだなと思う。 疲れるのは嫌だとか人間らしくとか言うけれど、 仕事というのは単純で、誰でもできて、だから疲れるものなのだろう。 組織の仕事を「分担」するとなれば「

          仕事というのは単純で、誰でもできて、だから疲れるもの。

          「畑を楽しみでやると苦しくなるよ」

          地域で長く畑をやっている方と話す機会があった。 「畑を楽しみでやると苦しくなるよ」とおっしゃっていて、みんなそう言うんだなと思う。 自分にそれが分かる時も来るのだろう。今とは身体も段々と変わっていく。 野菜が動物に食べられたり、手が必要だったり、自分にはまだ分かっていない苦労があるのだろう。 でもやっぱりもう少し生きる安心がほしいなと思う。 それは、自分の慎重さが「もう少し自分でできることを増やしたい」と言っているのかもしれない。 何もできなさすぎる。 とはいえ有事へ

          「畑を楽しみでやると苦しくなるよ」

          サバイバル力というよりも「丁寧な暮らし」にいつの間にか変わって来ていたのかもしれない。

          朝からじわっと不安が起きる。 太陽光パネル+蓄電池があれば緊急時も安心という記事に対して 「サバイバルの程度による。究極であれば水のろ過装置を作れるとか寝どこを作れるとか…」という返信があって、ごもっともと思う。 自作できる水のろ過装置を調べてみる。 自分はぜんぜん知らない。 退職するときに「火の起こし方も知らなくて、何かあったら生きていけない。生きる安心というなら自分でやる力、サバイバル力をつけないと」と思って、 不便を敵にしないように、自分で少しでもやろうと思って暮

          サバイバル力というよりも「丁寧な暮らし」にいつの間にか変わって来ていたのかもしれない。

          感情こそが運命で、この自分でいくしかないと思い切れたら良い。

          気付けば教員退職から5~6年たった。 最初のコロナの時に辞めて、カフェで働いて複業やオンライン修学旅行。 デンマーク留学、福岡へ引っ越し、信州へ移住。 書かれていないことも含めて色々あった。濃い時間を過ごしている。 良いこれまでも過ごしてきたし、過去がどうあれそれがあって今頑張っているという、それだけで良いのだろう。 探し物は探すと見つからないのかもしれない。 探すから見つからないのかもしれない。 なんだか良い比喩な気がする。 感情こそが運命で、この自分でいくしかないと

          感情こそが運命で、この自分でいくしかないと思い切れたら良い。

          知らず知らずのうちに自分に呪いをかけているのかもしれない。

          分かっている自分でいたい。 できる自分でいたい。 そう思う時点で満たされていないところがあるのかもしれない。 爽やかじゃなく必死でじとっとした「こうなりたい」だから。 自分だってすごいんだ、認めてくれ、認めてほしいって言っているのかもしれない。 それでいて「自分が認めるすごい人」から認められないと叶わない気がして、 この人は自分が認めるに値する人かって厳しい減点の目で周りを見ているかもしれない。 そうやって知らず知らずのうちに自分に呪いをかけているのかもしれない。 ー

          知らず知らずのうちに自分に呪いをかけているのかもしれない。

          空を見られることは大事。

          なんだか調子が上がらなくても図書館へ自転車を漕げば空が見える。 夕方に外を見るとすごくきれいなグラデーションがあったりする。 働いていると建物の中で時間が過ぎていく。それが元気を奪う気がする。 外に出られること、空を見られることは大事な気がする。 ーーーーーーー お読みいただきありがとうございます。 毎日の日記の中から一部を抜き出して、こちらに載せています。 明るい考えも暗い気分も、毎日なにかあって、日々とはすごいものですね。それをちゃんと受け取りたいなと思いま

          空を見られることは大事。

          誰かを迎えることは、パートナーさんと自分の奇跡的な重なりの多さを確認する機会でもある。

          友人が泊まりに来て、両親が来て、人を迎えるのは楽しいところもあるけれど疲れもする。 たとえば普段のスピード感があまり合わない人が家に来るとして、そういう人を迎えるのは疲れるかもしれない。 でもそれだけ、パートナーさんと自分の間に奇跡的に重なることの多さがあるんだよなとも思った。 そういうことを確認する機会にれば良い。 合う人が来るなら一緒に楽しめるし、合わない人が来るならそういうことの確認になる。 いずれにせよ啓発をしたいわけではない。 自分たちの「普通の暮らし」をして

          誰かを迎えることは、パートナーさんと自分の奇跡的な重なりの多さを確認する機会でもある。

          両親が初めて家に来た。自分としてはやっぱり無意識に緊張して頑張ったのかもしれない。

          お昼前くらいに両親が到着。 我々はそれまでにお刺身の買い物や掃除などを済ませて待っておく。 リンゴを出して食べ比べて、家の周りを見て、 自分の運転で道の駅まで行って見晴らしの良い場所をぐるりと周って、帰ってきて土鍋ご飯とお味噌汁を作る。 昨日のうちにパートナーさんが作っておいてくれたゴーヤのお浸し、ナスとピーマンの焼き浸し、今日買ってきたカツオのたたきで食べる。 家の広さとか環境の静かさとか、普段食べているものとか、喜んでもらえて良かった。 パートナーさんもお土産のビンが

          両親が初めて家に来た。自分としてはやっぱり無意識に緊張して頑張ったのかもしれない。

          仕事が無いのにお金をもらえてラッキー、ということは無い気がする。

          パートナーさんのある日の仕事は「ひまで暇で地獄のような午前中だった」らしい。 仕事ないのにお金はもらえてラッキーだという見方もあるだろうけど、 お金のために時間を差し出すものじゃないよなと今は思う。 それぞれの仕事への意味が大事だと思っていたけれど「やりたい形」もやっぱり無視できなくなってきた。 年齢を重ねたこともそう思わせるのかもしれない。 どういう時間を過ごすか。 ラクなのは良いけれど時間がもったいないのは嫌だ。 ーーーーーーー お読みいただきありがとうございます

          仕事が無いのにお金をもらえてラッキー、ということは無い気がする。

          「そうなると分かっている」安心が自分には必要なのだろう。

          テント泊登山をしている方が「このリュック一つで生きていける」と投稿していた。 確かにテント泊登山ということは、サバイバルに必要な最低限の一式を装備するんだよなと思って調べてみる。 自分はこういう情報が気になる。 これだけあれば大丈夫ということが気にかかるし、それが見えると安心する。 「そうなると分かっている」安心が自分には必要なのだろう。 ーーーーーーー お読みいただきありがとうございます。 毎日の日記の中から一部を抜き出して、こちらに載せています。 明るい考えも暗

          「そうなると分かっている」安心が自分には必要なのだろう。