dailynotes

毎日の日記の一部を公開。毎日なにかあって日々はすごいなってこと。

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最近の記事

友人の家に滞在中。みんなで一緒に眠るって良い。

昨日から友人の家に滞在中。 幸せに暮らしていて良かった。 大人になってからの友だちという感じで気楽に話せる。 我々の家にも来てもらえたら良いなと思う。 客室じゃなくてお子さんとみんなで広い部屋で一緒に眠るて、それはすごく受け入れられている感じがする。 ーーーーーーー お読みいただきありがとうございます。 毎日の日記の中から一部を抜き出して、こちらに載せています。 明るい考えも暗い気分も、毎日なにかあって、日々とはすごいものですね。それをちゃんと受け取りたいなと思いま

    • よく言う「手放す」というのは「離れる」だけじゃなく「距離感を調整」することも入るのだろう。

      友人はコミュニティ運営の仕事で慌ただしくて、でも少し落ち着いてきたらしい。 距離をとろうとしたら変化が起きたとのことで、自分の仕事が気楽になったのと似ている気がする。 よく言う「手放す」というのは「離れる」だけじゃなく「距離感を調整」することも入るのだろう。 ーーーーーーー お読みいただきありがとうございます。 毎日の日記の中から一部を抜き出して、こちらに載せています。 明るい考えも暗い気分も、毎日なにかあって、日々とはすごいものですね。それをちゃんと受け取りたい

      • パートナーさんとの違いはあれど、大事なものを間違えず、大事なものを先にする。

        何か気持ちが満たされなかったり空白を感じたとき、パートナーさんは一緒にいたがる。そうすることで解消しようとする。 自分はそういうとき一人になることが必要なタイプ。 我々の間にそういう違いはあるなと思う。 自分はもしかしたら、自分で自分を満たせるようになってきたということかもしれない。 パートナーさんと自分のスタイルは違うところもある。 でも「大事なことは先にする」のが良いから自分の日課は後回しにしてパートナーさんと一緒に過ごしたら良い。 自分の「一人になる」は日課を進めて

        • パートナーさんとのお金観。食い違うとしてもお互いに一理ある。

          パートナーさんはやっぱりお金の話にピリッとアンテナを張っているのだなと思う。 自分が「庭に〇〇をつくりたい」と話した時も「お金はどうするんですか」との返し。 もちろん自分の切り出し方も無神経だった気もする。 自分は最近はお金はなんだか何とかなる気がしているのと、不安になったらどこまでも不安を大きく出来るから考えないようにしているところがある。 貯金はいくらあっても十分とは言えないから、必要以上に貯蓄ばかり見て大事なことの身動きがとれなくなるのが嫌だなと思う。 でも自分だっ

        友人の家に滞在中。みんなで一緒に眠るって良い。

        • よく言う「手放す」というのは「離れる」だけじゃなく「距離感を調整」することも入るのだろう。

        • パートナーさんとの違いはあれど、大事なものを間違えず、大事なものを先にする。

        • パートナーさんとのお金観。食い違うとしてもお互いに一理ある。

          お昼寝できる働き方が最高。生きやすくなったのは自分の基準を見つけたから。

          眠たい時には眠れる暮らし方が良い。 今朝も早く目が覚めた。夏が近づくとこうなる。 そんなとき無理に布団にいることはなくて、目が覚めたなら起きれば良い。 眠たくなったら寝れば良い。 だからお昼寝できる働き方が最高。 自己紹介をしたり最近していることを話したりするとき、自分が言うのは暮らし方のことで良い。 仕事の中身でなくて良い。 それは今の自分には重要ではない。 生きやすくなったのは自分の基準を見つけたから。 それは流行りの投資とか収益化とか起業ではなかった。 自分なり

          お昼寝できる働き方が最高。生きやすくなったのは自分の基準を見つけたから。

          仕事とは「自分の中の優先順位を奪いやすい」もの。善意によって苦しくなる。

          仕事とは「気になる」ものなんだよなと思う。 早く片付けたい。連絡が来ているかもしれないと思うと朝すぐにメールやslackを確認したくなる。 だから仕事というのは「自分の中の優先順位を奪いやすい」もので、そう気をつけておかないと、どんどん自分が無くなっていく。 自分が今やっている仕事のように返信対応やスケジュール調整など時間で区切りにくい内容の場合は特にそうなりやすい。 さらに責任感が強いタイプだと特にそうなりやすい。 善意でやっていて、それ自体は良いことで、だから自分や人

          仕事とは「自分の中の優先順位を奪いやすい」もの。善意によって苦しくなる。

          自分から仕事=収入を減らす。そして働きやすさとやる気を保つ。

          仕事を減らしてみた。退職ではなく業務量を、そして収入を減らす形で。 具体的な一つの変化として出席する会議が減った。 出席するべき会議が減ったというのは、自分が注力すべきところが狭まったということだ。 こうやって「契約や業務の範疇をシャープに狭めることで働きやすくする、やる気を保つ」方法もあるのだな、と思った。 良い距離感になるよう調整できたということなのだろう。 今までの働き方は、ある種「なんでもアリ」で「どこまでやるのか、いつ終わるのか見えない」形だった。 例えば実家で

          自分から仕事=収入を減らす。そして働きやすさとやる気を保つ。

          今の自分がするべきは慌ただしさの中で焦りに巻き込まれずペースを守る練習。

          各所のスケジュール調整。仕事のもろもろ。 色々と慌ただしい感じがある。 でもこれは「その慌ただしさの中で焦りに巻き込まれずペースを守る」練習なのだろう。 一緒に焦るのは簡単。その時に落ち着きを保ったり要点を押さえたりすること。 頑張ろうとすると自分を焦らせる方向にもなる。 以前の仕事ではこれが上手くできなくて、上手くできるようになりたいと思ったことを練習するチャンスがいま来たと言える。 今の自分がするべき「頑張り方」は、同じ熱さでガンガン進むことではなく、自分なりのペー

          今の自分がするべきは慌ただしさの中で焦りに巻き込まれずペースを守る練習。

          お金は今でもよく分からない。

          SNSを追うことはほとんどしなくなったけれどDMが届いているか確認する時にポストがいくつか目に入る。 最近だと有名スポーツ選手の年収がものすごく高額な話とか。 スポーツ選手というのは何故そんなに高給なのだろうか。 人間の限界に挑戦するとか稀少性ゆえだろうか。 それは否定することでも無いけれど、世界の問題を何とかしようとしている団体や良いお店といった人たちが資金難で苦しんでいる話を思い出すと不思議なことだなと思う。 複利だとか投資や資産運用の話もまだよく分からない。 何も

          お金は今でもよく分からない。

          「必ずやるもの」「日課」と繋げて自分にとって良い形をつくる。

          毎日の日記を書くついでのこのnote投稿がもうすぐ半年になる。 日記という「自分が必ずやるもの」を載せるだけだからほぼ負担がない。 やっぱり「必ずやるもの」「日課」と繋げるのは有機的な繋がりが生まれやすい良い方法。 暮らしの中の色々なことが意味をもって繋がって流れる。トータルの形ができている。それが大事。 自分の関心は「環境配慮」だとか「災害時にも強いサバイバル力」にもあって、普通に暮らすことでそれらも叶う形にしていきたい。 ーーーーーーー お読みいただきありがとうご

          「必ずやるもの」「日課」と繋げて自分にとって良い形をつくる。

          穏やかで幸せな普通の一日。暮らしの実験もしてみた。こういうので良い。

          今日はしとしと静かな雨。 コーヒーを淹れて良い本を読む。ゆっくり穏やかで幸せな時間。 パーマカルチャーの本を読んで、我が家のコンポストには炭素分が足りないのかもしれない、と思う。近所の落ち葉を拾って入れてみた。 こういう暮らしの実験は楽しい。 穏やかで幸せな普通の一日。こういうので良いと思う。 ーーーーーーー お読みいただきありがとうございます。 毎日の日記の中から一部を抜き出して、こちらに載せています。 明るい考えも暗い気分も、毎日なにかあって、日々とはすごいも

          穏やかで幸せな普通の一日。暮らしの実験もしてみた。こういうので良い。

          我々の家事分担がうまくいっているとしたら「相手がやらないなら自分がやる」実行しているから。

          僕らの暮らしはうまくいっていると思う。 自分が仕事のときはパートナーさんがご飯を用意してくれて、パートナーさんが休んでいる時に自分が掃除をすることが多い。 我々の家事分担がうまくいっているとしたら「相手がやらないなら自分がやる」を言葉だけじゃなくお互いが実行しているからな気がする。 暮らしの上で必要なら自分一人でもやるつもりでいて、だからこそ相手がやってくれたなら素直に助かる。プラスしかない。 「気付いた方がやる」のはそういう意識の上でないとうまく機能しない気がする。

          我々の家事分担がうまくいっているとしたら「相手がやらないなら自分がやる」実行しているから。

          頭をボーっとさせられる。その状態が良いなと思える。静かにstillな自分に留まっていられる場所。

          今日は(アラームに起こされるのではなく)起きるまで寝た。やっぱりこれは健康に良い。 シンク周りの掃除を済ませていつものパン屋さんへ。 窓から見える緑が風に揺れて穏やかだ。 頭をボーっとさせられる。その状態が良いなと思える。 静かにstillな自分に留まっていられる場所。 普段なら色々なことを終わらせてから自分の時間をとる、という順番。 だけれど今日のように、先に済ませてからでなくても良い。それもまた良さがある。 今日はパン屋さんに行くことを最優先して良かった。 今日はまだ

          頭をボーっとさせられる。その状態が良いなと思える。静かにstillな自分に留まっていられる場所。

          何でも安く買おうとすることは実はお金の大事さを毀損しているのではないか。「お金は大事」と矛盾するのではないか。

          お金について考えている。 今回のテーマは、何をするにしても「安い方が良い」と思いやすいこと。 その時の「お金」とはどんなものになるのだろうということ。 安い方が良いのはお金を減らしたくないから。 無くしたくない、減らしたくないというのが「大事にしている」の中身。 でも安く買おうとすることは実はお金の大事さを毀損していて「お金は大事」という考えと奥底で矛盾するのではないだろうか。 そんなことを考えている。 ーーーーーーー お読みいただきありがとうございます。 毎日

          何でも安く買おうとすることは実はお金の大事さを毀損しているのではないか。「お金は大事」と矛盾するのではないか。

          ふつうの一日が十分に豊かなんだということ。

          帰り道に歩いていたら、ふとカレーの香りがしてきて食べたくなる。 その足でじゃがいもとバジルウインナーを買って、ベランダのローズマリーとパセリを混ぜて、カレー粉のジャーマンポテト。 それを食べてからお昼寝。 一日はこういうのが良い。こういう一日で良い。 ふつうの一日が十分に豊かなんだということ。 理想を目指して世界を変えようと頑張るのも良いけれど、それは怒りを呼んだり正しさの罠に陥りやすかったりする。否定の上に次が創られることになる。 でも今だって十分に良いじゃないかと思う

          ふつうの一日が十分に豊かなんだということ。

          イスを作って思うこと。指先でその変化を感じられる面白さ。毎日つかうからこそ激しくないのが良い。

          今日はイスをつくってきた。 何度もやすりをかけ、指先で確かめる。肌触りのその変化を手で感じるのは面白かった。 一度なめらかになっても水で濡らすと毛羽立って、それをまたやすりで整える。そのくり返し。 何度もやっていくと驚くほどにしっとりとする。 自分の指先でその変化を感じられる面白さ。 絵画や音楽など芸術と呼ばれるものは喜びや悲しみといった感情の極致を表すから人の心に届くことが多い。 けれどカトラリーやイスのように毎日つかう道具がそれでは重たすぎることがある。 日々の暮ら

          イスを作って思うこと。指先でその変化を感じられる面白さ。毎日つかうからこそ激しくないのが良い。