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鮭おにぎりと海 #63

<前回のストーリー>

「君が持っているのは、ずいぶん懐かしいカメラだね」

散歩している途中で立ち寄った公園で、ベンチに座ったおじいちゃんを見かける。本人に撮影していいかどうか聞いてみようと一歩踏み出した瞬間、なんとおじいちゃんがくるりとこちらを向いて優しさ溢れる笑みを湛えて僕に話しかけてくれたのだった。

僕から話しかけようと思ったのだが、逆に相手側から話しかけられてなんだかその瞬間気概がそがれてしまった。そのままおじいさんの隣に腰掛ける。

「そうみたいですね。先日実家に帰ったときに、たまたま父が昔使っていたカメラが押し入れの奥から出てきたんです。状態も結構良かったので、そのまま譲り受けて僕の手元に今あるという感じです。」

「どれどれ・・・」

おじいさんは掛けていた眼鏡を外して、そのまま僕のカメラを自分の顔の近くに持っていく。

「私はね、昔写真館をやっていたんだよ。だいぶ体にガタが来て数年前に引退してしまったがね。それにしても、ずいぶん年月たっている割には状態が良いね。君はラッキーだよ。」

少しはが抜けてすきっ歯となっている口を開けて、おじいさんは僕ににっこりと微笑みかける。冬の陽だまりの光がおじいさんの顔に当たって、キラキラと輝いていた。

「そうなんですか。おじいさん、写真館やっていたんですか。」

「そうそう。私が生まれたのはちょうど戦争が終わる前くらいの年でね。そのころはそれこそ、みんなが生きていくのに大変な時代だった。僕が20歳くらいになると少しずつ生活が上向きになっていった。みんな少しでも暮らし向きをよくしようと一生懸命働いていたよ。」

おじいさんは年季の入ったカバンを脇に静かに起き、自分は深くベンチに座り直した。

「今でこそ働き方はだいぶ改善されたようだが、私たちの頃は残業なんて当たり前の時代だった。目の前に拓けているのは、便利で楽しい生活。働けば働くほど、お金がもらえる時代だった。努力が確かに目に見える形で手に入るんだよ。ところが、ある時ずっと働き通しでいたら、ついに体が悲鳴を上げた。」

僕はじっとおじいさんの話に耳を傾けた。おじいさんの声はどこか嗄れていて、それでいてどこか魅力に溢れる声音だった。

「ある時倒れて病院に担ぎ込まれた。まだ子供も小さくて、手がかかる年頃だった。お金が何が何でも欲しかった。ところが、しばらくは病院生活。その間、妻がどこからかパートの仕事を見つけてきて、働き始めたんだ。幸い貯金はそれなりに貯まっていたので、なんとかその時期をしのぐことが出来たんだけどね。」

どこからかすずめが何羽か飛んできて、鉄棒の上で休憩をとっている。

「退院する頃、知り合いが地方に引っ込むということで都内でやっていた写真館とカメラ機材を格安で明け渡してくれると言ってきたんだ。妻はこれも何かの思し召しよ、と言って僕に写真館で働くことを勧めてきた。当時はカメラも一般に買えるものはそれほど性能も高くなくて、写真館の需要もそれなりにあった。」

おじいさんは当時を振り返るかのように、目を細める。

「なかなか贅沢な暮らし、というわけにはいかなかったけれど、家族3人で食っていけるくらいの生活は続けることが出来たんだ。・・・おっと、初対面なのに喋りすぎてしまった。すまないね。」

「いえ、全然。ぜひもっと話を聞きたいです。」

「続きを、と言いたいところだが生憎年寄りはずっと同じ姿勢をとっているとなかなかしんどくてね。同じ時間にベンチに座っているから、良かったらまた来なさい。」

出会った時の印象そのまま、好々爺然としたおじいさんは「よっこらしょ」と言って立ち上がった。確かに日中が出ているとはいえ、この寒さはおじいさんの体にだいぶ堪えることだろう。

僕らは一旦その日はそのまま別れた。別れた後で、おじいさんに写真撮影をお願いしようとしていたことをはたと思い出した。まあいいか、とそのまま家路を戻る。新しい出会いに、なんだか心が弾んだ。

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