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餃子県で生まれ育った私

私が今住んでいる栃木県は
なんといっても餃子が有名である。
正確には、栃木県全域で有名なのではなく
宇都宮市が餃子を推している。

 
宇都宮駅には餃子像もあり
移動の際に割れた事件も県民にとっては話題だった。
宇都宮駅では餃子マップが配られ
駅付近のどこに餃子屋があるかが分かる。

宇都宮駅に行けば
駅ビルで餃子を食べられるだけでなく
ありとあらゆる餃子グッズを買うこともできる。

 
餃子好きには是非一度は来ていただきたい。 

 
「宇都宮市民は週一回餃子を食べている。」とテレビ番組で見た私は
生まれも育ちも宇都宮の友達に聞いてみた。

 
「週一回食べているかなぁ?……食べる時もあるけど、二週間に一回とかじゃないかな。」

 
友達は言った。
別の宇都宮市民に聞いてみたが、週一回は食べていないという反応だった。

 
 
では私はどうだったかといったら
私も一時期は毎週食べていたし
一時期以外は月に数えるほどだったと思う。

 
 
我が家は共働きで、母が休みの日以外は
祖母がご飯を作ってくれた。

  
私が小学生の頃は、毎週土曜日は餃子の日と決まっていた。
姉は餃子が大好きだったのだ。

 
我が家はひき肉を炒めていた。

外食や給食で食べる餃子とは食感が違う。
私は当時、どの家庭もひき肉を炒めていて
外食は調理師さんだから作り方が違うのだと勘違いしていた。
だから、周りの友達の家はひき肉を炒めないと知り
我が家が珍しいと知った時
母親に炒める理由を聞かずにはいられなかった。

母親は「生だと衛生的に不安だし、この方が美味しい。」と答えた。

 
用意された具材はボウルに入れられ
具材ができると私達は手伝うように声をかけられた。
我が家の餃子はニラをたっぷり入れる。
マイナーかもしれないが
栃木県は全国でニラ生産量ナンバーワンなのである。

私と姉はよく祖母と共に餃子を作った。

 
まず右手で餃子の皮の束から皮を一枚取り
左手に乗せ
ボウルからスプーンで具材を取り
具材を適量皮に乗せた。
水の入った器に右手人差し指をつっこんで濡らした後
餃子の皮の縁をなぞるように一周し
その後はひだを作って完成だ。

 
私と姉はよく餃子作りをしていたのでスピードは早く
次々に餃子包みができあがり
お皿に並べられていく。
餃子をピシッと作り、並べていく様は楽しい。

 
焼き上がった餃子を姉は喜んで食べた。
そりゃあもう、そりゃあもう、美味しそうに食べた。
姉の茶碗から白米はどんどん減る。おかわりが早い。
具材を炒めてあるので、餃子をかじると
口の中では小さく丸くポロポロしたひき肉としんなりしたニラが踊るようだった。

 
姉が喜び
そんな姉を見て家族が喜ぶから
私は本音を言えなかった。

 
私はひき肉を炒めない餃子の方が好きだった。

 
もちろん我が家の餃子も好きなのだが
私は外食の方が張り切って大量に餃子を食べた。
 
 
 
やがて私や姉が中学生になり、毎週土曜日は餃子ではなくなった。
小学生の頃は習い事の兼ね合いもあって毎週餃子だったが
やがて色々な曜日に餃子が食卓に並ぶようになる。

 
 
私はやがて宇都宮市にある高校に進学した。
駅から高校に向かうまでの間、餃子屋はたくさんあった。

学校帰りに一度、友達と餃子を食べたことがある。

宇都宮市の高校に通っているからできることだとしみじみ思った。
友達と餃子屋に行くのは初めてで
人生経験が上がった気がした。
JKが餃子を学校帰りに食べるということが愉快だったのだ。

だが、三年間高校に通っていて、餃子屋はたった一回だった。

  
 
県庁所在地がある宇都宮市には、飲食店がやまほどあった。

コンビニもたくさんあるし
マックやクレープ屋やアイス屋やパン屋やファミレスやコーヒー屋やタコ焼き屋やたい焼き屋やなんやかんやがたくさんあり
様々なお店に行ったからだ。

餃子屋はリピーターになるほどではなかった。
味自体はおいしかったが
かわいくお洒落な甘い物が食べたいお年頃だし
安い食べ物の方がサイフに優しかった。

 
私の高校はバイトが禁止されていたのだ。

 
 
だから栃木県に住んでいようと
宇都宮市に行こうと
若い頃は、餃子メインで食べることはほとんどなかった。

家族でラーメン屋に行き
ついでに餃子を頼んで食べるくらいだ。

多分、他県民の方と大差ない
餃子消費量だったと思う。

 
 
変化があったのは、大学生以降だ。
私は県外の大学に進学した。

大学では様々な都道府県の方と知り合ったのだが
栃木県に遊びに来たがる他県民の方が多かった。

「宇都宮で餃子が食べたい。」

彼女らは言う。

 
栃木県の観光地はなんといっても那須と日光が有名だし、人気だが
彼女らは宇都宮市で餃子を食べたがったのだ。

 
宇都宮市には様々な餃子屋があるが
一番有名なのは【みんみん】である。
テレビで一番取り上げられているし
県内各地に支店がある。

だが、栃木県民にとっての一番人気店は断トツで【正嗣(まさし)】である。

 
「餃子はみんみん派?正嗣派?」という質問が県内ではよくされるが
実に9割以上の県民が正嗣を挙げる。
圧勝であるし、私も家族も正嗣派である。

 
 
だが、県外の人に正嗣は全く有名ではない。

何故なら、正嗣は基本的にテレビや雑誌に載らない、幻の名店だからだ。
栃木県民から絶大な人気であるにも関わらず
何故メディアに取り上げられないのかというと
正嗣は餃子組合(連盟だっけな?)に加入していないかららしい。

 
また、みんみんは駅近くに店舗を構え、電車で観光する人向きだが
正嗣は車ではないと行きにくい場所に大抵あり
電車観光組が、偶然歩いていて見つけるような場所にはない。

 
その為、他県民の友達が電車で遊びに来た際はみんなが知っている王道な【みんみん】を紹介するが
私が車で案内する場合は【正嗣】に絶対連れて行く。

 
正嗣の餃子は、持ち帰り用に買うと赤い箱に入れてもらえるのだが
それは手土産に大人気である。
正嗣の餃子を喜ばない家はまずない。

我が家もよく正嗣の餃子を差し入れされたが
私は非常に喜んでバクバク食べた。

 
大学時代の思い出で忘れられないものの一つとして 
サークルのみんなと学祭で餃子屋を出店した時は面白かった。
発案者は私ではないし
私が張り切って餃子作りを指導したわけでもない。

皮から手作りし
みんなで具材や味付けを研究し
一ヶ月間餃子作りに燃えたのは青春だった。
 
 
あまりに餃子作りや研究がハードだったので
翌年は楽ちんな団子屋を出店したのも
オチがついていて面白い。

 
 
 
やがて私には彼氏ができた。
彼氏は栃木県出身ではなかった。

私はどうにも他県民と気が合うらしく
長く付き合う彼氏は全て他県民だった。

「宇都宮で餃子が食べたい。」

他県民の彼氏は、餃子デートを提案した。
やはり皆さん、栃木県といったら餃子デートらしい。

餃子デートを楽しめるのも栃木ならではだなぁとしみじみ感じた。

 
そのうち、ホワイト餃子という餃子が登場し
デートで買いに行き
家まで待ちきれず
車内で食べながらドライブしたこともあった。
こちらは楕円形の形で、肉汁がたまらない味だ。
醬油をつけなくても
そのまま食べても十分美味しい。

 

餃子パーティーをしようと、色んな味の餃子を100個以上作ったデートもあった。
彼氏が餃子包みが私より美しく

他県民に負けた…

と、地味に悔しかった思い出も懐かしい。

 
 
小さい頃は餃子は家族との思い出が多かったが
20代として過ごした時は
他県民との交流や思い出が多かった。

 

  
そして私は30代になった。
餃子の思い出は、再び変化する。

私はアラサーの頃、ローカルアイドルにハマッた。
ローカルアイドルはファンとのオフ会を小まめに行っており
宇都宮でライブをする際は餃子オフ会が定番であった。

 
餃子のイラストの顔出しパネルでアイドルと写真を撮り
様々な餃子をたくさん頼み(※様々なお店の餃子を頼める、餃子オンリーフードコートが宇都宮にある)
みんなでシェアして
たくさん餃子を食べた。
普段頼めないような、カラフルな餃子や変わり種餃子、巨大餃子も食べた。
食べたり飲んだりしながら笑い合ったあの時間は
とても幸せだった。

今までは少人数で餃子を食べて楽しんでいたが
オフ会での餃子はまた違った魅力があった。

 
 
私が20代の頃に県内にできた餃子テーマパークは立地条件が悪く
数年であっという間に潰れたが
地元民にも他県民にも宇都宮の餃子は愛されている自信があった。

 
近年、静岡県浜松市に年間餃子消費量が負けてしまった時はやや悔しかったが
それでも栃木県民はドッシリしていた。

餃子といったら栃木県だし
餃子といったら宇都宮市だ。

他県民にとってその印象は崩れないし
浜松との対決はニュースにもなった。

 
 
栃木県はとにかく地味で目立たない。
だからこそ、逆に浜松と接戦であった時はニュースを賑わせ
県民は喜びさえあった。

メディアに我が県が取り上げらている、目立っている、と。

浜松市とは勝ったり負けたりを近年は繰り返しつつ
今に至る。

 
 
浜松市、このやろう!
栃木県ナンバーワン餃子に手を出しやがって!

と、いった感情は全くない。
私にはないし、周りに聞いてもない。
むしろ、話題にしてくれてありがとう、という気持ちだ。

 
 
30代になり、私は同僚とも餃子を食べにいった。

仕事関係者が入院になり
同僚とお見舞いに行った帰りに餃子屋でランチを食べた。

ご飯、スープ、餃子セットを頼み
単体で別の餃子も更に頼んでシェアした。

 
同僚と餃子を食べるのは、社会人っぽさを感じて楽しかった。
普段は給食を食べるから
同僚とはなかなか外食に行かない。

たまたま病院の近くに餃子屋があり、次の日が休みだからこそできた。
ニンニクたっぷりでも
明日が休みなら安心だ。

 
30代になり、家族や他県民の友達や彼氏とだけではなく
県内の趣味仲間や同僚とも餃子を楽しめて嬉しかった。

 
 
 

2019年、私の推しのアイドルの子がCafe&Barを立ち上げ
そのお店ではメニューに餃子があった。

 
カフェなのに餃子があるのは栃木ならではだし
調理師さんが元ラーメン屋店長という経歴ならではでもある。

 
緊急事態宣言の為、現在はテイクアウトに力を入れている。
私は餃子を買った。

 
コロナ禍の為、暗いニュースは続くし
日々の生活は制限ばかりで気が滅入るが
今日も家族みんなと食事ができて幸せだ。

「この餃子、美味しいね!」

家族が笑顔になる。

 
 
私は基本的に一人で餃子は食べない。

餃子は作る時も買う時も食べる時も
いつだってすぐそばに、大切な誰かがいた。
餃子は誰かとの思い出や笑顔がたくさん詰まった、幸せの象徴だ。



 





 

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