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鮭おにぎりと海 #23

<前回のストーリー>

夏休みの期間中、僕は淡々と塾講師としての職務をこなした。主に僕が担当した高学年で、それなりに受験がみえてくる頃合いなので子ども達もそこまで授業の進行を阻害する子は少なく、僕は授業に集中して教科を教えることができた。

気がつけば、お盆休みに差し掛かっていた。妹からは「今年のお盆は帰って来るんだよね?」と僕の機嫌を伺うようなLINEが来ていて、さすがに父親と二人の環境にしてしまっている手前、帰らざるをえなくて3日間だけ群馬の山奥にある僕の実家に帰省したのだった。

父親は相変わらず真面目一辺倒といった感じで、僕が「ただいま」と言って家の戸を開けても「おう」と言ったきり、嬉しそうな顔一つしないままだった。まあそれが父親らしいと言えば、父親らしいのだが。

大体実家に帰るのは半年ぶりくらいだろうか。前回は、ちょうど大学1年の冬休み時期に差し掛かった頃で、年末年始と合わせてだらりと家に帰った。家に帰ったからと言っていつもと比べて特別なことをするわけでもなく、なんとなく年末の特番を見て除夜の鐘を聞いて眠った。そして元旦を迎えても、そこでまた新しい1年が始まったという感慨もなく1日が過ぎていった。

ほんの1週間ほど前に、大学で出会った女の子と江ノ島をぶらぶらして何か自分の中でずっとモヤモヤしていた部分が徐々に開けていったような気がする。高校生の頃に突然家を出ていった母親と再会して何か自分の奥底にある他の人に触れて欲しくない琴線が縦に横にぐらぐら揺れたのだろう。少し精神的に不安な部分もあったけれど、少し落ち着いた。

家に帰ると妹の麻美がただひたすら喋り続けていた。葛原さんと比べると、同じ性別なのにこうも違うのかということに驚かされる。とは言え、性別で括れば海外に飛び出してしまった神さんも僕とは全く正反対な人間ではあるが。

お盆に帰省中、一度だけ高校の時の友人たち何人かで集まる場に誘ってもらって参加した。僕はどちらかというとクラスでもあまり目立たない方だったのだが、よっぽど人数集めに苦労したのかいつも幹事役を買って出る斉藤くんからお呼びがかかった次第である。

ちょうど今年は成人になる人たちがほとんどのため、みんなお店でお酒を注文し大いに盛り上がっていた。大学1年の時には公式にはお酒は飲める環境になかったわけだから、早く成人になりたいと思っていたのだが、いざ誕生日である5月を迎えるとうまくその未成年と成人との間にある軋轢みたいなものが分からなくて、ああこんなものかと拍子抜けしてしまった。

こぢんまりとした同窓会を開いた場所は、いかにも地元の人たちが気楽に集まってこれるかのような料理が安くてそれなりに味も味付けが濃くて美味しい大衆居酒屋だった。その日集まったのは大体10人前後だ。みんな成人になってまだお酒に飲むことに慣れていないのか、異様なペースで飲み続ける。

元々お酒が強い方でない僕は、次第に頭がぼーっとして気づいた時には場所はカラオケボックスになっていて、僕は端っこの席に横たえられていた。大音量で、かつてのクラスメイト達が大声で何か歌っているのをうまく働かない頭で聞いていた。結局その日は夜中の3時まで宴会は続き、代行でやってきた車に各々乗って帰途についた。しばらく吐き気が治らなかった。

次の日。二日酔いで、気持ち悪さが胸の中に同居している状態。二日酔いに効く薬だよ、と妹から錠剤を渡されて水で胃の中に流し込む。久しぶりに不毛な時間を過ごしてしまったといたく後悔した。

ふらつく体で何気なく目の前にあった押し入れを開けると、何気なく目についたのが、古ぼけた1台のカメラだった。銀色の部品がゴタゴタとつなぎ合わされていていかにも機械、という感じだった。ずっと押し入れの中にしまってあったのか、やけに埃っぽい。僕はそのカメラから、なぜだか分からないが目が離せなくなってしまったのだ。

誰に聞くともなく、カメラを持って外に出て一度シャッターを押してみる。ガシャンと何か胸の中に振り落とされたような重い音がした。時間は朝8時くらい。家に帰ってから4時間くらいしか経っていないけれど、不思議と頭は冴えている。夏休みの朝は、なぜだかとても空気が引き締まっている。

平凡だと思っていた故郷の光景は、意外にも足元に映える雑草ひとつとってもファインダーを通してみると、何か神秘的なものに見えた。それはおそらく不毛な一日を過ごしてしまった自分に対しての、贖罪ともいうべき行為だったのかもしれない。

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