27歳、中学生ぶりに辞書を引く。

新型コロナウィルスに罹患した。
最初に言っておくが、この文章は長くなる。


もはや「よくかからずにここまで過ごせてきたな」と思ってしまうほどに流行してしまった感染症だが、はて。コロナはいつから日本でも流行し始めたんだっけ。何年目のコロナ渦というやつなんだっけ。そんなこともすぐに思い出せないほど、前のことに感じてしまう。まるで記念日をないがしろにし始めるアラサーカップルだ。

あまりにタイトルと関連性のない書き出しで始まってしまったが、実はしっかりと関係がある。療養中、幸い私は症状も軽くネットサーフィンをする元気があり、外に出れない間にふつふつと湧き上がっていた物欲を解消すべくメルカリの波に乗っていた。そこで出会ってしまったのだ。


1988年11月3日発行の三省堂「大辞林」初版の一刷に。890円で。


私は別に辞書マニアなどではない。家には漫画はあれど辞書は一冊もない。
だから正直これがこの値段で買えることがすごいことなのか、珍しいことなのかも分からないし、なんならもっと安くブックオフに売っているやもしれぬ。(もしそうなら、心の中で「あんたバカね・・・」と言ってやってくれ。)

ただ、なんとなくロマンを感じてしまったのだ。私より6年先に生まれた最初の「大辞林」。1959年から構想されていたという最初の「大辞林」。
そういえば、大辞林も広辞苑も広告の仕事をしていた父が持っていたけれど自分で買ったことはなかった。「マイ大辞林」イイじゃん。久しぶりに辞書引くの、イイじゃん。コロナから無事復活し受け取り体制が整った私は、満を辞して購入ボタンを押したのだ。

購入してから使い道を考えた。今の私の仕事は本に関わる仕事をしてはいるが、特に編集や校閲でもなく主に販売だ。辞書は要らない。というか、前者のような仕事だとしても紙の辞書は不要だろう。ましてや1988年版。困った。しかも思っていた以上にでけぇ。大人になると、昔使っていた物が小さく感じるとうエモーショナルな体験は幾度となくしてきたが、まさか昔使っていたものを「思っていたよりでけぇ。」と感じる日が来るとは・・・。と、大辞林のでかさに圧倒されつつも、使い道を日々考えた。どうしよう。

そんなこんなで湯船で思いつきたどり着いたのが、これ。やっと本題です。
毎日マイ大辞林を引いて、引いた言葉にまつわる日記を書こうと思う。日記というか雑記。
今日の出来事でもいいし、過去の出来事でもいいし、未来の話でもいいし、空想の話でもいいし、嘘でもいい。なんでもいいから文章にする。そう決めた。とはいえ話を創るのはべらぼうに苦手なので、現実の話、エッセー的な感じになるだろうな。

そうしようと決めた背景にも、実はこう見えていろんな理由があって、意味もある。でもそれを今語り出すと「あんた喋りすぎよ。」と注意されてしまいそうなので、それはおいおい書いていきたいと思う。
しかし日本人はやはり湯船で何かを思いつくことが多い。本能から風呂を愛してんだろうな。(入る前はあんなに面倒くさいのに、入ると極楽だから不思議だよ。)


まだまだ若造とはいえ、若造なりに結構、人生の嬉しいも楽しいも悲しいも辛いも経験してきた。
その道中で溜め込んできたいろ〜んなものを、ここにおいていきたい。

好きなものは映画・漫画・お笑い・ラジオ・洋服・相撲。
27歳(もうすぐ28歳)の東京住みのしがないOL、
中学生ぶりに辞書を引く。


つーことで。今日から「辞書引きエッセー」始めます。













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