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ねこ喫茶で君を見つけた

私は猫が好きである。
猫に対して盲目的で激甘な信者といってもいい。

 
あのつぶらな瞳も
ピンと立った耳の形も
モコモコふさふさとした毛並みも
しなやかなシッポも
一匹一匹異なる毛色も
ニャーという鳴き声も
私から見たら全てがパーフェクトだった。

 
甘えん坊でも人見知りでも
性格はなんでも構わない。
子猫だろうが年配猫だろうが
猫ならなんでも構わない。

 
猫というだけで
その存在は全てが光に満ちている。

 
 
我が家は猫を飼ってはいけない。
両親から反対されているからだ。
ところが、隣の家では猫を大量に飼っていた。
塀をひょいひょい跳び越えて
我が家の庭にはよく猫が遊びに来ていた。

もしかしたら猫好きの原点はそこかもしれない。

小さい頃から猫が好きだった。
一番好きな動物は猫で揺るぎなかった。

 
 
 
猫好きな私は、猫のモチーフの洋服やハンカチ等を好む小学生になった。
クラスの女の子は猫を飼っていて
私は猫目当てによく友達の家へと行った。 

 
あぁかわいい…
なんてかわいいんでしょう……

 
猫を見るとハァハァした。
そのヤバさを察して、猫は決して私に慣れなかったし
むしろ避けられた。

 
だけど私はめげなかった。
同じ空間に猫がいるだけで幸せだった。
素っ気なくされるのがまたかわいかった。
私ごときになびかない猫はいちいちかわいかったのである。

 
 
 
当時、好きな人は猫を三匹飼っていた。
彼の家に遊びに行ったことはなかったが
私は彼の家の猫の名前を全て覚えており
見た目と名前も一致させていた。

割とガチで私はキモい。

好きな人の好きな音楽を聴き、好きな芸能人をチェックし、好きな人に似た芸能人さえチェックするといった具合に
私は好きな人の情報を集め、知り尽くしていた。
好きな人にどうしたら好いてもらえるのかとか
そんなことまでは頭になかった。

 
 
私の仲がよかった子が彼の家の近くに住んでいたので
私はよく友達の家に遊びに行った。
友達の部屋の窓から、好きな人の家が見えたので
よく眺めていた。

割と本気で気持ち悪い小学生だった。

友達の家に集合し、近所で遊べば
彼の家の猫によく遭遇した。
塀の上にいた彼の家の猫に話しかけると
「ふぎゃ!」とすごい形相で怒られた。
私はビックリして尻餅をついた。
彼の猫は忠義心があるのだろう。
飼い主にまとまわりつく私の気持ち悪さに気づいたのだ。
それくらい、あの日の猫の怒りっぷりはおかしかった。

 

  
中学校時代の親友も猫を飼っていたので
ひたすらに親友の家へ遊びに行った。
よく鳴く猫だった。
私の知っている猫の中で一番鳴く猫だった。
私はハァハァしながら愛でた。

あぁかわいい。
猫様、マジかわいい。

私は猫の前ではプライドも何もない変質者だった。
そんな私を見た親友のお母さんがズバリと
「ともかちゃんは吉本興業入った方がいい。」と言った。
のちに人生で何度か周りから吉本芸人の道をすすめられるが
私に真っ先に言ったのは親友のお母さんだった。

 
猫と戯れる様が吉本芸人っぽいのは
いいんだか悪いんだか分からない。

 
 
高校を卒業し、大学に入学すると
大学の親友が猫を飼っていたので、やはり私は遊びに行った。
毛並みが立派な、厳かな猫だった。
やはり私はハァハァした。
本当に猫ならなんでもよいのである。

 
 
やがてできた初彼の家でも猫を飼っていて
私はよく写真を送ってもらった。
かわいい顔をしていた。
生理により、ホルモンバランスが崩れると
私は泣いて嫉妬した。

「猫ばっかり彼氏のそばにいられてズルいよ~!私より猫のがかわいいし、猫がいれば満足でしょう?」

私は猫になりたかった。
初彼は遠恋だったから、いつも彼のそばにいられる飼い猫が羨ましかった。
ベッドに潜り込む飼い猫が羨ましかった。

彼氏は笑っていた。
ともかはバカだなぁ猫にも嫉妬してバカだなぁと笑い続け
私は「猫になりたい」を歌った。
スピッツの名曲であり、私の長年のメール着信音である。

 
 
本当にたまたまなんだろうが、私が付き合う人は猫好きな方が多く

猫が好き・猫を飼っていた・猫を飼っている

のいづれかだった。
だからよく、道端で猫を見かけては立ち止まって
ニャゴニャゴ遊んだり
写真を撮ったり
そんなことをよくやった。

 
 
私が20代の頃、ねこ喫茶ができた。
確かメイド喫茶の後にできたんだと思う。
当時は○○喫茶というものが次から次へと誕生した時代だった。

 
動物園に猫はいない。
猫と戯れることはできない。

そんな私にねこ喫茶誕生は朗報だった。
確か女友達とも行ったし、デートでもねこ喫茶に行ったんだと思う。

 
 
ねこ喫茶には、猫がたくさんいた。
こんなにたくさんの猫を一度に見るのは初めてだった。
楽園か天国があるならば、こんなところなのだろう。

 
ねこ喫茶は何かしらを注文しなきゃいけないし、30分だか一時間だかでチャージ料が派生する。
ねこ喫茶のねこは人に慣れていて
触ったり愛でたりがしやすかった。
アドレナリンが一気に出た気がする。
私はハァハァしながら猫に近づき
ハァハァしながら猫を眺めてニヤニヤした。

猫の立場から見れば
姿形が違う、自分より大きな生き物がハァハァしながら自分を触ったり、写真撮ったり、抱きしめたりしてくるのだから
恐怖心は強かろう。
そりゃあ避けたくもなる。

 
それは分かっていた。
分かっていても、私は止められなかった。
猫のかわいさは正義でしかなかった。

 
 
 
 
私はやがて社会人になり、福祉施設職員になった。
職員は利用者を送迎する業務がある。

 
入職して数年後、利用者Aさんが契約し、施設を利用することになった。 
初送迎をした職員が事務室で、「Aさんちの猫がとてもかわいい。」と言った。
私は食いついた。
噂によると、どの職員にもAさんちの猫は懐くらしく、愛嬌があるらしい。
犬派の職員さえ骨抜きにされていた。

ず、ずるい…
私も愛でたい………愛でたいぞ!

 
ある日、私もついにAさんちの送迎の日がやってきた。
内心ハァハァしていた。
人懐っこい猫なんて最高じゃないか。

 
他の職員からすでに聞いていたが、その猫は送迎車の音に反応し
玄関そばに待機していた。
Aさんを車から降ろすタイミングで運転手の足元をまとわりつき
「ニャア!ニャア!」と鳴いて甘えた。

 
か、かわいすぎるんですけど……!

 
ご家族が忙しい時は猫の面倒も頼まれていたので
「んもー☆私は福祉職員なんだから、猫の世話は仕事外だぞぉ☆」なんて思いながら
内心は

グヘヘヘ…ラッキー☆

だった。

 
その猫は小さくて、抱きしめるとフワッと軽くて
抱きしめてもニャーニャー鳴いてかわいかった。
フォーリンラブである。
送迎ルートの関係でAさんは一番最後におろしていたので、朝はともかく夕方は多少時間のゆとりがあった。
私はシメシメ……と猫を愛でつつ、Aさんに別れを告げた。

 
私は送迎の業務はレギュラーの時期もあれば、ピンチヒッターで職員誰かが休んだ時のみ派生もあった。
だからAさんちに行ける日は朝からテンションが上がった。

 
 
2018年。
送迎で、新たなルートも担当することになった。
その利用者Bさんの家では犬と猫2匹を飼っていて
私はやはりハァハァした。

私はダントツ猫派だが
猫派だったのに
Bさんちの犬が好みすぎてたまらなかったのだ。
毛並みのいいその犬は
送迎車に反応して吠えた。

「迎えに来たよ。」
「帰ってきたよ。」

と、ご家族に知らせていたのだ。

 
 
気難しい犬らしいが
送迎車や運転手にはよく慣れていた。
猫2匹は人見知りで
会えたらラッキーだった。
私がハァハァしているのに気づいたご家族は
私に犬や猫と戯れる時間を与えてくださった。

 
ご家族の方は施設のやり方や主任の言動に思うことがあり
よく私に話をしてくれた。
信頼されていると思うと嬉しかった。
私はBさんのご家族の話を上に上げたが、分かってもらえず
2020年に退職の運びとなった。

 
 
 
たまたま、退職日夕方はAさんとBさんを送迎した。

私がBさん宅で退職の旨を、玄関で父親に伝えると

 
「ともかさんが辞める!?おいちょっと、お母さん、大変だ!ともかさんが辞めるってよ!」

 
と、大慌てで母親を呼びに行き、ご両親が私に頭を下げた。今までお世話になりました、と。

 
「ともかさん、何があった……何もなきゃあなたが辞めるわけないだろう?一斉退職か?
なんでだよ、施設にともかさんがいなきゃ終わりだろうが。」

 
私は言えなかった。
何があったかなんて、立場上言えなかった。

 
 
「施設のお偉いさんはよ、代わりの職員はたくさんいるって思って、今の職員を大事にしない。
親はよ、うちの子を大事に思ってくれて、慣れている職員に介護してもらいたいんだよ。
○○さんもよくしてくれたのに、辞めて………今度はともかさんか!?
どうなってるんだよ、あの施設は。何を考えてる!?」

 
私は何も言えなかった。
…言えなかったからこそ、保護者の人は察した。
私や仲間が不本意な辞め方であることを察した。
保護者の方は施設がどんな状況か、薄々察していた。

 
そんなやりとりをしている時、飼い犬と猫2匹が近くまでやってきた。
行儀よく並んで私をじっと見ていた。
人見知りする猫だ……自発的にこんなに近くまで来ない。
最後を察したのだろう。
私もBさんご家族も、その様子にビックリした。

 
「この子らも、お別れに来たんだ。
俺も母さんも息子も犬も猫も、うちの家族は全員ともかさんが大好きだった!
ともかさんが送迎に来る日が楽しみだった!
元気でな。新しい場所でも頑張ってください。もし新しい場所がダメならまた………いつでも戻ってきてください。」

 
私は頭を下げて、涙を拭いて、送迎車に乗り込んだ。
本当に私は…人に支えられ、恵まれてここまで来た。

 
 
 
 
何人か送迎し、最後はAさんちだ。
いつもと同じように飼い猫が私の足元でじゃれた。
これで最後だと思った。

「今までありがとう。元気でね。」

伝わったかどうか分からない。
こちらの飼い猫の様子はいつもと変わらない。

 
ただ、Aさんが施設を利用してもう何年も月日は過ぎ、飼い猫はだいぶ年老いた。
利用者曰く、あまり調子は良くないらしい。
抱きしめた感触が、出会った頃とだいぶ変わっていた。

時間の流れを感じた。
出会いがあれば必ず、別れがある。

 
 
 
 
2020年3月31日。
私は約12年関わった施設を退職した。

 
 
 
 
 
 
 
8月末のことだ。

姉が甥とねこ喫茶に行った写真をLINEで送ってきた。
私はいつも東京のねこ喫茶に行っていたが
どうやら地元にもねこ喫茶があるらしい。

 
 
その時LINEをしていた知人に、姉がねこ喫茶に行った話をすると
「まだ行ったことがないから、行きたい。」と言われ
急遽ねこ喫茶に行くことが決まった。

 
色々調べたら、姉が行ったねこ喫茶より近場にねこ喫茶があると知り
別場所のねこ喫茶に行った。

 
ねこ喫茶に行くのは数年ぶりである。

 
 
ねこ喫茶にはたくさんの猫がいた。
お客さんも他に4人いた。
開店直後に行ったが、思ったよりもお客さんがいてビックリした。

 
荷物を猫にやられないようにケースに入れ
店員さんから猫が食べ物を狙うから気をつけるように言われ
素早く食べた。
私はクリームブリュレとウーロン茶を注文した。

 
確かに猫は食べ物に反応し
色々な方向からやってきた。
油断も隙もありゃしない。

 
頭上ではボスのようにどっしりした猫が寝ていたが
気が強い猫がケンカをしかけ
ボス?を追い払っていた。
ボスではなかったのかもしれない。

 
たくさんいる猫はマイペースに見えて
上下関係や猫同士の関係が露わになっていた。
どこの世界でも大変だと思った。

 
猫を撫でたり、写真を撮っていると
母親と来ていた5歳くらいの女の子が
私に話しかけた。

「この子は爪伸びてるよ。」とか
「エサ、よく食べてたよ。」だとか。

 
私は子どもの扱いが得意ではないが
どうやら懐かれたらしく
はたまたその子が人見知りしないタイプだったのか
私はねこ喫茶にいる間に
やたらとその子に話しかけられた。

 
私は複雑になった。
母親は私と同じくらいの年齢に見えた。

仕事もなく、結婚もしていなくて
赤の他人の子や猫と関わっている今が
自分が
ひどく滑稽に思えた。

 
私は世界に置いていかれている。

 
 
猫と遊んでいると
別の猫が私のスカートとカーディガンの間に入り込んだ。
また更に別の猫が私のスカート後ろから侵入し
更に更に別の猫が私のスカートの前側から侵入し
落ち着いていた。
 
 
今までにない体験だった。

スカートやカーディガンがヒラヒラしているからよいのだろうか。
隠れ場所にちょうどいいのだろうか。
気づけば私のスカート中や付近には猫三匹が入り
それぞれが干渉し合わない場所で
息を潜めていた。

 
 
お客さんが次から次へと入ったから
人間を避けているのもあるのだろうか。

ねこ喫茶は家族連れ、カップル、女同士、女の子一人…だけでなく
男子が一人で来ていたり、男子グループが来ていたりと 
気づけば大盛況だった。
コロナウィルスだろうとなんだろうと
ねこ喫茶がこんなに人気があるとは思わなかった。

 
 
 
私はその場から動けなくなった。
小さい猫が三匹も私の元で隠れているのだ。
動いたら申し訳ない気がした。

 
その猫を見ながら、私は自分を重ねた。

 
ねこ喫茶は広くて、一見自由なのに
こうして洋服の下に隠れて、顔だけ出して世界を見ている。
たくさん猫がいるのに、仲間がいるのに
どこにも属せなくて
ただじっとして動けないでいる。

 
 
私達は孤独だ。
どこにいても、何をしていても

例え今、笑っていても。

 
 
 
 

来客がすごいので、退店することにした。

ねこ喫茶を後にし、街中を歩いた。
高校時代に行ったマックやクレープ屋や他の店が潰れていた。
シャッターの場合もあれば、別の店に変わった場合もあった。

 
高校時代の制服姿の私が浮かんでは
弾けて消えた。

 
 
街は動いている。

私がいても、いなくても。
お店が閉まっても、別のお店になっても。

 
この世の中に
私が私でなきゃいけない理由なんてなくて
私がいてもいなくても世界は変わらなくて
私が今いなくなったとして
それがなんだというのだろう。

 
 
「ねこ喫茶、楽しかったね。ともかちゃんもめちゃくちゃ楽しんでたね。」

一緒に行った人が残酷に笑う。 
私の孤独なんて気づかない。
いや、気づかれなくていいんだ。

 
私は今すぐ消えてなくなりたいよ。

 
そんなこと言ったって
言われた方は困るだけだ。
困らせたくもないし、否定されたら不快だし
私は私を誤魔化すように
日々を何かで埋める。
忙しくしないと、楽しさや喜びを増やさないと
孤独に押しつぶされそうになる。

 
 
 
 
今朝、久々に職場の夢を見た。

主任の言うことを聞かない新人さんに、私は熱血指導をしていた。

「福祉の仕事は心が大事。ただ、こなせばいいってもんじゃないの!利用者や保護者には、そういう雑さは伝わるからね。」

 
そんなことを偉そうに言っていた。

 
 
何を言ってるんだか。
結局私の存在や仕事ぶりが認められないから
組織から追放されたようなものなのに。

 
ただ、仕事をこなせばよかったのか。
利用者や保護者に寄り添わず
上の言うことだけ大人しく聞いていれば
私は辞めずに済んだのか。
 
あぁでもダメだ。ダメだよ。
利用者の笑顔こそ、私の原動力だよ。
保護者の力にだってなりたかったんだよ。

 
自分に悔いはない。
悔いはないけど
じゃあこの生き方で
どうして私は利用者や仕事を守れなかったの?

 
 
 
私は分からない。

 
元の職場に戻りたいのか
福祉職を続投したいのか
いっそ福祉職を離れるべきなのか。

 
まだ答えは見つからない。

 
 
 
早く次にいかなきゃいけないのに
みんなと再会した時、みっともない姿なんて見せられないのに
今の私はかっこ悪くて情けない。

だから急にふと、死にたくてたまらなくなる。

 
 
 
生まれ変わったら、猫になりたい。
好きな人に可愛がられて甘やかされる猫になりたい。

 
その為にも今の人生で徳を積まなきゃな。

 

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