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ビロードの掟 最終夜

【中編小説】
このお話は、全部で43話ある中の最後の物語です。

◆前回の物語

終章 再会 

 どこからか調子外れな鼻歌が聞こえてくる。

 少しハスキーがかった声が、波の音と絡み合うように弾けた。

 遠くの空で細い星が流れていくのが見える。流れ着いた先に、悲しみは沈んでいるのだろうか。

 彼女は揺蕩たゆたう海のそばにひっそりと佇んでいた。まるでいつか見たことのあるデジャヴかのように感じたが、何か決定的なものが欠けている気がする。なにかはわからない。

 久しぶりに大学の時の同窓生同士で集まって、飲み会に行った帰りのことである。彼女が突然海へ行きたいと言い出した。他の連中は、僕らの仲を気遣ってそそくさと帰ってしまった。

 月の光に照らされた彼女は綺麗だった。

 「なんか長い旅をしてきたみたいだ」と彼女は言う。

 事実、世間では人々を恐怖におとしいれたウイルスが流行っており、いっとき僕たちは誰と会うことも許されなかった。友達とも会社の人とも、家族でさえも。未知の病原体は人々を疑心暗鬼にさせ、くだらない噂が蔓延はびこり、しばらく健全とは言えない生活を余儀なくされた。

 人が外出できなくなったことにより大打撃を食らった仕事もあったが、幸い僕が働いていた会社ではテレワークでもなんとか業務を進めることができた。多少なり給料が以前よりも減ったが、贅沢な暮らしをしなければ十分やっていける額である。

 そして今、ようやくウイルスに対するワクチンも開発されて、元の状態とはいえないまでも世界は昔の姿を取り戻しつつある。

 まるで空全体を照らすような強烈な存在を醸し出す満月と、辺りを覆う深い闇。時々彼方からあまり聞き慣れない鳥の鳴き声がする。

 遠くには街の明かりがほんのりと灯っている。きっとあの光の奥では、誰かが柔らかく息をして生きていることだろう。今もどこかで誰かが、大切な人に対して精一杯の愛を傾けている。

 それから僕は再び海でかつての恋人との再会を果たし、お互いが健康であることを喜び合う。

*

 数年付き合った後、僕らはめでたく結婚した。緊急事態となるまでは結婚式をやるのが通例だったけれど、そうした伝統というのは時代の変化によって形を変えていくものらしい。結局彼女と相談して、式は挙げないことにした。

 籍を入れて穏やかな日々が続き、2年後に彼女は僕の子供を身籠る。男の子だった。平均体重よりも500gほど重いので、巨大児と言ってもいいかもしれない。とにかく大きな声で泣き叫ぶ赤ん坊だった。穏やかな波のように育って欲しいという思いから「波瑠はる」と名付けた。

 波瑠は大きくなるにつれ、誰か自分の記憶にある人物に似通っていく。名前や顔が思い出せないが、ひどく懐かしい気持ちになった。次の世代に自分の意思が脈々と受け継がれていくのはなんて尊いのだろう。

 彼女に僕が思ったことを伝えると、「リンくん、あなたって私に負けず劣らずロマンチストよね」とふふっと笑った。

 どこからかザァザァと寄せては返す波の音が聞こえた気がした。そして、白い光がゆっくりと近づいてくる。それは明日を迎えるための、希望のともしびだった。

 彼女は、あの時と同じように調子外れな歌を口ずさむ。

<了>

【あとがき】
これまで、1ヶ月強の期間本作品をお読みくださった方、ありがとうございました!ご感想、コメントお待ちしております。明日ショートストーリーを一本掲載して、通常の投稿に戻りたいと思います。

↓現在、毎日小説を投稿してます。




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