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出会いは高校だったが、学校を卒業してから仲良くなった人

彼女と初めて出会ったのは
高校二年生になり、クラス替えをした時だった。

サラサラな長い髪と手足が細く長い彼女は
かわいいというよりキレイ系だった。

 
名前は、私が今まで出会った人の中で一番芸名のようにかっこいい。

名字もかっこいいし、下の名前もかっこいいし
フルネームを漢字で書くと迫力があり過ぎる。
思わず筆と墨で書きたくなるくらい、素晴らしい名前だった。
なるべくなら、結婚をしてもこの名前を守り抜いてほしいくらいだと思ったし、本人にも伝えた。
(大人になって結婚した際、旦那様の名字になったのは少々残念だった。)

 
彼女Aさんと一番最初に話したのは、名前についてだったと思う。
私の名前は平々凡々で、どこにでもある名前だった。
実際、Google検索すると同姓同名が何人もいた。

名字はありふれているし、響きや字面を特別気に入ってもいなかった。
だから、唯一無二の彼女の名前にまず惹かれた。
彼女と同じ名前の人は、絶対にいないと確信するくらい
彼女は極めて珍しい名前だった。

 
Aは運動が得意だった。
運動全般得意で、特に側転が上手でキレイだった。
スラッとした彼女が繰り出す技の数々が美しく

「よっ!大車輪●●(Aの名字)!!」

と、私はよく言っていて
気づけばAのあだ名の一つが大車輪になった。
大車輪ができるわけではない。
あくまで側転ができるから、側転●●の方が正しかったのだろうが
運動全般得意なことや語感や字面から、大車輪●●と名づけた。

 
大車輪●●と名付け親ではあるものの、私はAとめちゃくちゃ仲が良かった訳ではない。
当時、私は三人グループに所属していて、Aは他のグループに所属していた。Aのいたグループも三人組だった。

基本はグループで行動したが、属性が近い4グループで仲が良かった。
私はそれぞれに仲が良い子がいた。
だからAのことは、【仲の良い隣グループの子】という印象だった。

 
私とAは一年生の時にクラスも違った為
お互いに他クラスにも仲の良い子がいた。

 
 
転機が訪れたのは、修学旅行である。

高校三年生になる前の春休み、私の学校は修学旅行があり、新幹線で移動となった。
新幹線の席は二人席である。
私の仲良しグループは三人組だし、隣グループも三人組である。

座席は自由(生徒が決めてよい)となっていたし
私は誰が隣でも構わないタイプ(そもそも、乗り物酔いしやすいので、隣の人に申し訳ないタイプ)なので
Aの隣になった。
Aも私と似たタイプだった。

 
 
修学旅行の三泊四日は、新幹線やバスや何やらで
それぞれに座席が事前に決まっていた。

私とAは誰が隣でも構わなかったが
優しいみんなは、みんな平等になるように座席を決めた。
例えば新幹線では私が別グループのAと隣になったが
バスでは私と同じグループの別の子が、他グループの子の隣になった。  

 
Aと話したり、遊びに行く時はいつも集団だった。
私はAが所属しているグループの他の二人との方が仲が良かった。

だから、新幹線の隣の席が誰でも構わない気持ちに嘘はなかったが
多少緊張したというのはあった。
Aと二人組でこんなに長く過ごすのは初めてだった。

 
私は持ち前の軽さで、「Aはスタイルいいから、大人になったらイブニングドレスを着てワインを飲んでそうなイメージ。」と話しかけた。
「ともかも身長あるからドレス似合うよ。ワインを飲む時は一緒に飲もうよ。」とAは返した。

この時はまさか、本当に大人になったら夜にワインを飲む仲になるとは思わなかった。
その時に二人とも、イブニングドレスは着ていなかったが。

 
新幹線移動は二時間位だったろうか。
Aはめちゃくちゃいい子で、話しやすかった。
Aと話している間は乗り物酔いもせず、時間はあっという間に過ぎた。

Aとグッと距離が縮まったのは、間違いなくこの日だった。

 
 
私はクラスで嫌いな子はいないし
学校行事が好きなので
仲良しグループや属性が似たグループみんなと同じ部屋での修学旅行は楽しみだった。
 
 
だが、そんな風に呑気なのは、私と他の一部だった。

 
学校で過ごすくらいならば問題はなかったが
三泊四日も集団で過ごすのは、人間関係で悩みを抱えた人には酷だったらしく

「実は私、●●ちゃん苦手なの…。修学旅行がしんどい。」 

と、複数人から内密に相談を受けた。
口頭でも言われたし、携帯電話持ち込み可だったので
携帯メールや電話で伝えてくる子もいた。

 
…私が思う以上に、女子の人間関係は実に複雑だった。

 
 
私は頭の中で整理をした。

●●ちゃんが○○さんが嫌いだが、○○さんはそれに気づいていなくて
▲▲ちゃんは△△ちゃんと犬猿の仲で
××ちゃんは○○さんと△△ちゃんが嫌い。

そうなると、次の自由行動時に苦手な子同士が一緒になるから
私が間に入るようにして
部屋で布団をひく時は私があの子の隣になるようにしよう。

 
私は頭の中をフル回転した。
私ならいける。
私なら、どのグループの子ともある程度仲がいいから
図々しい振りをして
誰が私に何を相談し、誰が誰を嫌いかをバレないようにし
トラブル発生しないようにもっていける。

何故か私はそんな謎の自信があったし
相談されたからには全力で応えたくもあった。
 
 
私は同じグループの子にも、誰から何を相談されたかは言わなかった。

表立ってケンカしている他グループがいたり
そのグループの子が修学旅行中に私達の部屋に泣きながら逃げてきたのが幸いした。

みんなの意識はそこに集中していた。

 
言えなかった。
私と同じグループのメンバーを苦手としている子もいるなんて言えなかった。
私が上手くやるしかなかった。

「ともかは人見知りしないし、みんなと仲良いよね。」

と、グループの子が笑う。

 
みんなは知らない。

人見知りしなく、仲がよい故
みんなが私を相談所にしていたことに。

   
 
高校のクラスは二年生と三年生持ち上がりだが
修学旅行が終わった後
女子グループは変化した。
修学旅行は大きなきっかけとなった。

そして、やがてAのグループも変化をした。
A以外の二人が険悪な関係になってしまったのだ。

 
Aが知らない間
私はその二人からそれぞれに相談を受けていた。
Aは同じグループのメンバー二人が険悪な関係だと
全く気づいていなかった。

「Aはいい子なの。Aには言えない。困らせたくない。」

二人とも各自私にそう言っていた。
確かに私が知る限り、Aは誰かに悪口を言われていなかった。
誰にも嫌われていなかった。

 
Aは皆に慕われていた。
いい子だった。
だが、なんせ鈍かった。

  
Aは周りの女子グループや自身のグループが崩壊した後にようやく
誰と誰の関係が悪かったかようやく気づいた。

 
A「ともかはみんな、知ってたの!?」

 
私「見ていて気づいたこともあったし、まぁなんとなく口ぶりから亀裂を感じたりはしていた。」

 
A「私は何も知らなかったよ。同じグループの中でさえ。みんな仲良いのかと思っていた。」


 
………女子の人間関係は難しい。

皆、平和に仲良くやっていきたいだけなのに
女子はグループを替えたり、メンバーを替え、場合によっては無所属になり
学校生活を乗り切ろうとしていた。

 
 
 
やがて、私達は高校を卒業をした。

 
 
 
 
 
高校を卒業してからも、高校の皆とは定期的に集まったり、個人的に会ってはいたが
Aとはしばらく会わなかった。

Aは連絡無精だし、サバサバしている。
集まりに誘っても不参加だったり
不参加だろうとみなされて誘われなかったりと
そういった期間がしばらく続いた。

 
お互いの進学先の大学が離れていたことも要因だった。

 
 
確か22歳くらいの時に、高校卒業して以来初めてAと再会した。
確か私が誕生日おめでとうメールか何かをして、久々に会わないかという話になったんだと思う。

A「え!?卒業以来、みんなとそんなに会ってるの!?」

 
私「まぁ、誘われたり、誘ったり。ちょこちょこ会ってる。ほら、私、彼氏と遠恋だから割と都合つくんだよ(笑)」

 
A「私も誘ってよ~!暇してるのにー。」

 
私「いやぁだって、○○とかに聞いたら、Aは忙しいとか、連絡つかないとか言っていたからさ。」

 
A「私、連絡無精だしね(;^_^Aでも遊びたくない訳じゃないんだよ~!遊びたいよー!」

 
私「んじゃ遊ぼうよ。なかなかみんなの都合つく日は少ないから、二人でも遊ぼうよ。」

 
 
そうして、私は高校卒業後しばらく会っていないし、連絡も年に片手で数えるほどだったAと
急速に仲良くなっていった。
通常は学生時代に仲が良かった子と段々と疎遠になるのが普通なのに
高校卒業後から数年後に仲良くなるとは
非常に珍しいケースだと思った。
いや、初めてだ。

 
Aと再会した時、お互いに彼氏がいたから恋バナをした。
高校時代、Aは恋愛に興味はなかったので、イケメンの彼氏がいる話を聞いた時はビックリした。本屋でナンパされたという。
さすが美人は恋の始まりからして違う。

 
Aはお洒落なカフェ巡りや旅行、女子力を高めるものや場所が好きで
私はAとカフェ巡りをしたり、旅行に行ったり、女子力を高める場所に行ったり、女子力を高めることをした。
Aが行きたがる場所は私が知らない場所ばかりで
Aにより、私は世界がどんどん広がっていった。
また、私が気になった場所や物事にもAは興味を示し
AはAで刺激的だったようだ。

お互いに恋人と毎日会いたい派ではなかったので
仕事をしつつ、恋人と会いつつも
私達はよく一緒に出掛けた。  

 
お互いの親友よりも、出掛ける回数が多い時期もあった。
私は高校時代の親友から「私よりAちゃんとのが最近仲が良いよね。」と妬かれる始末だった。

 
 
物事はタイミングなのだと思う。

お互いに会える時間が一緒で、興味を抱くものが一緒で、フットワークの軽さが一緒ならば
必然的に出掛ける回数が増える。

 
高校を卒業した今の私達だからこそ
タイミングや波長が合ったというのはあるだろう。

 
仲が良くても遠方だったり、多忙だったりすると、会う時間を確保するのは
近場の方より難しくなるのは否めない。

 
親友とだって小まめに会ったり、連絡を取り合ってはいたし
私にとってはAも親友も大切だった。
ただ、確かに出掛ける頻度で仲をはかろうとするなら
ヤキモチを焼くのも分からないでもなかった。

 
 
Aはポジティブだった。
前を未来を向ける人で、自分を肯定できる人だった。
そして、人の良さに気づいて褒める人でもあったし
サラッと指摘してくれる人でもあった。 

 
女子力を高めるカフェや旅行先で
美味しくお洒落なものを食べながら
Aと魅力向上の話をすると
私はいつもパワーを分けてもらえた。
一緒にいると楽しかった。

 
 
アラサーになると段々と高校時代の友達が結婚や出産を機に疎遠になっていったが
私はAと仲良くやっていた。

 
 
高校時代は想像もつかなかった。

高校時代にもっと仲の良い子はいたのに
私にもAにもいたのに
まさか大人になって、Aとこんなに仲良くなり
二人で遊びに行く仲になるとは思わなかった。

 
人の縁とは本当に不思議だった。

 
 
 
 
Aは数年前に結婚し、遠くに引っ越した。

引っ越しを機に、私はAと会う回数が激減した。
みんなと集まる日は、私が仕事の日だった為、私は不参加だったのだ。

 
Aはこの数年の間に二回引っ越しをしたし
転職もした為
バタバタとしていた。

 
 
お互いに落ち着いたら会おうと言っていたが
なかなか都合がつかず
ようやく都合がついたのは

 
2020年3月だった。

 
まだコロナがここまで深刻化していない時期に約束をしたのだ。 

 
 
数年ぶりの再会をとても楽しみにしていたが
緊急事態宣言を前に、私達はどうすることもできなかった。

 
私は会う予定だった日に、Aに電話をかけた。
Aと雑談をするために電話をするのは初めてだった。

お互いに近況報告をし
お互いに2020年3月いっぱいで仕事を退職することを打ち明けた。
私達は二人で驚いた。

 
A「ともか、仕事辞めるの!?あんなに仕事大好きだったのに!?」

 
私「Aの職場、事業全員同日辞表!?どんだけブラック企業なの、そこ…。」

 
私達は退職が決まっていても、笑い合えた。
Aはいつも未来を見ていて、私はそれに引っ張られた。
Aは退職した次の日から、新たな場所で働くことが決まっていた。
今まで働いた職種とは異なる仕事だ。

 
私「すごいなぁ。もう次の職場決めてるんだ。
私はとりあえず仕事は慌てて探さず、運動したり、読書したりして過ごすよ。」

 
A「ともかは11年働きっぱなしだから、休んだ方がいいよ。本当によく頑張った。私なんか転々としてるから尊敬しちゃうよ。」

 
私「私からしたら、転々とできるのが羨ましい。私は割り切るのが苦手で、過去をズルズル引きずっちゃうし、退職届を出したものの、心の整理はまだつかないしね。」

 
A「まぁ退職の経緯がまた違うからね。私は次へいくつもりで未練なく退職届出したけど、ともかは話聞いてると不本意な退職じゃない。
それは仕方ないよ。

たださ、ダイエットする必要なくない?運動はいいけど、食事制限し過ぎないようにね。ともかは自分に厳しすぎる時あるから。

頑張りすぎない、も大切だよ。やりすぎないように。」

 
私「いやいや、自分に甘いって(笑)入らなくなったけど、捨てられないジーパンが履けるようになりたい。食事制限はしたくないから運動強化して痩せたいのよ。

退職して太ったりしたら、だらしない印象持たれそうだしさ。先は分からないけど、いつも輝く私でありたい。」

 
 
Aとの初電話は、実に三時間に及んだ。

 
 
 
 
 
 
この前、久々にAから連絡が来た。
 


「最近の調子はどう?」と聞かれ
転職活動や婚活はまだ上手くいかないが、去年5kg痩せたことや最近詩や文章のコンテストで入賞したことを伝えた。

「すごい!」
「相変わらず頑張ってるね!!」
「転職活動や婚活は色々あったんだね……私がともかと同じ立場でも内定蹴ったし、お断りしたと思うよ。」

Aはそう、私を褒めたり、受け入れてくれた。

 
無職独身30代の私からしたら
仕事をして結婚している友達はキラキラして見えるけど
私は私でいいような気がした。

 
 
「ともかの話を聞くとね、私も頑張ろうって思うよ!」

  
Aはサラッとそう言った。
それは私の台詞だった。
Aに影響を受けて、今までどれだけ頑張れたか分からない。
いつでも未来を見つめ、未来のために選択できるAに私は憧れていた。

 
 
コロナが明けたら、Aに会いたい。 

その時にはいい報告ができるように
今は自分にできることを、頑張っていたい。




 





  



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