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出来損ないの30代女性

私は自分を不器用だと思っている。

容姿も能力も秀でていないし
体も心も強い方ではないし
プレッシャーに弱いし
要領も良くはないと思っている。

 
私にはカリスマ性はない。絶対的な意見やこだわりはない。
力がないのだ。

だから私は幼い頃から
人生の先輩であり、絶対的に自分の味方である家族の意見や
先生の指示に従い
参考にしてきたのだし
仲が良い友達や適応力の強い友達の真似をしたり、そばにいた。

 
 
その上で、努力をしてきた。

情報を集め、どうすれば目標達成できるか
普通になれるか
普通に近づけるか
周りから置いていかれないか
私は必死だったのだと思う。

周りがアッサリできることが、私はできないタイプだった。
容姿に恵まれない女子に生まれた私は、無条件にチヤホヤされるタイプではない。

 
そんな私に父親は「勉強を頑張ったり、自分の良さを伸ばしなさい。」とよく言っていた。
父親から見た私は、父の幼い頃に似ていたのだろう。

 
 
父は学生時代にいじめられていた。

身長は低く、体も弱く
運動神経が悪ければ、目も悪い。
小学生男子でこの条件なら、パッとはしなかっただろう。

「お父さんは、のび太だった。」

そんな風に言っていた。
父は勉強をひたすらに頑張り、弱い人に寄り添える教員になった。
恩師に救われた父は、小さい頃から教員に憧れたのだ。

 
だから父は私に、自分を重ねたのだと思う。

 
 
とにかく私は、チームプレイやグループワークが苦手だった。
顔色や誰かの気持ちばかりが気になった。

私がでしゃばると、●●ちゃんは嫌な思いするよなぁ……
とか
○○ちゃんにも役割をふろう………
とか
誰が何をどこまでやればいいのか分からないスタイルが苦手だった。
役割分担がないことが苦手だったとも言える。

 
やって怒られるのも、やらなくて怒られることも避けたかった。
だけど、役割分担が決まっていない集団行動は
何らかの揉め事や不満が派生しやすいように感じた。

 
 
私は臨機応変力が弱い代わりに、計画を立てることが大得意だった。
それが私の強みだとも思う。

事前に情報収集し、それをまとめ、目標達成のために何をしたらいいかの筋道を立て
1個1個実践していくのが得意だった。

   
 
人の良さや苦手分野を把握し、人間関係や相性を考慮することも比較的得意だった。
私は友達から悩みや人間関係を相談されることが多かった。

グループワークの際、その人の得意分野の役割を任せ
座席などを考慮し
みんなで上手くいくにはどうしたらいいかを考えていた。

亀裂を放っておくと、人間関係はあっという間に崩れてしまう。

 
 
昔から私は、影の女だと思っていた。

縁の下の力持ちというか、誰かの補佐で輝くタイプだと思っていた。
太陽と月でいったら、月タイプといっていい。
自分一人では光れないタイプなのだ。

 
目立ちたくない。
ヒッソリしていたい。
ルールには従いたい。

 
そんな私の気持ちとは裏腹に
小学生時代から、私は学級委員に任命されやすかった。
中学生時代は部長と委員長にもなった。
大学時代はサークル幹事を担った。
新卒で入った事業部では、入職して半年で、新規事業二箇所主任を任された。

 
なんでみんなは、そんなに私に期待するのだろう?
私にリーダーの素質はないのに。
みんなをまとめるカリスマ性や明るさはないのに。
「真面目だから選んだ。」と言われたが
真面目というのはリーダーに向いているという理由にはならないのに。

 
リーダーはやりたくない。なりたくない。誰かに従いたい。
そんな私の意思とは裏腹に
何故かいつも、私は誰かしらにリーダーを命じられた。
命令は、立場上、私一人の「やりたくない。」という気持ちでは覆えらず
それに【従う】しかなかった。
 
 
 
今は転職活動中で、私は給料は多少低くてもいいから、下っ端として一からやり直したかった。
経験年数や資格があるとは言っても、職場には職場のルールややり方がある。
私はどこに行っても、新人でしかない。
経験者が使えるかどうかなんて、その場所にいってみないと分からない。

 
退職前の有給休暇中、前職と同じ、某障害者施設を見学に行った。
私はオープニングスタッフの募集に興味があり、系列の施設を事前に見学させてもらったのだ。
HPや資料ではいくらでもいいことが書ける。いいことしか書かない。
自分の目で見て決めることが一番だ。

  
「真咲さん、経験者で資格たくさんあるね。考え方もしっかりしているし、うちでこのまま雇いたいくらいだよ。僕の右腕にならないか?」

 
私と大して年の差がない施設長に、私は見学段階で気に入られた。
その後、本部と面接があった。

 
本部「実はね、ともかさんが希望した場所は職員決まっちゃったんだ。ただ、私としてはともかさんにはもっと上を目指してほしい。

実は求人はまだ出していないけど、新しく作る別場所(障害児福祉施設)の施設長をやってくれないか?給料は弾むよ。」

 
初めての転職活動だった私は、退職理由を聞かれると思ったり、様々な質問があるだろうと、自分なりに受け答えの準備をしてきた。

だけど、私が想定したことは何も聞かれなかった。
施設が欲しかったのは、経験者と資格者だった。

 
 
その施設は、障害者と障害児の部門があり、私はどちらで働いても構わなかった。
ただ、私は施設長になりたかったわけではない。

給料は、以前の職場の2倍。
県内福祉職で一番高いかもしれない。

 
私が希望していた施設より、私が施設長をやる予定の施設は自宅から近かった。
距離的にもありがたいと言えば、ありがたい。

 
私「ただ、私は障害児の分野は初めてなので、最初から管理者をやる自信がありません。」

 
本部「真咲さん、大学で心理学専攻してるから、未経験でも申請すれば管理者の資格取得できるんだよ。」

 
私「可能であれば、障害児施設も見学させてもらえませんか?」

 
 
私は障害児施設の見学をした。
私が施設長をやる予定の場所はまだ準備中なので、すでに行っている系列の施設に行った。

「ここで働きませんか?」

私はまたしてもアッサリ言われた。
福祉業界はよほど人手不足なのだろう。

 
 
本部「改めて、真咲さんは管理者をやるべきだと思う。サポートはしますから。」

 
私は面接担当の本部からなおも押された。
私は憂鬱になった。

 
現場で働きたいのに、管理者をやれという。
どの事業を希望しても、管理者としてしか採用しないという。

私は管理者をやりたくないのに。
転職先なんて勝手が分からない場所で、新たな場所で、新規スタッフをまとめながら
小難しい書類作成なんて
冗談じゃない。

 
私は新卒で新規事業主任をやっていたから分かる。
新規事業立ち上げは非常に大変だし
施設長クラスは書類作成がひたすらにある。
法律改正や運営関係はめちゃくちゃややこしい。

 
無理だ。
私にはできない。
転職先で畑違い分野で管理者は荷が重い。

 
私はそう心から思った。

 
 
「給料2倍ならいいじゃん!」

「本部がサポートするって言ってるんでしょ?」

「ともかなら、前の施設で色々やっていたし、できるよ!」

「前のブラック施設なんて忘れなよ!」

 
 
私はそれらの言葉に、更に下を向いた。 

私は給料はそんなにほしくない。それだけ給料が高いのは、それだけ仕事がハードだという証じゃないか。
面接担当の方もお金をちらつかせて、私に管理者をススメてきた。お金で釣れると思っているあたりが、福祉に関わる人として私は信頼できない。

 
本部はサポートをすると言っているだけで、口約束なんか信用するものか。
基本的に上手くいかないことは主任や施設長が責任とらされるのが定石だ。
本部は敷地内にないし、「施設長の采配で真咲さん流にやっていいから。」とも言っているから
私がある程度好き勝手にやっていい分、責任もとらされるんだ。
オープンしたての施設は利用者集めも大変だし、地図を見ると同業施設が近い。
利用者集められなかったら、私が責められるんだ。
スタッフをまとめられなかったら、私が責められるんだ。

 
忘れろって言われても、好きで辞めたわけじゃないのに。私は骨を埋める覚悟だったのに。
忘れられないから苦労しているのに。

忘れられなくて仕方ないのに。

 
 
私は期限ギリギリまで悩み、内定を蹴った。
大体、私は思い立ったら吉日だ。
返事に迷っている段階で、私の中では断る方向に傾いている。

いかに断るか、を考えているだけだ。
断ることを先延ばしにし、断る理由や判断材料を集めて、確固たる意思にしたいだけだ。

 
 
 
退職したての頃、元職場関係者から連絡をもらうたびに、私は揺れた。

退職を後悔したことはないが、「あのまま働きたかった。」「みんなのそばにいたい。会いたい。」「生きる意味がない。」とは感じていた。

 
やりたいことが見つかって退職したわけではないし
元職場を過去と割り切ることもできなかった。
実際、春に内定をもらった施設で障害者を見た時
嫌でも記憶はフラッシュバックした。

私のかわいいかわいい担当利用者達。
優しい同僚。
楽しかった仕事。
やり残した書類や行事。

 
忘れたくても、忘れられなかった。  

 
私は心が落ち着かないと、転職は厳しいと思った。

 
 
失業保険をもらい、じっくりと転職活動をすることにした。

ありがたいことに、去年台風や大雨被害があったせいで(我が家は被害はなかったが)
失業保険は早めに支給され
コロナウィルスの影響で金額は上がり、支給期間は延長になった。 

貯金はあるし、退職金も思ったより多く
しかも実家暮らしだし、畑もやっている。

 
私は失業保険をもらいつつ
家事を手伝い、散歩や読書や断捨離をし
求人を探したり見て
時折畑作業を行い
日々を緩やかに過ごしていた。

  
退職届を出してから、安定剤さえ飲めば眠れる時間は増えた。
でも朝まで熟睡はできなかったし
薬は手放せないままだった。

 
 
私は心も体も弱い。
だから、自信がなかった。

今から大きな新たな仕事をしたら、いよいよ心が崩れて壊れそうで怖かった。

気が紛れるというのはあるだろうし
やってみたら楽しいというのはあるだろうが
所詮転職だ。
環境や仕事に慣れるまでは気を張るし、頭は使うし
オンオフの切り替えをしたくても
コロナウィルスにより、自粛や制限ラッシュだ。
オフで休息や楽しみを探すのは
今は厳しいかもしれない。
そんな気持ちもあった。

 
 
実家から通える範囲で、気になる仕事はいくつか見つけたが
資格の面で引っ掛かり、応募ができなかった。

  
 
福祉の合同面接に現場職員希望として行けば

「管理者がいなくて…」
「今度、新事業立ち上げるから管理者になってほしい。」

と、すぐに話があった。

 
 
施設見学に行った場所は、利用者や職員の雰囲気がとてもよかったし、大手だったが
一年で異動と自宅から通えない範囲の異動が採用条件だった。

家を継ぐ立場の私は実家を出る気がなかったし
一年単位の異動に魅力を感じなかった。

 
 
 
退職してから、たくさんの求人を見た。

施設に足を運んだり、面接を受けたり、公務員採用試験も受けたが(落ちたが)
私は完全に心が迷子になっていた。

 
何の仕事がやりたくて、自分に向いているのか分からなかった。

早く次に行きたいのに
福祉職はたくさんあるのに
資格はたくさんあるのに
実際声はかかるのに
私はピンと来なかった。

 
今年、失業者があふれ、バイトもできず、倒産も相次ぐ中
これだけ福祉の仕事があり
声がかかるのは恵まれているし
ありがたいと思う。

そう思うほどに
その期待に応えられない自分や
早く仕事を決められない自分が
社会不適合者で
情けない娘としか思えず
社会にも家族にも申し訳なくて

 
なんで生きているのだろう……
なんで生まれてきてしまったのだろう………
なんで私が生き残って
今日も誰かが命を落とすのだろう……………

 
と、落ち込んだ。

 
 
そんなこと、誰かに口にしても仕方ないし 
前向きに頑張らなきゃいけないし
早く仕事を見つけなきゃいけないしと
強がれば強がるほど
誰かの悪気ない、さり気ない一言一言が
私にはグサグサと突き刺さった。

 
「実家暮らしだから恵まれてるじゃん。」

「毎日楽しそうでいいよね。私は大変だよ。」

「今、無職なだけですぐに仕事決まるよ。」

「家族仲がよくていいよね。家族は選べないもん。仕事なくても家族仲良ければいいじゃん。」

「貯金あるんだし、お金には困らないでしょ?」

「今はフリーだから、恋愛し放題じゃん。」

 
【自由でいいね。】
【好きなものや楽しいことばかりでいいね。】

 
 
羨ましい?
ねぇ、羨ましいの?

無職独身彼氏なしなんて、未来に何の保障もない私の何がそんなに羨ましいの?

 
私は私でしかないから
こんな風にしか生きられないから
やるしかないから、やっているだけだよ。

必死にもがいてもがいて
なるべく前向きに考えなきゃって
ささやかな喜びを集めなきゃって
心折れそうだから
そう心折れそうだから

ただ、私なりに頑張っているだけなのに。

 
 
実家暮らしは確かに気楽だよ。

ただ、近所にはバレバレなんだよ。
30代女性が何ヶ月も無職だし
未だに結婚もできなくて
世間体悪いよ。

  
【20代で結婚して子どもを生んで、家を継ぐ】
【仕事を結婚しても続ける】

私と親が望む、私の思い描いていた未来が
全く叶っていないで
心苦しいよ。

 
転職活動しても上手くいかないし
婚活しても上手くいかないし
気楽かもしれないけど
楽しくはないよ。

 
私だって、私なりに自分の人生と向き合って
戦っているのに……。

 
 
春に退職したての頃
緊急事態宣言や感染者増加で
私は人との関わりに飢えていた。

仕事をしていた頃は毎日何十人もの人と話したり、関わっていたのに
そんな生活をしていたのに
コンビニの人としか話さない日があったり
コンビニの人とさえ話せることが嬉しくなってしまったあの頃。

  
友達や家族と話せることが嬉しかった。

 
 
 
だけど、徐々に徐々に
私は人と関わることが怖くなっていった。

私も友達も余裕がないのは分かるし
私の言動でも友達を傷つけることはあるだろう。

 
傷つけたり、傷つきたくなかった。

 
私は正論や綺麗事を言いそうな友達や余裕がない友達や私をやたらと羨ましがる友達とは距離を置いた。

関わると、お互いにダメになると思った。
今は時間と距離と余裕が必要だと思ったのだ。

 
 
 
 
そんな中、私はある人にこんなことを言われた。

「ともかちゃんは管理者やりたくないんじゃないんだよ。自分でそういう道を引き寄せてるんだよ。なんだかんだ言って、やりたいんだよ。

面接担当者が管理者採用したいって言っている。ともかちゃんの周りの友達や家族が管理者向いているって言っている。

やりたくない、できないって言っているのは、ともかちゃんだけだよ。やってみればいいじゃん?与えられたチャンスをなんでやらないの?」

 
「仕事だけじゃなくて、恋愛もそうだよ。ともかちゃんが引き寄せているんだよ。だから同じ失敗をするんだよ。

これがやだ、あれがやだって、人や職を選んでいる振りして、いい条件を選んでいるように見せて、自分が受け入れられないものも自分で引き寄せているんだよ。」

 
「自分がやりたい!こうなりたい!って思ったら、自然に道は開けるし、人を呼びよせるんだよ!!だから今は自分が選んだ結果なんだよ。

自分の人生なんだよ?親の希望通りに生きる必要はないんだよ?自分の幸せを考えなよ。

なんで本音を言わないの?本当はどうしたいの?

 
なんで黙って泣いてるの?その涙の意味は何なの?」

 
 
 
分かっている。

 
悪いのはみんな私だって分かっている。

 
退職を最終的に決めたのは私。
退職するような流れになったのは、私の働きぶりに落ち度があったから。
私に力がないから、施設にいらないとみなされた。

私がいなくなっても施設は潰れない。
私がいなくなっても呼び戻されない。

 
私は必要ない人間。
私はいらない人間。

 
利用者にとっても職員にとっても施設にとっても
私にとってさえ
施設で10年以上働いたのは
過去で思い出で
もうやり直せないのだ。

 
どんなに懐かしく思っても
どんなに会いたくても
どんなに大切に思っていても
時間は常に進んでいる。
戻れない。

私は帰る場所も居場所もなくしたのだ。

 
 
恋愛だってそうだ。

私がもっと魅力的な女性だったら
人として器が広かったなら
私に見る目があったなら
今には決して繋がらないだろう。

  
自分なりに頑張って生きてきた。
婚約破棄の後、婚活もやってきた。

でも、無理だった。
私に力がないからだ。

 
 
なんでだろう。

両親は素晴らしいのに
家族仲は良いのに
姉は結婚して子どもが産めたのに
どうして私はこんなに出来損ないなのだろう。

 
私には足りないものが多すぎる。

社会適合できない。
かといって恋愛も上手くいかない。

 
大学の教授が「選択肢に迷った時にいいところを天秤にかけて選ぶと失敗する。

選択肢に迷った時は、それぞれを選んだ時にどんなデメリットがあるかを考え、自分が受け入れられるデメリットの方の選択を選びなさい。」と言った。

 
 
私は自分の人生に悔いは一つもない。

いつだって自分がやりたいようにやってきた。
自分で決断してきた。

  
趣味はまだしも 
人や仕事や責任が絡む時は
70パーセント以上の成功率と私がみなすことじゃないと
私は手を出さなかった。

 
人生は何が起きるか分からない。
準備しても想定して動いてもなお
何らかの予想外の展開が起きる。

人生はそう甘くはない。

  
 
「自分で自分の首をしめちゃっているんだよ。正直になりなよ。やってみたことがないことをやりなよ。やってみたら楽しいよ。

自分に嘘吐いていると幸せになれないよ。」

 
 
正論や綺麗事やその人の経験論や成功論を聞けば聞くほど
私は自分が人間失格だと思った。

悪気がないのは分かるし
励ましたかったり、背中を押したかったのも分かるが
私の欲しい言葉ではなかった。

私はどんどん無口になって、涙が止まらなくなった。

 
 
 
自分に正直になっていいのなら、私は死にたいよ。

次にいきたいんじゃない。
もう休みたい。
もう疲れたんだ。

生きるしかないから
生きる理由を探して生き延びているに過ぎないよ。
死にたいだけで
自殺したいわけではないのだから。

 
 
 
ねぇ、こんな本音を言って、ありのまま受け入れてくれる?
励ましたり、否定したりしない?
私の話を聞いて寄り添ってくれる?

 
生きているだけでいい

って許してくれるの?

 
 
 
言われたって困るだけでしょ?

みんなが求める私は、【頑張り屋で楽しく明るく前向きな私】でしょ?
【悩みを聞いてくれる私】でしょ?
【仕事や恋愛を諦めない私】でしょ?

 
 
だから私は真咲ともかになった。
ネットでなら、こういうことが書けるから。

リアルで友達や家族にこんなこと
赤裸々に言えないし
言うわけにもいかないじゃないか。

 
死なない限り、生きるしか道はないのだから。


 




 










 
  


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