見出し画像

鮭おにぎりと海 #33

<前回のストーリー>

あたりは、どこもかしこも本だらけで果たしてそこに佇んでいるのは人なのかそれとも積み上げられた本なのか判断がわからないところだった。

僕はある日、いつも大学でいつも一定の決まった日にご飯を食べる葛原さんを11月の初旬に神保町で開催される古本まつりというイベントに誘った。僕自身はまったく本を読む人間ではないのだが、英米文学を専攻している葛原さんならきっと興味を示してくれるだろうと踏んでのことだった。その予想は的中し、誘う前の僕の心情は内心かなりバクバクしていたのだが、彼女はあっさりと

「え、行きたい。というよりも、行きましょう!!」

と半ば食いつき気味の返事で、11月の3連休の中日に無事に一緒に古本まつりへ行くことになったのだった。

当日、神保町駅の改札を出て地上へ出たところで待ち合わせをした。彼女は前に一緒に日本科学未来館へ行った時と同じように、耳に星形のピアスをつけていた。それはどうしても、日本科学未来館で一緒に見たプラネタリウムの星々の姿を想起させるのだった。

古本まつりへいざ行ってみると、たくさんの人たちへごった返しており、それと同じくらいの数多くの本が路上に所狭しと並べられていた。その通路を歩いていると、横に並んだ彼女の顔が興奮で紅潮していくのが分かった。

「こんなお祭り、あるんだね。知らなかった。」

葛原さんは、ひとつひとつ店を物色しては、面白そうな本があると実際に手にとって中身を確かめるのだった。その時の葛原さんの瞳はとても光を帯びていて、それがなんだか綺麗で思わず見惚れてしまった。その瞬間彼女が振り返り、何やら怪訝な顔をする。

実際お祭りというだけあって、並べられた本の種類は様々だった。小説はミステリーや怪奇小説、ヒューマン系、歴史ものなど様々なジャンルが並べられており、実用本にしても料理や旅行やアウトドアなど、探しているものがあれば古本まつりの中でなんでも見つかりそうだった。

一通り葛原さんはお店を冷やかして、その間眺めすがめつして気づけば10冊くらい購入して大きな紙袋を手に抱えていた。僕が持つのを手伝うことを申し出たのだが、「自分が好きで買ったものだから」と頑として譲らなかった。その気の強さにもなんとなく好感を持っているのだと、その時改めて気づいた。

大体2、3時間は歩いただろうか。その頃になると、葛原さんも僕も足が棒のようになっていた。それでも彼女からしてみれば大したことでもないのだろう。葛原さんのようなタイプは、熱中したものにはとことん我を忘れて突き詰めて行ってしまうタイプのような気がする。

それでもそこからさらにしばらく経つと流石に疲れてきたのか、その疲労が葛原さんの顔に現れるようになった。その為、以前神保町を訪れたときにたまたま見つけた喫茶店へ、一休みがてら訪れることにした。

神保町のすずらん通りと呼ばれる商店街を三省堂という大きな本屋があるところから入り2分ほど歩いた道の途中で右に折れる。そしてすぐに左側へ歩くと、細い路地に入る。そこはまるで昭和時代にタイムスリップしたような世界が広がっていた。

片方には「ミロンガヌオーバ」、もう片方には「ラドリオ」という看板がかかっている。今回僕が目当てとしているのは、左側にある「ラドリオ」というお店だった。僕らは一番奥の席に通された。

ラドリオは1949年に創業のお店だそうで、約60年以上も前にできたお店らしい。葛原さんは話を聞く限り、昭和レトロなものが好きだということを何かのタイミングで言っていたからきっと気に入ってくれるだろうと思っていたら案の定目の色を輝かせて店内を見て回るのだった。

そのまま席につくなり、

「ここのお店何だか落ち着く。連れてきてありがとう」

とにっこり微笑んで、その笑顔を見た僕は彼女の顔を直視できなくなるのだった。それでも、僕は今日一大決心をしてこの場に望んでいるわけで、このお店で最初に出されたというウインナーコーヒーが、目の前に差し出されてもまともに飲むことができなかった。

「今日じつは、渡したいものがあって古本まつりに誘ったんだ」

そう言った僕の言葉に対して、彼女はほんの少し首をもたげたそぶりを見せた。僕は一瞬躊躇したのち、彼女に対して三日三晩かけて練り上げた手紙をそっと葛原さんの目の前に差し出したのだった。

その瞬間僕はいてもたってもいられなくなり、その場から消え去りたくなったのは言わずもがなのことである。


末筆ながら、応援いただけますと嬉しいです。いただいたご支援に関しましては、新たな本や映画を見たり次の旅の準備に備えるために使いたいと思います。