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障害がある利用者と近隣住民の関わり方について思ったこと

私は学校を卒業してから
障害者福祉施設に入職した。

 
入職してから知ったが
障害者福祉施設で働く職員の1/3くらいの方が
身内か身近に障害者か障害児がいた。

 
私の身内に障害者や障害児はいなかった。
身近にもいなかった。

それにも関わらず
障害者と関わる仕事を正職員で行う私は珍しい方だったらしい。

 
だからボランティアや実習で障害者と関わったものの
しっかりと長時間障害者と関わったのは
社会人になってからだと言える。

 
 
私は障害者施設で働くようになり
段差や砂利道や坂道がとにかく気になるようになった。

自力で車椅子走行できる方も
段差や砂利道や坂道ではお手上げだった。
無理に頑張って転倒することもしばしばだった。
 
ほんのちょっとした段差等が
車椅子の方や歩行器を使う方にとって
こんなにも通行を妨げるものだとは知らなかった。

車椅子を押す側は
グッと前輪を上げた。
段差や砂利道や坂道を車椅子で通ろうとするなら
容赦なく負荷がかかる。
手足に力を込めないと通れないし、汗はわき出る。

場合によっては車椅子から降りてもらい
利用者の方を職員が背負ったり
利用者の方とそろそろ歩くこともある。

 
大人の障害者は体重が50kg以上であり
身長も高い。
背負うのはなかなかに体力を使う。

背負わずにそろそろ歩いた場合は
移動に倍時間がかかる上
後から目的地や目的場所まで車椅子を運ぶ必要がある。

 
車椅子は25~30kgある。

車椅子を運ぶ場合は折り畳んで運ぶわけだが
こちらもなかなかに体力を使う。 

 
 
仕事中
私は車椅子の方にとってそこが自力で進める場所かどうかを意識するようになった。

そして
仕事休みの休日さえも
車椅子の方にとって過ごしやすいかどうかを意識して
街や世界を見るようになった。

  
社会人になってから見る街は
段差だらけに見えた。

 
何十年も前から福祉やバリアフリーを日本は意識しているし
新しい建物はなるほど確かにバリアフリーだ。

だが、全体的に見るとまだまだ車椅子の方に優しくなかった。

 
 
職場で利用者に

「どこに外出したい?」
「どんなことをしてみたい?」

と尋ねた時に

利用者は様々な場所や活動を提案する。

その場所を調べては
身障者用トイレがなくて落胆したり
段差があって断念したりした。

 
車椅子の方が一人くらいならば
選択肢は広がる。

だが、私の職場は車椅子の利用者の比率が高く
職員の数は十分とは言えなかった。

 
 
「海に行きたい。」
「サッカーをしたい。」

車椅子の方がそう言った時
私は非常に悔しかった。

浜辺の砂は車椅子と相性は最悪だし
車椅子バスケはあっても
車椅子サッカーはない。

 
「僕もみんなと走り回りたい。」
「どうして僕は車椅子なの?」

そう言われたり、聞かれた時も
私はなんとも言えない気持ちになった。

 
利用者の笑顔を増やしたい。
利用者が色々なことを挑戦できるよう
様々な提案をしたり
支援をしたい。
家ではなかなか難しい外出や活動を施設で行いたい。

 
そう思って福祉の世界に飛び込んだものの
環境の面や人手の面で
悔しい思いは何度もした。

当事者や当事者家族はこんなもどかしさを
私の何倍もしてきて
何年も何十年もしてきたかと思うと
切実に環境設備を夢見た。

 
バリアフリーな場所の中から利用者に外出先を選んでいただくのではなく
利用者が「行きたい。」と言った場所に気軽に行けるような
そんな街ならいいのにと私は思った。

 
 
その施設で10年働いた後
私の事業部は新しい施設に移転することになった。

以前活動拠点としていた施設は
施設とはいえ
段差やスロープにより
利用者によっては自力で入り口に行けない方もいた。

新しい施設は段差やスロープがなく
廊下も広く
車椅子の方が自力で進める環境が整っていた。

 
施設内の環境面という意味では恵まれていた。

 
だが
世の中とはそんなに簡単に上手くはいかない。

 
 
「送迎車のエンジン音がうるさい。」
「給食のにおいが臭い。」
「門扉の開け閉めの音がうるさい。」
「施設敷地内で作業するな。うるさい。」
「利用者の声がうるさい。」

移転先の施設は近隣住民の反対を押し切って建てられ
地域の方々に歓迎されない引っ越しだった。

 
苦情は様々な人から言われ
私達はひたすらに謝り、要求に従い、波風を立てないように過ごした。

 
共存とはほど遠い世界がそこにはあった。

 
引っ越しには億単位のお金が動いており
近隣住民と上手くいっていないからと言って
また引っ越すなんてできるはずがなかった。

 
「おはようございます。」
「こんにちは。」

近隣住民の方ににこやかに挨拶しても 
大人にも子どもにも無視されてしまう。

利用者に私は
「挨拶は基本だ。」と教えてきた。
担当利用者は重度だが
みんな見知らぬ方にも挨拶ができた。

 
なのに
私のような職員だけでなく
利用者も保護者も
近隣住民から無視をされ続けた。

 
  
「俺らが先に住んでいた場所に勝手に引っ越してきやがって。この障害者が!」

その言葉を言われた時
仕事帰りに悔しくて悔しくて涙を流した。

 
近隣住民との距離は一向に縮まらなかった。

要求を飲み込んでも
こちらから毎日挨拶をしても
様々な苦情が止まらなかった。

 
利用者に悪態は吐かれたくない。
利用者の生活は脅かされたくない。

私はいつもビクビクして
ヒヤヒヤしていた。

 
バリアフリーだ福祉だと世界が騒いでも
これが令和の日本の現実だった。

 
 
私はその施設を11年働いて退職した。

理由は様々にあるが
結局突きつめていくと
共存が難しいと感じる人間関係や環境を痛感したからだろう。

 
 
 
 
私はその後
別の障害者施設に転職した。

建物は古く小さく
ついこの前まで、引っ越したての新築の建物で働いていた私は
真逆の環境の職場になったと言える。

 
その建物には入り口に段差があった。

だけど台や手すりを用意することで
車椅子や歩行器の利用者も
職員が少し手助けすれば出入りできた。

古い建物だろうと
少しの工夫や少しの手助けさえあれば
段差はそんなに大きな問題ではなかった。

 
転職先の施設には職員がたくさんいた。
どの職員も経験者で穏やかな方だった。

前の職場では毎日トラブルや争いや誰かの怒鳴り声があったが
転職先では平和で穏やかな時が流れた。

 
前の職場の方が
建物の使い勝手はよく
バリアフリーだったと思うが
穏やかな時を過ごす為に必要なのは環境だけではないと
改めて感じざるを得ない。

 
 
 
転職先では、毎日近隣を利用者と散歩した。

「こんにちは。」

私は驚いた。
私から挨拶する前に近隣の方が挨拶するではないか。

 
「お庭のお花キレイですね。」 

その人に利用者は声をかけた。
顔見知りというわけではない。

 
「ありがとう。お花キレイって言ってもらえて嬉しいわ。」

近隣の方は笑顔で会話に応じた。

 
障害者とか健常者とか顔見知りとか関係なく
当たり前に会話をしたその瞬間は
私からはとても尊く感じた。

 
 
近隣の方は私達施設の人に好意的だった。

 
老若男女関係なく
私は利用者と散歩中に
様々な近隣住民の方に話しかけられた。
小学生もしっかり挨拶ができている。

散歩ですれ違う時に挨拶をするだけではなく
軽く雑談をすることもしばしばだった。

 
散歩中だけではなく
利用者がお店で買い物訓練をする時も
店員の方はとても優しかったし
ゆっくりと品物を選んだり
ゆっくりとお金をトレーに載せても
周りのお客様も優しく見守ってくれた。 

 
 
私は非常に驚いた。

 
通常、社会福祉法人の施設は
大通りから離れた
周りに民家がない場所に建てられている。

 
それは広大で安い土地に施設を建てたいという目的もあるだろうが
まだまだ
障害者が社会から受け入れられていないことも象徴しているだろう。

 
私が前に勤めていた施設は
設立から何十年も経つ施設であったが
近隣住民との交流は特になかった。
挨拶を交わすこともなかった。

やがてその施設の近くに移転したら
近隣住民から苦情が殺到したわけだが
大なり小なり
それが普通だと思っていた。

 
障害者や障害者施設は一般の方がすすんで関わりたがらなかったり
嫌悪感を示す人も一定数いる。

だから  
障害者と健常者は基本的には住み分けをし
障害者は家族もしくは施設を中心とした世界で
生きるしかないのだと思っていた。

 
だけど
そんな世界ばかりではないということを
私は今更ながらにして知った。 

おそらくだが
転職先の近隣住民は障害者だから優しいというわけではなく
近隣住民同士ですでに挨拶ができる間柄であり
その地域にある施設の私達も、近隣住民として認めてもらえているのだろう。

 
 
仕事で施設付近を散歩中、段差や坂道がある。

体重が90kg以上の車椅子の方を押すと
足は筋肉痛になり、汗は止まらない。

 
働く施設は変わっても
段差は至る所にあると再確認する。

だけどそんな私達に
近隣住民の方が「こんにちは。今日はお散歩日和ですね。」なんて声をかけてくれただけで
段差は大きな問題ではなくなる。

優しい気持ちで散歩を続けることができる。

 
 
 
例えば今から10年後
きっと世の中はもっと便利になって
段差はなくなり、様々な人にとって使いやすい過ごしやすい場所が今より増えるだろう。

今使い勝手が悪い場所も
少しの工夫を施し
様々な人が気軽に行けるように変わっていくと思う。

 
“車椅子の人でも海辺の散歩が楽しめる”

そんな未来ももしかしたらあるかもしれない。
東京など一部の大都市だけでなく
地方でも障害者が海を楽しめる時代が来るかもしれない。

 
環境面で、様々な方にとって
住みやすく過ごしやすい街にこれから更になっていったら
私はとても嬉しい。

健常者の誰しもがいつ障害者になるか分からないし
やがて老いて高齢者にもなるのだ。

 
誰かにとって優しい街は
他の誰かにとっても優しい街であってほしい。
誰かが我慢したり制限されるのではなく
ちょっとした工夫と思いやりで
共存ができたら素晴らしい。

 
 
見知らぬ人を警戒したり
恐怖心を持つことは
自分の生活や命を守るために必要なものだ。

性格も育ってきた環境もそれぞれ違い
近隣に住んでいるからといって
全員が全員仲良くなれるわけはない。

むしろ近隣に住んでいるからこそ
関係性が難しい場合もあるだろう。

 
 
だけど私が住んだり、働くならば
多様化を認められ
環境面で整備された街がいい。

そして近隣の方と挨拶をし合えるような
そんな優しい街がいい。 

 
















  




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