見出し画像

鮭おにぎりと海 #35

<前回のストーリー>

気づけば、鼻の下と顎に立派な髭が生えそろっていた。

カナダのビクトリアで2ヶ月間ほど短期で英語を勉強した後、西へ進み、それから飛行機に乗って南下した。向かった先はアメリカのシカゴである。旅を始めて少ししてから毎日誰が見ているわけでもないのに髭を揃えることが非常にバカらしくなり、剃ることをやめてしまった。

季節は11月なかば。まだ秋と冬の狭間くらいの時期であったのに、シカゴはもう立派な冬の気温だった。予め寒いと聞いていたので、カナダにいた時に購入したダウンがなかなか役にたった。

アメリカのシカゴは昔から訪れたい場所の一つだった。憧れと言ってもいいかもしれない。エンターテイメントといえば多くの人が真っ先に思い浮かべるのがおそらくニューヨークだろうが、街自体が非常にコンパクトで音楽も演劇もショッピングもアートも、全てがバランス良く配置されているのがシカゴだと思っていたからだ。そして、何よりも楽しみにしていたのがブルースだった。

実際シカゴを降り立ってみると、周りは高層ビルだらけでいかにも都会といった風情だったのだが、不思議と東京のような雑然とした感じは見受けられなかった。俺は降り立ってすぐに、この街が好きになっていた。

降り立ったらまず初めにすべきは宿探しである。旅人のバイブルと呼ばれている地球の歩き方、旅人初心者の俺は脇に抱えてその日泊まる宿を探す。基本貧乏旅行なので、自然と候補は絞られる。その中で見つけたのがシカゴ都心に居を構えるユースホステルだった。清潔でサービスが行き届いていそうだ。今日はここに泊まることに決めた。

♣︎

実際に目星をつけたユースホステルに行ってみた。早速受付で泊まりたい旨を伝える。この時対応に当たったのがマイクをいう俺より少し年齢が上と思われる男性だった。

すると、俺が用件を伝えた時にマイクの顔が曇った。「今日は予約しているのか?」と流暢な英語で聞いてくる。

「いや、していないけど泊まれますか?」

低姿勢な回答と思われる英語で返した。すると、マイクは申し訳なさそうに、

「今日は予約でいっぱいなんですよ。」

と言う。シカゴ中心部で泊まることができるユースホステルとしてはこの1件しかない。ましてやその時の俺は到着したばかりで土地勘も何も全くない。いきなり出鼻を挫かれた思いになり、それだけで俺の頭の中は真っ暗になってしまった。

その俺の意気消沈した雰囲気を察したのか、マイクは気遣わしげにまた言葉を紡ぐ。

「お客様がもしよろしければですが・・・」

マイクが伝えてきた提案を、俺は藁にもすがる思い出承諾したのだった。

♣︎

シカゴにあるミレニアムパークという大きな公園に行ったりシカゴ名物のホットドッグを食べたりして俺はその日一日街を堪能した。シカゴ自体には1週間ほど滞在する予定だったので、夕方くらいにはユースホステルに戻った。

マイクから提案されたプランはこうだった。

「現在ユースホステルのベッドは残念ながら埋まってしまっている。でも、今回だけ特例という形でパブリックスペースになってしまうが、宿泊者が使うことのできるフラットなくつろぎスペースで横になるよう取り計らうよ。値段は通常の宿泊者の8割くらいにまけることしかできないけれど、どうかな?」

その魅力的な提案に俺は乗った。もういちいち宿泊場所を探すために無駄な時間を過ごすことは懲り懲りだと思ったからだ。だが、これが最悪の選択だったということを後ほど思い知ることになるのである。

♣︎

無事ユースホステルで泊まれることになり、俺は意気揚々とシャワーを浴びてそしてパブリックスペースで寝る準備をした。外は肌を突き刺すような、日本では北海道くらいでしか経験できないような異常な寒さだった。そのことを考えると、こんな暖房の効いた場所で寝られるだけれもあり難い。

旅を始めてから日記をつける習慣が出来上がっていたので、その日1日の出来事を記録する。そして気づけば時間は10時ごろ。ここら辺で寝るかと、俺は横になり目を瞑った。程なくして、俺はそのまま深い眠りへと落ちていった。

♣︎

それは突然の出来事だった。いきなり横でドン、と誰かが何かを蹴る音がした。その物音で一瞬で目が覚めた。俺の前には、どこか軍人然としたいかつい男が俺のことを睨んでいるのだった。

末筆ながら、応援いただけますと嬉しいです。いただいたご支援に関しましては、新たな本や映画を見たり次の旅の準備に備えるために使いたいと思います。