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ヤケド事件と看護師について

私が3~4歳くらいの頃だろうか。
私のおぼろげな記憶である。

 
あの時は昼間で、祖母と台所にいた。
祖母は私に背を向けて、まな板で何かを切っていた。
トントントン…と乱れのないリズムが響く。
コンロには鍋があり、湯気が出ている。
換気扇がカラカラと回っている。

 
 
もうすぐお昼だった。
私はお腹が空いていた。
ふと、テーブルの上に目をやると、カップラーメンがあった。
食べる時に蓋を開けることを私は理解していた。
大人がしている姿を見ていたからだ。
私は椅子によじ登り、カップラーメンに手を伸ばした。
触ったら思ったより熱かったのだろうか。
その辺の記憶はないが
カップラーメンに手を伸ばして触った後

カップラーメンは真っ逆さまになり、私の腹部に向かって落下した。

 
バシャッ!

「うわぁぁぁぁあん!」

 
私の腹部から足にかけて、熱湯や麺や具がかかった。
カップラーメンの落下した音と泣き声に気づいて祖母が振り向き
慌てて私に駆け寄る。

 
両親が共働きであった為、私が怪我をする時は大抵祖母がいる。
祖母は大変だったと思う。

 
泣きじゃくる私を祖母はお風呂場に連れて行き、とにかくシャワーで水をかけていたと思う。
「ごめんなぁ。大丈夫かぁ。」なんて祖母が言いながら
ひたすらに水をかけていたと思う。
そして、何かしら塗り薬を塗ったのだと思う。

 
近隣に看護師の親戚が住んでいたので、祖母は電話をし
どのような処置が適切か指示をあおいでいたとも思う。

 
私の体には何も痕が残ることはなく
ただ痛い思いをしただけに過ぎなかった。
ホッと一安心だ。 
 

 
 
幼い頃にひどい目にあった私は
それ以来ヤケドには敏感だったと思うし
祖母もまた過保護になった。

 
私はなかなか料理をさせてもらえなかった。
「ヤケドをしちゃう。」と祖母の心配は止まらない。
お互いにあの日の出来事は衝撃だったのだ。
ただ、あの日をきっかけにカップラーメンがトラウマ……にはならなかった。
普通に今でもカップラーメンが好きである。

 
 
 
 
その後、人生でヤケドに直面したのは、私が社会人一年目の頃である。
まだ福祉施設に入社して一ヶ月にも満たない、ピカピカの一年生であった。

 
その日は地域のお祭りの日で、私の職場はそこに出店をしていた。
毎年焼きそば屋をやりながら、コーヒーとジュース販売をやることが定番だったらしく
職員は販売担当と支援担当に別れる。
私は支援担当であった。

 
その日は朝から土砂降りで、お祭りは中止かもしれないというレベルの雨だったが
ずぶ濡れになりながら会場に着くと
やがて雨は上がった。
どころか、カンカン照りになった。
暑い。
濡れた服が乾くのはいいが、夏並に暑かった。

 
 
 
その日は忘れもしない14連勤の最終日で
仕事とはなんて辛いのだろうと早々と洗礼を受けていた。
振替休日など、もちろん、ない。

 
焼きそばも飲み物も見事完売し、利用者支援も大きな問題はなく一日を終えた。
私含め正職員で模擬店を片付けることになり
私達は施設でゴミの分別等をしたりしていた。
コーヒー用の巨大なポットを運ばなければならず、私はそれを両手で持った。
主任は「私がそれを運ぶからいいわ。」と言い
私はその言葉に甘えて別の物を運ぼうとした。

その瞬間である。

 
「あつっ!!!」

 
ポットの隙間から熱湯が主任の腕に直撃した。
蓋がよくしまっていなかったようだ。
主任は慌てて手を冷やし
「私のことはいいから、他の片付けをしなさい。」と私に命じた。
私はオロオロするだけで何もできなかった。

 
 
そのうち、施設長がアロエを片手に走ってきた。

「ヤケドにはアロエが効くのよ。」

と言っていて
私はアロエがヤケドに効くことや、施設長の家にアロエがあることや、一般家庭にアロエがあることを
この時初めて聞いた。

 
 
水で冷やしてもアロエを使ってもどうにもならず
主任はそのまま通院となり、手には痕が残った。

 
怪我やヤケドはほんの一瞬の出来事だ。
健康はありがたいものだとつくづく感じた。

 

 

 
 
 

……………………………………………………………………………… 
 
  
これは、昨日の朝のことだ。

昨日はいつもと同じ朝だった。
いつも通り5時に起きて、7時から朝ドラを見ながら朝ご飯を食べていた時のことだ。

 
朝ご飯を食べていたら、急に心臓がバクバクし、吐き気がひどくなった。
朝ご飯を食べるのを止めた。
普段と同じようなメニューだし、消化によいものだ。
まだそんなに量を食べていなかった。

私「ごめん…なんか気持ち悪くなって食べられないや。」 

両親「大丈夫か?」

私「うん……。」

 
まだ、この時は会話ができていた。
まだ大丈夫であった。
だが、どんどん悪化し、私は無言で横に寝転がった。
基本的に私は自室以外で横に寝転がらない。
寝転がる時は体調が悪い時のみである。

 
 
この時、心臓はバクバクし、激しい気持ち悪さと吐き気に襲われ、頭が割れるように痛かった。
顔は真っ青だったらしい。

両親「救急車か!?」

私「いや…大丈夫。意識あるし、話せるし、大丈夫だよ…。」

 
 
だが、どんどん悪化していった。
震えと寒気も止まらない。
だが、熱はない。 

なんだ?
熱中症?貧血?脱水?
なんだこれは?

 
最高気温30度の中、私は震え続け、毛布にくるまりながらガタガタした。
母親は仕事に出掛けた。
父親はオロオロし、救急車を呼ぶと言ったが、私は拒否をした。
だが、こんな体の感覚は初めてだった。
私も何が何だか分からない。  
そこで私は閃いた。

「……お父さん、救急車呼ぶ前にAさんに電話して。症状を話してほしい。」

 
父は急いでAさんに電話した。
うちの近所に住む、看護師の親戚である。
Aさんは旦那さんと共に我が家にかけつけてくれた。

  
この時が一番、体調の悪さがピークである。
水分摂取も立ち上がることもままならない。

 
A「ともか、どうした。」

 
私「朝ご飯食べてたら急に気持ち悪くなって…頭が痛い……寒くて震えが止まらない。今、生理中だから貧血かな?とも思ったんだけど、いつもと違う…。」

 
A「薬はいつ何飲んだ?」

 
私「いつも○○飲んでて、今朝は▲▲と××飲んだ。」

 
A「▲▲と××は合わせて飲んで大丈夫?」

 
私「医者から許可は出てる。」

 
A「脈拍はかるから腕見せて。……脈は正常だ。」

 
 
Aさんと話して私は段々と落ち着いていった。
動けない私のために
その場にある物を避けたり、運んだりし
療養スペースをテキパキと作った。
昨日は土曜日のため、Aさんは早急に通院か救急車を提案したが
なんせ私は立ち上がることもままならない。
だが、脈は正常で意識はある。
私は救急車を拒んだ。

 
その後、Aさんの対処がよかったらしく、体調はそれ以上悪化はしなかった。

A「これから熱が上がると思う。熱が上がったら、○○して、●●して……」

 
父に何やら指示を出しているが、朦朧としてきた。
Aさんの話通り、私の熱は37.3度まで上がった。
私は人生で37度以上の熱は5回も出たことがない。
やはりこれはただごとではなかった。

 
Aさんに看てもらい、話を聞き、心が安定したのだろう。
私はようやくホッとした。

私「お忙しいところ、わざわざすみません……。」

 
A「具合が悪くなったらいつでも呼びな。それくらいしか役立てないんだから。」  

 
 
あぁ、かっこいいなぁと思った。
私含め家族に何かがあった時、祖父母が倒れた時も
こうしていつも駆けつけてくれたのはAさんだ。
いつもいつも助けてもらっている。

 
 
Aさんは私の容態が落ち着いたので一旦帰宅し、その後も父に私の様子を尋ねてくれたらしかった。

   
 
  
私は毛布にくるまりながらガタガタ震え、熱が出てきた辺りで逆にようやく水分摂取ができるようになり
トイレまで歩けるようになった。

 
私はスマホ大好き人間だが、電源を切り
夕方を過ぎるまでイジることもできなかった。

 
お昼も食べられなかった。
ポカリと水だけで十分
というより
その摂取さえ、やっこらだった。

 
 
 
夜にはようやく起き上がれた。

Twitterを見た人から心配され、DMやLINEを個別に送ってくれた人もいて
みんなのあたたかさを感じた。

夜はおかゆを食べられた。
熱は夜には下がっていた。
本当は今日、楽しみにしていた予定があったが
泣く泣くキャンセルした。
やむを得ない。

 
 
以前、仕事をしていた時も看護師さんの存在はありがたかった。
私の職場は最初看護師さんがいなかったので、現場職員である私達正職員が
しばらくなんちゃって医療処置を行っていたが
餅は餅屋である。
看護師さんが入職してからの働きは素晴らしかったし、心強かった。
私は個人的に病気や怪我の相談もよくしていた。
看護師さんのことを絶大的に信頼していたからだ。

 
昨日は改めて看護師さんの偉大さを感じた。
その場が病院ではなくても
何かがあった時にテキパキと指示し
動けるその姿はかっこよく、心強かった。

 
あぁそうだ。
私はナイチンゲールに感動し、家族に何かがあった時に駆けつけるAさんの活躍を見て
昔、看護師になりたかったんだよな
と、ふと思い出した。
私にとって看護師さんはなんといってもかっこいい。
だけど私が血や内蔵を見るのが苦手だし、五教科で理科が一番苦手だから
福祉職に切り替えたんだっけな。

 
そんなことを思った。

 
 

かつて「欲を言えば、結婚相手は公務員がいいなぁ。」だった私は、やがて「結婚相手で一番いいのは看護師さんじゃないか!?」と友達に力説するようになった。

夜勤があり(四六時中一緒より、少し物理的距離がほしい)
転勤がなく(私は本家を継ぐ立場なのでありがたい)
給料も安定し(イメージ)
国家資格で食いっぱぐれがなく、就職先はたくさんある。
看護師さんの男性は優しそうだし(イメージ)
私はしょっちゅう具合が悪くなりやすいが、そんな私の様子もキチンと看てくれそう。

 
障がい施設で働いているというと
婚活でウケは悪かったが
看護師さんなら、そういった偏見はなさそう(イメージ)。

 
私はそんな風に看護師さんに夢を膨らまし
「看護師さんの独身男性、誰か知らない?」と友人にせっついていた時期があった。
私の周りは看護師の友達が多かった。

 
だけど婚活においてもプライベートにおいても
看護師さん(男性)には全く出会えず
私は今に至る。

 

 
「体調大丈夫?何かあったらすぐ駆けつけるから遠慮しないで連絡して。」

看護師の友達から連絡が入る。
なんてありがたいのだろう。

 
 
家族や身近な人が怪我をしたり、具合が悪くなっても
知識が足りないと
案外オロオロしてしまって、適切な対応ができなかったりする。

そんな時に駆けつけてくれる看護師さんは
いつだって私にとって絶対的なヒーローだった。

 
独身彼氏なし無職の30代。 

私はないものばかりの人生だけど
具合が悪くなったら心配してくれる家族がいて
駆けつけてくれる看護師の友達や親戚がいる。

 
なんて恵まれていて、ありがたい人生だろうか。




  
 
 


 

 

 

 



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