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骨が曲がっている

私の骨は曲がっている。
 
腰が曲がっているでも根性が曲がっているわけでもなく
私の骨が曲がっている。

背骨の一番下の骨が左方向に曲がっている。
だから腰痛の際、腰の左側が痛くなる。

 
 
 
  
生まれつき、骨が曲がっていたわけではない。
最初は至って普通の骨だった。

あれは事故だった。
いや、私の運動音痴故だった。

 
 
私が高校二年生の時だ。
当時、体育の時間にマット運動をしていた。

私は運動神経が鈍いが
その中でもマット運動が大の苦手で大嫌いだった。
基本的な初歩的な前転だけで気持ち悪くなる。
マットの独特の臭いも気持ち悪い。
クルクル回って何が楽しいのか分からない。
前転の次の段階の後転で早速つまずいた。

できないのである。

私の体は回転しきれず、半回転で止まってしまう。
体育の時間ではたくさんの生徒が列に並んで待機している。
皆と同じように後転ができなかった私は無理矢理体を横に倒し
1/2後転を繰り返して
やり直す振りをしてどんどん先に進んだ。
情けないし、恥ずかしいし、回転するほどに気持ち悪いしで最悪だ。
開脚前転はできた。
とにかく、後転は何回やってもできなかった。

 
 
そんな後転ができない運動音痴な私に
高校時代に恐ろしい課題が出された。

倒立前転

である。

 
 
意味が分からない。

 
 
日常生活で倒立前転が何の役に立つというのか。
なんだってこんなものの習得を目指し、テストなんかするのか。

まず、私は壁越しでも倒立はできない。
壁越しで倒立ができないのだから
マットの上でなんてできるわけがないのだ。

倒立をピシッと決めた後に前転だと!?

私は体操選手じゃないんだから。

 
 
………などと、内心思っても、テストが免除されるわけではない。
仕方なく私は倒立前転を練習した。
壁越しに倒立を練習し
マットの上でも倒立前転を試すことにした。

マットに壁はない。
ピシッと空中で動きが止まる倒立ができない私は
そのまま、ビタンッと体を打った。
練習する前から分かりきった答えだった。

 
 
ただ、この時に「ピキッ」と腰から音がしたのは予想外だった。

痛い。腰がズキズキする。

私は練習を中断し、放課後に通院した。

 
 
 
レントゲンを撮ると、背骨の最後の骨はキレイに左方向に曲がっていた。
列から1人、最後尾がズレている。

全治一ヶ月以上であり
クセがついた為、再発しやすい

という、ろくでもない診察結果であった。
これだから運動音痴が無理して運動するとろくなことがない。

 
 
それから私は体育は見学になり、マット運動もテストも免除された。
シメシメというやつである。
人生最後のマット運動は骨が曲がった為に免除され、私はこれを最後にマット運動と関わることはなくなった。

 
ただし、その代償として
私は電気治療と牽引のために通院を余儀なくされた。
実に三ヶ月である。
私は湿布を貼り、学校帰りに週の半分は通院となった。
全くもってろくなことがない。

 
 
その後、大学を卒業して専門学校に入学した際
体育の授業があった。
22歳の時である。
専門学校には体育館がなく、わざわざ市の体育館まで各自移動するという面倒くさいルールがあった。
私はクラスメートと上手くいっておらず
ただし免許を持っていて車で通学していたので
代表で車に乗せるハメになった。

それもこれも学校側で体育館に送るシステムがないのが悪い。

 
運転が得意ではないのに
仲良くないクラスメートを愛車に乗せなきゃいけない時間が
いちいち私を憂鬱にさせた。
仲良くないからこそ、運転を断ることもできないし
断ったりすると面倒くさいタイプだからこそ
私は仲良くなれなかったというのもある。

 
学校と体育館が離れている為
着替えて移動した際、時間に間に合わないかもしれないからと慌てた結果
私は階段から足を踏み外し
豪快に階段から落ちた。

 
足は擦りむき、青アザができ
更に腰がピキッと軋んだ。
嫌な予感がした。

 
「再発ですね。」

 
 
医師は無情にも私に告げた。
レントゲンでは見覚えのある骨の配置だった。
みんなが行儀良く並んでいるのに
最後の骨だけ、相変わらずズレている。

その骨は集団生活に馴染めない
私のように見えた。

 
私は再び三ヶ月間通院となった。
やはり一度腰がピキッとなってしまうと、治るまで三ヶ月かかってしまうらしい。

 
 
 
腰を大切にしなければと10代から早くも思っていた私は
慎重に生きていたつもりだった。
だが、二度あることは三度ある。

まさかの、23歳の時に、私は再発した。
治ってから一年で再発したのである。

 
その日、私はバイトでビールを販売していた。
ビール瓶は重い。
在庫チェックをしたり、お酒を運んだりした際
しっかり腰が入っていなかったのだろう。
ケースを持ち上げた瞬間に、聞き覚えのある「ピキッ」という音が聞こえた。

あ…………

 
と思った瞬間だ。

 
 
「再発ですね。」

 
医者から聞くまでもなく、結果は分かっていた。だからやるべきことも分かっていた。
また三ヶ月の通院だ。

ただ、この時私は内定をもらっていた施設で
週一回以上のボランティア活動をしていた。
ボランティア活動といっても
任意ではなく、採用条件である。

 
福祉職員はただでさえ、腰痛に悩まされる。
無理をしてはまずいと思った私は
素直に施設長に打ち明けて
多少、腰に響く業務は外された。

 
 
 
 
あれから10年以上が過ぎた。

仕事では自分より体の大きな人や重い人の介助をしたり
毎日一箱20kg以上の箱をたくさん手で運んだが
仕事中に再発することはなかった。

 
 
ただ、時折、数日間で治る腰痛ならあった。
その際、運転中に左足が痛んだ。

「足腰という言葉があるように、腰で無理をすると足も痛む。」

と、かつて医者から言われたが
なるほど確かに足腰がまとめて痛い。
 
 
  
私の腰の骨は曲がったままで
クセがつきやすいままで
だからいつも腰痛では左腰が痛むし
そうなると左足も痛い。

 
この腰痛とは一生付き合っていくのが
私の定めだ。

 
 
 
足腰は大切だ。
活動する時の軸になる。

腰を痛めるたびに、健康のありがたみを知る。

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