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鮭おにぎりと海 #30

<前回のストーリー>

あるとき、財布をバスの中に置いてきてしまった。

俺は常々周りからお前は不注意が過ぎる、と言われてきた。そのどことなく抜けている部分が、周りが俺を放って置けない一因なのだと冷静に自己分析した結果考えていた。こいつは危なっかしいから周りが見守ってあげねばならない、と親父とお袋は思ったらしい。手のかかる子供ほど親の愛情をたっぷり受ける、と何かで読んだ本に書いてあったが、まさに俺はそういうタイプだったと思う。

そうした性格は、三つ子の魂百までというくらいだから海外へ行ってもその本質は決して変わることがなかった。ある時ホームステイ先で作り置きしてもらった料理を電子レンジで温めようとして、うっかりアルミホイルのまま入れてしまった。その時電子レンジの中では突如稲光が光り、やばいと思った俺は慌てて止めたものの後の祭り。あとでホームステイ先のお母さんにこっぴどく怒られる羽目となった。

まだある。ボーッとしてたらやけにガタイの良い黒人にぶつかったこともあるし、ホームステイ先の子供と一緒に遊んでいたらうっかり力余っておもちゃを壊してしまったこともある。

そんなわけだから、財布を見知らぬ土地で紛失するなんて出来事はある意味起こるべくして起こった、と言わざるを得ない。

♣️

いくらカナダが日本と同じくらい治安が良いとはいえ、それはあくまで全体的な治安の話なので、例えば自分の目の前に不意に幸運が舞い込んできたら、当然カナダの人たちも真っ先に飛びつく。どこにだって悪い奴はいるし、今回のケースで言えば完全に悪いのは俺である。

奇跡的に財布自体は帰ってきた。しかも、クレジットカードは手付かずのままだった。まあカナダではクレジットカードは暗証番号がわからない限り使い物にならなかったし、おまけにビクトリアは狭い街で使っても足がつくと思って取らなかっただけだろうが。見事に親から送金されて引出したばかりの現金はすっかり取られてしまった。その額、3万円。

その金額は当時の生活費からしたら決して少なくない金額だったので、流石の俺も落ち込んだ。そんな俺を不憫に思ったのか、ファビラとサリーはことあるごとにご飯に誘ってくれ、そして多めに払ってくれた。それがなんだかとても泣けた。俺は、誰かにいつだって救われている。

ちなみにファビラとサリーは俺のことを、Sakeと呼んだ。自己紹介の時、しっかり自分の名前を名乗ったのだが、なかなか日本人の名前は覚えづらいらしく、なんとか自分たちの知っている単語と結びつけた結果海外で日本酒を意味するSakeと結びつけたらしい。それにしても、全くといっていいほど名前とニックネームが結びついていない。

♣️

あっという間に2ヶ月が過ぎ去っていった。

苦しいと思ったのはそれこそ最初の2週間ほどで、ファビラとサリーのおかげでそれなりに自己表現できるようになったし、そして交友関係に関しても彼らと一緒にいると次第に広がっていく形となった。

ビクトリアという街は、非常に小さな街だったので少しいるともうやることがなくなった。そうなると人は何をするようになるかというと、夜な夜なパブへと繰り出すか、ホームパーティーをするか、ナイトクラブにいくかのどれかだった。どれも刺激的な時間だった。

どこの家ともわからない場所に人づてで呼ばれて、ファンキーな音楽がかかっている中でたらふく酒を飲む。本当に自堕落を絵に書いたような生活だった。それでも次の日には、泥のように固まった頭を引きずって、なんとか授業には出た。それをやめてしまうと、親が多少なりとも支援してくれたお金を泥沼に落とすようなものだと思ったからだ。

毎日が本当にいろんな出来事が起こった。日々の生活がこんなにも彩豊かであることを初めて知った。インドに行った以来の衝撃だった。

そして、2ヶ月目のビクトリアにいられる最後の日。ファビラとサリー、そして他のビクトリアで出会った友人たちを集めて、ささやかながら現地のホテルを貸し切ってパーティーをした。大体はオードブルを頼んだのだが、どうしてもファビラとサリーが日本食を食べたいといったので、俺は考えた挙句日本食スーパーで買った米と、現地の冷凍サーモンを作っておにぎりを作ったのだった。

ファビラとサリーは、どちらも目を細めて美味しそうに食べてくれた。そしてビクトリアを離れるときに、彼らは選別としてカナダのSakeだと言って、カナディアンウイスキーのミニボトルを手渡してくれたのだった。

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