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鮭おにぎりと海 #29

<前回のストーリー>

俺は、地球の反対側にいた。

自分はそれまでどちらかと言うと、あまり自分では動くタイプではないと思っていた。高校でテニスを始めた時も当時の中の良かった五十嵐という少年に誘われたからだし、大学の専攻を決める時もなんだかんだ父親が耳にタコができるほど英語は大事だぞ!と言われていたからだし。そしてインドにいくと決めたのも、元々はバイト先のラーメン屋のおじちゃんにインドのエピソードを聞いたからだし。

そうやって誰かから影響を受けて、その上で行動するのは間違いではない気がする。なんだかんだ、そうやって人同士で繋がっている。ところがそればかりではいけない。人は時に、自分の頭と手と足で自ら行動しなければならないことがある。

それがまさに、俺にとっては様々な国を旅することだった。

♣︎

まずはじめに向かったのは、カナダのビクトリアという場所だった。

この場所は、花の都と言われているらしい。なぜこの場所に決めたかというと、最初は英語をきちんと学びたいと思っていた時に、短期留学はここがおすすめよ、と話を聞いてくれたキャリアセンターの人が教えてくれたからだ。そういえば、こんなところでも人から影響を受けているが、よしとする。

かつて5,000円の顔でもあった新渡戸稲造が亡くなった場所も、ビクトリアらしい。ビクトリア自体は、バンクーバーという街が有名なブリティッシュ・コロンビア州の州都となっている場所だった。そして、小さな島の中に街ができているので、退屈といえば退屈だがやることが限られているだけに集中して英語の学習に時間を充てられるとアドバイスを受けた。

実際辿り着くのは大変だった。日本からカナダのバンクーバーまでだいたい半日かかる。そこからまた、小さなフェリーに乗って2時間くらい。その時点で腰も頭もフラフラだった。何しろ、行き交う場所行き交う場所当たり前ながら自分の言葉が伝わらないのだから。自分の存在のちっぽけさを改めて発見した次第である。

♣︎

今回、2ヶ月間の短期英語学習コースを受けた。コース自体は、大学の付属であるELSと呼ばれるコースである。その間、ホームステイして現地の家族のご厄介になることになった。これもまた最初全然意思疎通が図れず苦労した。6歳のトムくんという男の子からは、変な言葉!と言われて馬鹿にされ、教室に行っても教師に意図が伝わらず首を傾げられる。

到着して1週間経過したくらいで既に俺は、これまでコツコツ丁寧に積み上げてきた自負心がボロボロと静かに音を立てて崩れていったような感覚を覚えた。

日本人もいるにはいたのだが、ここで同郷の者たちに頼ってしまったら、流されやすい俺の性格上必ずや成り行きで日本語を喋ってしまうに違いない。それだけはなんとも避けたかった。ところが英語は全く喋れない。俺はどうしようもないジレンマの狭間にいることとなった。

♣︎

そんな中救世主の如く現れたのが、同じクラスで一緒になったブラジル人のサリーとファビラである。

ファビラは、俺のホームステイ先で一緒にお世話になっている男で、年齢的にはだいたい30過ぎくらい。ブラジル人といえば彫りが深くてたくましく引き締まっているイメージだったのだが、ファビラの場合はどこかカバを思わせるような風貌だった。失礼かもしれないが。

ファビラはその風貌からは想像できないくらいなかなか面倒見の良い男だった。そして、他のブラジル人からも信頼が厚いらしく、彼の周りには不思議といつも人が集まっていた。いつも登校時は、彼と一緒に行動しファビラは俺が片言の英語を喋ることができないにもかかわらず、辛抱強く俺の話を聞いてくれたのだった。

もう一人の救世主は、サリーという女の子。どことなく親近感のわく容姿だと思っていたら、どうやら彼女のおばあちゃんは日本人らしい。俺は知らなかったが、ブラジルは日本から移住してきた人たちも多いらしく、それだけに親日家も多いそうだ。ファビラの場合は母国語がポルトガル語にも関わらず非常に英語を流暢に喋る一方で、サリーの場合は英語がからきしダメだった。そんなところが、俺がサリーに親近感を持ったもう一つの理由かもしれない。

すぐにファビラとサリーとは打ち解けるようになった。そこから少しずつ、また俺の自負心がガシャガシャと築き上げられて行ったのだった。ああ、当たり前だが人は常に誰かに支えられているのだ。


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