残された、ただ一つの証拠。

前回の話。私は無事「マイ大辞林」を手に入れ、中学生ぶりに紙の辞書を引いた。そして、これから毎日辞書を引き、その言葉にまつわるエッセイを書くことを宣言した。


なので早速、今回からはじめていく。
ちなみに特にルールはひかない。適当に辞書を引いて、最初に目に入った言葉を選び、それにまつわる話をする。正直「この言葉では書けぬ」と思ったらひっそり言葉を変えてもよしとする。(たまにならね。)
内容も、今の話でも過去の話でも未来の話でも良い。書くことがなければ空想や嘘だってよしとする。(たまにならね。)
プレッシャーを与えず、書きたいことをここに置いていく。書く人も、読んでくれる人も心は軽く。そんな感覚で。

たまに良いことを言うかもしれないし、泣ける話があるかもしれないし、真剣な話があるかもしれない。
でも、本当にアホだな〜と思わず笑ってしまうくだらない話もきっと多い。(というか、多分ほとんどはそう。)

たまたま通りかかって私の文章を読んだ人の心が、
ほっとして、接しやすくて、あったかくなるようなそんな文章をぶれずに書き続けたいと思う。
では、記念すべき第1回目。何卒お付き合いください。



第1回 「残された、ただ一つの証拠。」


突然だが、私とオナラは縁が深い。
弱冠27歳にして、すでにオナラにまつわるすべらない話のストックが実は3つある。幼少期、思春期、大人になってからとバリエーションも豊富だ。正直、いつまっちゃんに呼ばれても大丈夫である。

小さい頃からお腹が弱かった。ご飯を食べるとすぐに右下腹が痛くなり、私を連れて外食すると道中必ず腹痛を起こすと家族も嘆いていた。加えて胃も弱く、これは大人になった現在もだが、常に胃薬を何種類か持ち歩いている。緊張しても胃が痛いし、ストレスでも胃が痛いし、とにかく私の腹部は実写版「山根」なのだ。
ちなみに性格は実写版「まる子」で、見た目は実写版「冬田さん」なので、まぁまぁ愛せないキャラクターである。

そんな私の「実写版山根腹部」はガスが溜まりやすいことでもお馴染みだった。とにかくオナラの製造が異常に早い。次から次に製造し、排出しようとする働き者だ。そんなこともあり、私の家のルールは少しゆるく「家族の前でオナラをしてしまってもOK。ただし声かけはする」だった。なので、たとえお茶の間でそういったことをしまったとしても「失礼。」といえば問題なかった。

特にどのようなタイミングで製造と排出が活性化するかと言うと、やはり食後だ。食後と言う条件に運動という要素が加わると「実写版山根腹部」に勤務する製造工場の皆さんはさらに活気付く。そのため、5・6時間目の体育は人知れず緊張していた。「人知れずこそ、思ひそめしか」と恋の歌を読んだ壬生忠見よりも遥かに、人知れずオナラのことを考えていたにちがいない。

そんな幼少期を過ごした私の住んでいた区は、とある温泉地に保養所を持っていて、区民は安く泊まることのできる宿があった。幼い頃からいつも2つの宿を家族旅行に利用しており、よく行ったものだった。

すべらない話のストックの1つが誕生したのは、そのいつもの宿で過ごした、小学5年生の時の家族旅行だった。
その宿には子供向けのプレイルームのような大きな部屋があり、部屋の半分は卓球場になっている。私には3つ上の兄がおり、仲も良くよく一緒に遊んでいたので、その日も夕飯後卓球に行くことになっていた。
夕飯。卓球。すでに雲行きが怪しい。

温泉を出て夕飯を食べ、いざ卓球場へ向かう母・兄・私。
少し遅い時間だったからだろうか、卓球場は貸切状態だった。
貸切状態だったことにもテンションが上がり、兄と私の卓球対決はかなり白熱していた。疲れると母と交代し、審判を務めたりした。当時私は「マッチポイント」を誤って覚えており、かなりデカい声で「マッッチポオオオン!!!!」と叫んでいた。兄はそれが衝撃的に面白かったらしく、壊れた笑い袋のようになって床に転げていた。

この後、もっとしんどい笑いの渦に飲まれることも知らずに。

勘のいいガキの皆さんはもうお分りだと思うが、
夕飯後に激しい運動を、しかも他人の目がない状態のハイテンションで実施している私の「実写版山根腹部」はもう限界だ。製造工場はかつてない勢いでオナラ製造を進めている。
しかし、どうしたものか。不思議なもので、出ないときはとことん出ないのだ。私の緊張感やオナラに向ける意識も、もはや全くなくなっており忘れ去られていた。

そして、再度兄と白熱した戦いを繰り広げていたその時、事件は起きたのだ。
福原愛ちゃんもびっくりの「サー!」という掛け声を恥ずかしげもなく出しながら、渾身のスマッシュを決めようとしたその瞬間、私の目には卓球場の入り口に入ってくる別の家族の姿が映った。貸切状態だった卓球場に、他の宿泊客が来たのだ。

そして次の瞬間、私の腹も心も揺るがす、ある衝撃の事実と共に


「ボファァァァァァァァ!!!!」


オナラが出た。

まるで白ひげが「ワンピースは存在する!」と言った時の観衆のざわめきかと思うほどの音量の、後にも先にもない至高のオナラだった。

私の腹と心にそれほどの衝撃を与えた理由。
それは、スマッシュを打つ瞬間私の目に映ったその家族、それは何を隠そう私の担任の先生とその家族だったのだ。
旅行先に担任の先生がいるというだけでも理解が及ばないのに加え、
福原愛ちゃんばりに「サー!」と叫び、ものすごくハイテンションでスマッシュを決めようとしている自分を、担任の先生に見られた。しかも、その旦那さんと、同い年くらいであろう大人しそうな娘さんにも。
そう理解した瞬間、私の「恥ずかしい」という感情を全て排出するかのように、ガスが排出されたのだ。「実写版山根腹部」で順調にこさえられていた、あのガスが。

一瞬、まるで世界の時間が止まったかのように思えたが、
当時児童会の会長を務め「しっかり者」としての揺るぎないプライドを持って小学5年生を全うしていた私はすぐに平静を保ち直した。ここが区の保養所であり、先生もまた同じ区民であることを思い出し、流れるように状況を理解。笑顔で先生とそのご家族に挨拶をした。そう、何事もなかったかのように。

もちろん相手も大人だ。何事もなかったかのように、挨拶を交わす。
数秒前ここで起きた最高に面白い事件は、まるでなかったかのように穏やかな時間が流れた。

ただ一つの。
その事件が確かにここで起きたことを証明する、ただ一つの証拠を残して。


そう、それは、広い卓球場に響き渡る
壊れた笑い袋のように床に転げて笑う、兄の笑い声だった。



辞書引きエッセー 第1回「残された、ただ一つの証拠」
引いた言葉:たっきゅう【卓球】(一四八六項)
ーーネットを張ったテーブルをはさんで競技者が相対し、ラケットでセルロイド製のボールを打ち合い得点を競う競技。ピンポン。







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